第12話 孤独の女王


「かおりちゃん、おいしい?」

「おいしい・・・です」


白髪混じりのおばさんの問いかけに、シチューを食べる少女が答える。


「・・・ごちそうさま」

「もういいの?」

「ごめんなさい。あんまり食欲なくて・・・」

「そう。なら、しょうがないわね」


悲しそうな表情のおばさんと、食べ残された食材たち。

それらに申し訳ないと思いつつも、少女は手を合わせ、食卓を後にした。



夕食を終えた少女は、部屋で1人おとなしく遊んでいた。


「ちょっとあんた、いつになったら帰ってくるのよ!」


トイレに行きたくなり向かっていると、その声は聞こえてきた。

いつもとは様子が違うおばさんの声に、少女の足が自然と止まる。


「そんなにかかるの!?聞いてないわよ!」


どうやら、おばさんは電話中らしかった。


『ごめんよ姉さん。仕事が忙しくて・・・』

「あのねえ・・・。あんまりこういうこと言いたくないけどね。あんたの子、全然可愛くないのよ。今日だって、私が一生懸命つくったシチューを残したのよ!」

『まあ、そう言わずに頼むよ・・・』


いつもは優しいおばさんの本音に、少女の肩がピクリと震える。


実を言うと、少女はシチューが苦手だった。

もともと牛乳が無理で、あの独特な甘みが、少女の舌には合わなかったのだ。


しかし、おばさんはもちろん。両親さえも、そのことを知らなかった。


「ごめんなさい」


誰に聞かれるでもなく、少女がポツリと呟く。


そして、おばさんと父親の会話に耳をふさぐように、少女は部屋へと戻っていった。


両の目から溢れ出ようとする涙を、必死に押さえ込んで。



少女は孤独だった。


両親は仕事柄出張が多く、幼かった少女は親戚の家を転々とする生活をしていた。


どの家も初めは少女を歓迎した。

しかし、少女の無愛想ともとれる態度が気にくわないのか、大人たちは少女への興味を徐々に失っていった。


そのことに対して少女は自分にも問題があるのだと薄々気づいていたのだが、どうすればいいのかまではわからなかった。


少女は愛され方を知らなかったのだ。


それは、本来受けるはずの両親からの愛が十分ではなかった弊害とも言えるだろう。


そして、愛され方を知らないまま、孤独な少女は中学生になった。



「さっきの授業ずっと寝てたわー」

「私もー。あの先生説明長すぎだよねー」

「だよねー」


授業が終わり、次の授業が始まるまでの10分間。


その限られた時間の中で、訓練を積んだ軍人のように迅速にグループを組み、各々の近況を語り合う生徒たち。


その行動の意味は、自身の存在価値の確認と刷り込みといったところだろうか。

などと、後ろの席からクラスの様子を観察し分析するのは、いつからか私の日課となっていた。


窓際の一番後ろの席。

クラスの全体が見える、人間観察にはうってつけの席を勝ち取った私は、『愛され方』の勉強に励んでいた。


愛され方のプロが繰り広げる技たちを、熱心に見つめてインプットしていく。


まだ一人もいない『友達』ができることを夢見て。



とある日の昼休み。

そのチャンスは案外早くにやってきた。


「ところでさー。最近の委員長、マジでうざくない?」

「わかるー。少しのことで注意してきて先生かよって感じー」

「そうそう。ねえ、佐藤さんもそう思わない?」

「え!?」


勢力を示すかのようにたくさんの机をくっつけ、昼食をとる生徒たち。

その中心と思われる女子生徒にふいに話しかけられ、安定のぼっち飯中の私は、緊張から思わず背筋が伸びた。


こういう時、愛され方のプロたちはどう答えていただろうか。

今まで必死にインプットしてきたものの中から、最適解を探し出す。


「私も・・・・・そう思う」


その結果。私が導き出し、アウトプットしたのは『同意』だった。


「だよね!佐藤さん気が合うじゃん!」


私の答えに満足したのか。女子生徒は私の肩に手を置き、笑顔を見せた。


その笑顔は、子どもが見せる無垢なものではなく。

大人がお金の話をする時に見せるような、薄汚いものだった。



男女の思考の違いについて面白い話がある。

というのも、男性が論理的に行動するのに対し、女性は感情的に行動するというものだ。


例えば人に何か相談をする時。男性は解決策を求めるのに対して、女性は共感を求めることが多い。


この差は、昔の人たちの生活から来ているという説がある。


男が狩りに行っていた時代。その帰りを待つ女は、周囲の人間とコミュニケーションをとる必要があった。

そこで培われた能力が、いまだに受け継がれている、という話だ。


もちろん個人差があり、一概にこうだとは言えないが、この時の女子生徒の問いはまさしくこれだった。


質問の意図は、委員長をうざいと思うか否かではなく、女子生徒の意見に賛同するか否かだったのだ。


そして、この賛同は、女子生徒の仲間になりたいという意思表示と等しかった。



「佐藤さん、これ持ってくれる?」

「・・・うん、いいよ」

「ありがとー」


クラスの中心である女子生徒たちから、移動教室で必要な教科書を次々と受け取る。


空になった両手を頭の後ろで組み、楽しそうに会話しながら移動する女子生徒たち。

その数歩後ろを、たくさんの教科書を抱えて付いていく私。


わかりやすい上下関係の図がそこにはあった。


質問に同意したあの日から。私は、度々あのグループの女子生徒たちから話しかけられるようになった。


その内容は、荷物運びやパシリのようなものが多かった。

しかし、友達のいなかった私は、このことに疑問を持つことはなかった。


むしろ、自分のことを必要としてくれていると、幸せを感じるくらいだった。


そして、そんな日々が続いていたある時。

あの事件は起きた。



「廊下は走っちゃダメでしょ!」


委員長の声が教室に響く。

注意されているのは、私によく話しかけてくれる女子生徒の一人だった。


「はいはい、すみませんでしたー」


反省などまるでしていないような口ぶりで、女子生徒が委員長の説教を受け流す。

委員長はその様子を見て、呆れたようにため息を漏らしていた。



「ああいうのがムカつくって分かんないかなー」

「ほんとほんと」


説教を受けた女子生徒が、席に着くと同時に群がって来た友達に愚痴を漏らしている。


「そろそろ分からせた方がいいんじゃない?」

「確かにそうかもね・・・」


女子生徒たちが何やら不穏な雰囲気を醸し出す。

その視線が私に向いていることに、この時の私はまだ気づいていなかった。



放課後になりまばらになった教室。


「先生が体育倉庫に来て欲しいって」

「体育倉庫に?何の用だろ?」


そこで、花瓶に生けた花の水を替えていた、委員長に話しかける。


「まあいいや。教えてくれてありがとね」


ろくに話したこともない私に、委員長が笑顔で礼を言う。

その笑顔は、純粋無垢な子どものそれと同じだった。


水の入れ替えを終えた委員長は、私の言葉を疑うそぶりも見せず教室を出ていった。

その様子を見届けた私は、ほっと胸をなでおろす。


私が委員長に話しかけたのは、あの女子生徒の差し金だった。


『放課後に委員長を体育倉庫に連れて来て欲しい』


帰りのホームルームが終わると同時に言われた、頼み事と言う名の命令。

私はそれを二つ返事で承諾した。


初めて私を必要としてくれた人の願いを叶えるために、私は委員長を騙したのだ。



「・・・ひどい」


好奇心から、体育倉庫へと向かった委員長の後を追ってきた私は、扉を少しだけ開き、中の様子を見ていた。


体育倉庫の中で行われていたのは、いわゆる『いじめ』というやつだった。

無抵抗の委員長を、数人の女子生徒が囲み、水をかけたり蹴りを入れたりしている。


テレビや話の中でしか聞いたことのなかった光景を目の当たりにし。人間の醜さと、何よりその引き金を引いたのが自分だと言う事実に、吐き気を覚える。


「だれ!?」


扉を持つ手に思わず力が入り、音を立ててしまったことで、こちらの存在に気づいた女子生徒の一人が声を上げる。


「・・・なんだ佐藤さんか。そうだ、今からいいとこだから見ていきなよ」


そう言って笑う女子生徒は、まるで悪魔のようだった。


「なにする気?」

「これを使うんだよ」


隅に置いてあった自分のカバンを漁り、女子生徒が取り出したのはハサミだった。

いまいちピンと来ていない私と委員長を見て、女子生徒が得意げに続ける。


「これで、委員長の綺麗な髪をばっさりいくの」

「・・・!?」


ニタニタと冗談かのように言っているが、その目は笑っていなかった。


「それだけはやめて!!」


先ほどまで無抵抗だった委員長が、人が変わったように声を荒げる。


「そんなに言われちゃ気が引けるなあ」


委員長を見つめる女子生徒は少し考える素振りを見せ、いたずらを閃いた子供のような顔でこう提案した。


「じゃあ、このハサミは佐藤さんに渡すね」

「え?」


戸惑う私をよそに、女子生徒が右手にハサミを握らせてくる。


「それをどうするかは佐藤さんに任せるね」


委員長に聞こえるように大きな声で言った後、今度は私の耳元でこう囁いてきた。


「これからも私たちと一緒にいたいなら、わかるよね」


女子生徒の悪魔の囁きに、心臓が跳ね上がる。



「・・・佐藤さん?」


声を絞り出すように呼びかけてくる委員長に、ハサミを持った私が一歩ずつ近づいていく。

その距離が近づくごとに、私の心臓の音も大きくなっていった。


委員長の目の前まで来た私は、持っていたハサミを開き、委員長の髪を間に通した。

死刑執行を待つ処刑人のような形となった委員長の体は、誰が見てもわかるくらいに震えていた。


「・・・・・やめて」


いつからか抵抗をやめ、泣きながら訴えるだけの委員長。

その姿が、今までの自分と重なる。


私は孤独だった。

両親には愛されず、親戚の人たちからもいらないもの扱いされ、友達もいなかった。

そんな私に出来た、私を必要としてくれる存在。

それを失うことが、今の私にとって一番恐ろしいことだった。


バサッ


私が力を込めると同時に、委員長の髪がひらりと舞う。


「本当にやっちゃったよー」


手を叩いて喜ぶ女子生徒と、泣きわめく委員長。


それは、私の中の何かが壊れた瞬間でもあった。



あの事件から2年ほどの月日が流れた。


私はあのグループの一員としてクラスの中でそこそこの地位を築き、それなりに充実した学生生活というものを満喫していた。


「もうどこ受けるか決めた?」

「私たちの頭じゃ北高しかむりっしょー」

「だよねー」


そんなある日の昼休み。

いつものように机をくっつけ昼食をとる私たちは、いかにも受験生らしい話題で盛り上がっていた。


「香織はどうするの?」

「私もみんなと一緒にしようかな」

「えー。香織は頭良いんだからもったいないよー」

「そうかなー」


少子化の影響で、クラスはそれぞれの学年に1つずつしかなく。効率を重視する学校の意向から、教室は3年間変わらない。

そのため、このグループとは長い付き合いになった。


変わったことといえば、長かった前髪とスカートの丈が共に短く、暗かった髪の色と性格が共に明るくなった、私自身。


それと、花瓶に生けた花が枯れたままになっていることくらいだった。



その日の放課後。


昼休みが終わったあたりから感じていたお腹の違和感を解消するため、私は学校のトイレにこもっていた。


「昼休みのあれ、ナイスフォローだったわー」

「でしょー。ああ言っとけば間違い無いもんね」


用を済まし、個室から出ようとした私の足を、聞き覚えのある声が引き止める。

どうやら、会話の主たちは洗面台の方にいるようだ。


「香織って使えるけど、つまらないもんね」

「そうそう。高校も一緒とかありえないっしょ」


その声は、いつものグループの女子生徒たちのものだった。


友達だと思っていた人たちの、容赦ない『本音』が、私の心に突き刺さる。

その状況が、幼い頃のおばさんの記憶と重なって、トラウマという形で襲いかかってきた。


しかし、あの時とは違って涙は出なかった。

心は傷ついているはずなのに、頭は冷静に状況を整理している。


そのことに気づいた私は、自分のことが少しだけ怖く感じた。



受験を終え、皆とは違う高校に進学した私が最初に行ったこと。

それは、『生け贄探し』だった。


中学校の3年間で1番力を入れた『愛され方』の勉強。

最も重要かつ実践可能な『友達の作り方』として、様々な経験をした私が最終的に導き出した答えは、『力の誇示』だった。


クラスという一つの小さな世界の中で、自然界の絶対的な掟である『弱肉強食』は、色濃く適用される。

そして、その頂点に君臨する者だけが、クラスの『空気』を操作する権限を得る。


だから私は女王を目指すことにした。



力を持たない私が、女王になるために必要な『生け贄』。

それに最適ともいえる人物を、私は入学初日に見つけていた。


何も知らなかった昔の私が勉強に励んだ、窓際の一番後ろの席。そこに座る、おとなしい女の子。


彼女を『生け贄』にする決意と、過去の自分を葬る意を込めて。私は、その席に『デスシート』と名をつけた。


そして、孤独だった少女は、見せかけの女王になった。

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