第7話 答え合わせ


「・・・いじめ対策課・・ですか?」


上司に呼び出され、新しい配属先として告げられたのは、そんな聞き覚えのないものだった。


「そうだ。新しくできる課で、お前が課長らしいぞ」


「やったな」と肩を叩かれるが、素直に喜ぶことができなかった。

新しくできる課の長。マニュアルが無いうえに、責任は重大だ。


俺に務まるのか。不安はあるが断る勇気もなく、俺はしぶしぶ引き受けることにした。


近年、若者の自殺が後を絶たず。ただでさえ少子化の一途を辿る日本では、自殺の防止策について様々な議論がなされていた。


若者の自殺の要因の大部分を占めるとされる、いじめ。


これを解決するために発足されたのが、この『いじめ対策課』というわけだ。


いじめの相談やアドバイス、聞き込みなどの調査を通して、自殺率を低下させることが主な狙いだ。


しかし、そんなテンプレートな対策で簡単に解決するような問題なわけはなく。


『いじめ対策課』が発足してから1ヶ月。


俺は早くも壁にぶつかっていた。



「どうしたらいいかな?」


とある病室のベッドの上で、ノートにペンを走らせる女性。その正体を自分の妻に、相談をしてみる。

病人に頼るなと思われるかもしれないが、妻のアドバイスはいつも的確で、物事の本質を突いているのだ。


自分とは違った角度から物事を捉えていて、ゴールに辿り着くための最適なヒントをくれる。

そんな妻の言葉は、いつからか俺の道しるべになっていた。


「そうねえ・・・」


持っていたペンを机に置いて、行き場を失った右の手を口に当て、考える身振りをする。

その一つひとつの動作が、大人の女の色気で満ちていた。


「あなたは死ぬことを怖いと思う?」


彼女の問いは、やはり俺が向いていた方向とは真逆のものだった。


「そりゃ、怖いさ」

「何で?」

「それは・・・・」


からかうような、それでいて真剣な口調で放たれた質問に。俺は、即答することができなかった。


死ぬことは怖いこと。


それは自分の中でイコールと似た形で定義されていて、そのことに疑問を感じたことさえ無かった。

自分が死んだ時のことを考えて、質問の答えを探す。


「愛する人に触れられなくなるから・・かな・・・」


考えるにあたって、真っ先に頭に浮かんだのは家族の顔だった。


こちらからは見えるのに、相手からは見えない。

そこにいるのに触れられない。


想像しただけで悲しくて、寂しくて、そして怖かった。


「ふーん」


俺の答えに満足したのか、彼女は少し恥ずかしそうにこう続けた。


「それって、私と凌太のこと?」

「・・・そうだよ」


自分で言っておいて恥ずかしくなり、俺は思わず視線を外す。

彼女はその様子を面白そうに眺めていた。


「私はね。自ら命を絶ってしまう人っていうのは、その答えを持っていない人だと思うの」


真剣なトーンに戻った彼女に、再び視線を戻す。


「死の怖さが明確じゃないから、生きることの辛さが勝ってしまう。勿論、それが全てじゃないけどね」

「なるほど・・・」


長いトンネルの出口が見えた気がした。


「ありがとな」

「どういたしまして」


一切の嫌味を感じさせない完璧な挨拶を残して。彼女は、再びペンを走らせ始めた。



「お前でも死ぬのは怖いのか?」


帰り際。病人に尋ねるべきではないだろう質問をしてみた。

もちろん嫌味を言ってるわけでは無く、単純に彼女の答えが気になったからだ。


「もちろん怖いよ」


今度は、ペンを走らせたまま答える。


「それは何で?」

「忘れられたくないから」


俺とは違って即答だった。


「もし、私が今日死んでもニュースにはならないだろうし。多くの人は、私がこの世にいたということを知らないまま生きていくと思うの」


相変わらず視線はノートに向いていて、その表情は見えない。


「そして、私を覚えている人が誰もいなくなった時。私という存在はなくなってしまう」


キリが良いのか、ペンの動きが止まった。


「だから、私がこの世にいた証拠を残すために。私は本を書くの」

「そっか・・・」


彼女はいわゆる小説家だ。

彼女の書く文章はとても優しくて、知名度こそないがコアなファンが多かった。


何を隠そう、俺もその一人だ。


「じゃあ、帰るね」

「うん」


横に置いてあったビジネスバッグを手にとって、静かに立ち上がる。


「・・・俺は、死んでもお前のこと忘れないからな」


面と向かって言うのが照れ臭くて、背中越しに声をかける。


「私、あなたのそういうところが好きよ」


帰ってきた言葉に思わずにやけながら、俺は病室を後にした。



妻のアドバイスもあり、少しずつではあるが成果が出てきた頃。あの男は現れた。


「鈴木課長、お客様です」

「今日は来客の予定はないはずだけど」

「なんでも一流企業の社長らしく、話を聞くだけでもと・・・」


受付の女性社員の話に出てきた男に、俺は一切心当たりが無かった。

一流企業の社長が何の用だと疑問に思ったが、特に予定もなかったので話を聞くことにした。


「会議室に通しておいてくれ」

「わかりました」


取り掛かっていた資料の作成を手短に済ませ、会議室に向かう。


そこそこ立派な机を挟むように、ふかふかのソファが二つ。

会議室に入ると、その片方に座り、優雅に紅茶を飲んでいる男が目に入った。


「初めまして。私こういう者でして・・・」


男は飲んでいた紅茶を机に置き、ソファから立ち上がると、名刺を差し出してきた。


「どうも・・」


怪訝な顔でそれを受け取る。


そこには『塩月ロボット開発 代表取締役』と書かれていた。


「どうぞお座りください」

「どうも」


こちらも名刺を渡し、二人揃って腰を下ろす。

先に口を開いたのは彼の方だった。


「いやー、噂は本当だったんですね。いじめ対策課」

「よくご存知ですね」

「この世界は情報が命ですから」


そう言って紅茶をすする彼は、どこか品を感じる佇まいだ。


「それでお話というのは?」


俺が本題に移るよう誘導すると、彼は深く座っていた体を前のめりにしてこう返した。


「うちのロボットを使いませんか?」

「と、言いますと?」

「うちのロボットを学生として学校に通わせるんですよ」

「・・は?」


突拍子もない提案に、思わず声が出る。


「それに何の意味があるんですか?」

「いじめはなぜ起こると思います?」


質問に質問で返すあたりが、燗に触る男だ。


「出る杭は打たれる。という話ですか?」

「さすがいじめ対策課課長。ご名答です!」


全く褒められた気がせず、苦笑いを浮かべる。


「『みんなと同じ』を正義とするこの国の国民性は、出る杭を打つだけでは飽き足らず、引っ込んだ杭を執拗に踏みつぶそうとする」


そう語る男の顔には、狂気のようなものが滲んでいた。


「そこで私は考えた。『制御できないなら、利用すれば良い』とね」

「それでロボットですか?」


俺が尋ねると、自分が描いた絵を褒められた子どものような笑顔で、男は答えた。


「そうです。いじめられる要素をすべて兼ね備えたロボットをクラスに配置するのです」

「いじめの対象を置き換えるというわけか・・・」


いじめの身代わりを用意する。

彼の提案は、妻とはまた違った角度からのものだった。


「少し考えさせて貰えますか・・・」

「もちろんです。良いお返事をお待ちしていますね」


そう言って立ち上がると、男はカツカツと高そうな靴を鳴らしながら帰っていった。



「はぁ・・・・」


あの男が現れて、一週間ほどが経過した。

彼が提案してきた策は、一見効果的なように思えた。


しかし、それは現状を好転させるためのものであって、根本的な解決には繋がらない。

採用するべきか否か。俺は迷っていた。


そして、悩みの種はもう一つ。


「また言われたんですか?」

「まあな・・・」


コーヒーを持ってきてくれた部下に問われ、苦笑いで返す。


妻のアドバイスもあり、仕事は軌道に乗り始めたのだが、実際に成果をあげた事例はまだ少ない。

数字を求める上の人たちにとっては、それは無いと等しかった。


「結果を出せ、か・・・・」


できたてのコーヒーを口にして、ため息をもらす。

砂糖もミルクも入っていないコーヒーは黒く、そこからは白い湯気が漂っていた。



「帰りに妻にでも相談してみるか・・・」


昼休憩。

妻のお見舞いに持っていくものを考えながら、コンビニのおにぎりを食べていると、デスクの電話が鳴った。


「はい、もしもし」

「鈴木さんはいらっしゃいますでしょうか!」


電話の相手は、名前も名乗らずにそう聞いてきた。

不信感を抱いたが、慌てた様子の口調と聞き覚えのある声だったことから、会話を続ける。


「鈴木は私ですけど」

「鈴木さんですか!?奥様の容態が・・・・」


電話を切ると同時に、俺はジャケットを羽織って走り出していた。


食べかけのおにぎりを机の上に残して。



「そんなに怖い顔してどうしたの?」


ベッドの上からこちらに微笑みかける彼女。

目にはクマができており、以前より心なしか痩せたように見える。


「もともとこんな顔だよ」


ベッドの横に置かれたパイプ椅子に腰掛けながら、軽口を叩く。

何か気の利いたことの一つでも言ってやりたいが、何も思い浮かばず。俺は彼女の手を握ることにした。


「一つお願いがあるの・・・」

「なんだい」


珍しく弱気な口調で発せられた彼女の言葉に、俺は耳を傾ける。


「凌太を守って欲しいの」


握っていた彼女の手が、少しだけ強くなった。


「これは母の勘みたいなものなんだけど、凌太はお友達とうまくいってないと思うの」

「どうしてそう思うんだ?」

「あなたに似て、不器用な子だから・・・」

「確かにな」


思い当たる節が多くて、思わず納得してしまう。


「でもね、私の前では弱いところを見せようとしないの・・・・」

「そうか」

「それでね。もし私がいなくなったら、張り詰めていた糸が切れてしまうんじゃないかって心配なの」

「おい、そんなこと言うなよ」

「もしもの話よ」


俺に彼女の代わりが務まるのか。今はそんなことはどうでもいい。

一人の男として、惚れた女を安心させたい。その一心で俺はこう答えた。


「任せとけ」

「あなたならそう言ってくれると思った」


彼女の顔が緩んだ時。病室のドアが開かれ、一人の少年が入ってきた。


「お母さん・・・」


授業中だったのだろう息子は学ラン姿で、走ってきたのか肩で息をしていた。


家族が揃う貴重な時間。

この日以降、その時間が訪れることはなかった。


そして、非情にも妻の勘は的中し。

母の死を皮切りに、凌太は学校に行かなくなった。



妻の死から1ヶ月の時が流れた。


半年にも、1年にも感じられた時間だったが、家族に空いた大きな穴を埋めるには、全く足りなかった。

凌太に関しても自力で立ち直ることに期待していたが、今だに引きこもりを続けていた。


妻ならどうするのだろうか。

きっと俺なんかには思いつかない方法で、凌太を救うに違いない。


「いってきます・・・」


その声に返事はなく。

行き場のない気持ちを家に残して、俺は今日も会社へ向かった。



「待ってましたよ」


ガラス張りの高層ビル。

俺の仕事場の入り口で、声をかけてきたのはあの男だった。


「答えは出ましたか?」


RPGの村人のように、タイミングを見計らったような質問。

俺はその答えを、たった今決めたところだった。


「中で話しましょうか」

「はい」


ニヤッと笑って後をついてくる男。

それ対して、俺の表情はひどく暗かった。



「・・・というわけです」


一通り説明を終えた男が、少し冷めたコーヒーを啜る。


男の説明によると、この策を受け入れてくれる高校はすでに見つかっており、ロボットの準備も万端だということだった。


「そのまま進めて貰えますか」

「はい。そのつもりです」


男は満足げに頷くと、何かを思い出したように尋ねてきた。


「そういえば、ロボットの名前がまだ決まってないんですよ。よかったら鈴木さん決めてくれません?」

「名前ですか・・・・」


俺は名前を考えるのが苦手だった。

その相手が一生背負っていくものを決めるのだ。考えるだけで億劫になる。

凌太の名前も妻がつけたものだった。


しかし、この時はすぐに一つの候補が浮かんだ。


「・・・おがわ・・ゆい」


それは、今は亡き妻のペンネームだった。


「おがわゆい。良い名前ですね」


男は気に入ったのか、大変嬉しそうにしている。


「では。今日はこれで失礼しますね」


そう言って立ち上がると、高級な靴を鳴らしながら男は部屋を出ていった。



それから話はトントン拍子で進み。不安定な正義の元、いじめられっ子の身代わりという、前代未聞の策は実施された。


塩月なる男をここまで突き動かす原動力は何なのか。

その答えを俺が知ったのは、それから暫く経ってのことだった。

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