第11話 標的


次の日の朝。


親父が仕事に出かける音で目覚めた僕は、昨日から一緒に住むことになった小川結衣を起こすため、母が使っていた部屋の前にいた。


「小川さん、そろそろ起きないと遅刻するよ」


ドアを何度かノックし声をかけるが、一向に返事はない。


「・・・入るよ」


痺れを切らした僕が中に入ると、そこには着替え中の彼女が・・・・・なんてことはなく。彼女は本を抱えたまま眠っていた。


その姿は普通の女の子にしか見えなかったが、コンセントに繋がれたコードが彼女の正体を語っていた。


「・・・鈴木くん?」

「小川さんおはよ。朝ごはん食べようか」


寝ぼけ眼の彼女に呼びかけて、部屋を出る。


僕と彼女の新しい日常が、今始まろうとしていた。




「ジャムとマーガリンどっちがいい?」

「・・・どっちも」


マーガリンを塗った食パンに、彼女がジャムを上塗りする。

ジャムオンリーの僕としては共感できなかったが、彼女の知らない一面を知れたことに、僕は些細な喜びを感じていた。


そういえば、朝ごはんを誰かと一緒に食べるのはいつぶりだろうか。

味は同じはずの食パンが、いつもより少し美味しく感じられた。



「そろそろ行こうか」

「・・・うん」


彼女が家に来たことで、早く学校に行く必要性はなくなり、始業時間に合わせて家を出る。


「「いってきます」」


誰もいない家に響く2人の声。


その声色はとても明るく、前向きなものだった。




「このカードをかざしたらあの扉が開くから。僕と同じようにやってみて」

「・・・わかった」


用意しておいたカードを小川結衣に渡し、一足先に改札を抜ける。

振り返ると、辿々しい様子でこちらにやってくる彼女がいた。


「・・・本の中では切符っていうのを使っていたのに、技術の進歩が凄い」

「そうだね・・・」


その技術の最先端こそが彼女なのだが、僕はあえてツッコまないことにした。



「・・・すごい、景色が一瞬で流れていく」


窓から外を眺め、子どものようにキラキラとした表情を浮かべている。

僕からすれば見飽きた光景だが、彼女の目にはどれも新鮮に映っているのだろう。


彼女の姿が、幼き頃の自分と重なる。

今なら、その横で微笑んでいた母さんの気持ちが、少しだけ分かる気がした。


電車で一時間かかる学校までの道のり。

いつもは退屈でたまらないこの時間が、今日はやけに短く感じた。


このままでは、あっという間におじいちゃんになってしまうかもしれない。

そんなことを考えてしまうほど、今の僕は幸せだった。




最寄りの駅で降りた僕たちは、学校の前にいた。


ちなみに、小川結衣が担当していた学校の鍵管理は、親父の計らいで教頭先生が代わりに行うことになったらしい。


名前と顔が一致しない教頭先生に同情しつつ、僕たちは校門をくぐる。



階段を上り、教室へと続く廊下を歩いていると、


「いてっ」


突然教室から飛び出してきた女子生徒とぶつかった。


「ごめん、だいじょう・・・」


謝る僕に見向きもせずに、女子生徒は走り去っていく。


「・・・大丈夫?」

「うん、平気」


女子生徒に無視された虚しさを、小川結衣の優しさでカバーする。


「それにしても、さっきの・・・」

「・・・うん」


僕は、その女子生徒のことをおそらく知っていた。


それなのに彼女であると断定できなかったのは、僕が知っている彼女が、あんな風に泣くところを想像できなかったからだ。



先ほどの事件の余韻からか騒然とした教室。


その事件に完全に乗り遅れた僕と小川結衣は、一番後ろの両端の席にそれぞれ座り、クラスの様子を観察することにした。


「まさか、あの佐藤があんな風になっちまうなんてな」

「まあ、今までの言動を考えたら自業自得だろ」

「女王もああなったらおしまいだな」


小さなグループを組み、ヒソヒソと会話する生徒たち。

その話題の中心となっている佐藤という女子生徒は、かつて小川結衣を執拗にいじめていた人物だった。


小川結衣の時とは違い、彼女を擁護するような意見は全く聞こえてこない。


「香織のことうざいと思ってたんだよねー」

「だよねー」


佐藤の机に乗っかり、脚を組んで気だるそうに愚痴る女子と、それに同意するように頷く数人の女子生徒。

その顔ぶれは、佐藤を主人のように慕い、金魚のフンのように付いて回っていた生徒たちだった。


おおよその状況を把握した僕は大きい溜息をつく。

その反動で吸い込んだ空気は、ひどく重たく感じられた。




「今日も佐藤は休みか・・・。何か聞いてる人はいるか?」

「・・・・・・・」


担任からの問いかけに答える生徒はいない。


事件から3日が経過。

あれ以降、佐藤香織が学校に姿を見せることはなかった。


「都落ちといったところか・・・・・」


朝のホームルームにて、中身のないことを話す担任を遠目で見ながら、ボソッと呟く。


有名なトランプゲームの一つである大富豪にて用いられるルール、都落ち。

大富豪になったものは次も大富豪にならなければならず、それが叶わなければ無条件で大貧民に降格する。


クラスの女王として君臨していた佐藤香織は、僕と小川結衣の下剋上によって都落ちしたというわけだ。


「後味が悪いにもほどがあるだろ・・・」


僕がした行為に後悔は微塵もないが、このような結末は望んでのものではない。

新しくできた悩みの種に、僕は授業そっちのけで頭を悩ませた。




「・・・ちょっと待って」


家に帰り、自室に向かおうとしていた僕を、小川結衣が引き止めた。


「・・・話したいことがあるから、リビングに来て欲しい」


どこか不安げな表情での彼女のお願いを、僕が聞かない理由などあるはずもなく。言われるがままリビングへと向かう。


「・・・佐藤さんのことなんだけど」

「うん」


彼女の方からその話題が出たことに驚きつつ、会話を続ける。


「・・・・・何か私にできることってないかな?」

「それは、できるなら助けたいってこと?」

「・・・そう」


女王から引きずり落とした相手を。自分のことをいじめてきた相手を、彼女は助けたいと言っているのだ。


「小川さんはそれでいいの?」

「私の役目は、いじめから人を守ることだから。それに・・」

「それに?」

「・・・うまく言えないけど、私には佐藤さんが本当に悪い人に見えないの」

「そっか・・・」


それは、一体どのような根拠からくるものなのか。とても気になったが、あえて訊かないことにした。

直接いじめを受けてきた彼女にしか分からないこともあるだろうし。言葉から察するに、彼女自身も分かっていないのかもしれない。


「そういうことなら僕も手伝うよ」

「・・・ありがと」


彼女にもまだ迷いがあるのか、目を合わせようとはしてくれなかった。



有名な心理テストにこのようなものがある。


とある列車が暴走しており、このままでは線路の上で作業している五人の男が死んでしまう。

そんな中、あなたの目の前には列車の行き先を変更するスイッチがある。

そのスイッチを押せば五人の男は助かるが、代わりに変更後の線路上で作業している一人の男が死んでしまう。

あなたはスイッチを押しますか?



どちらが正解だというものではないが、多くの人間はスイッチを押す方を選択するらしい。


しかし、この心理テストには続きがある。



こちらも列車が暴走しており、このままでは五人の男が死んでしまう。

しかし、こちらの線路は一本道で、あなたはその上の橋からその様子を眺めている。

そんな時、偶然通りかかった通行人。

その通行人を橋から突き落とせば、通行人の命と引き換えに列車は止まり、五人の男は助かる。

あなたは通行人を突き落としますか?



もちろんこれにも正解はないが、多くの人間は通行人を突き落とさない方を選択するそうだ。


このように、人は同じ事象でも、そこに自分が関与しているかいないかで、選択が大きく変わってくる。

分かりやすい例で言うと、殺人事件のニュースを見ても「気の毒に」くらいにしか思わないが、その被害者が身内なら『復讐』という選択肢が出てくるだろう。


そして、今回の佐藤さんの件に、僕は思いきり関わっている。

ここで無視ができるほど、僕の心は人間離れしてはいなかった。




次の日の朝。


「先日から休んでる佐藤だが・・・・・転校することになった」


担任の口から告げられた事実に、生徒たちは様々な反応を見せた。

悲しむ者、戸惑う者、表には出さないが喜ぶ者。

その様子を後ろの席から眺めていた僕と小川結衣は、二人揃って複雑な表情を浮かべていた。



放課後になり、デスシートを挟んで会議する2人。

期間はそれほど空いていないはずだが、こうやって話すのは久しぶりに感じた。


「・・・少し遅かったみたいだね」

「まさか、こんな早くに動くとは・・・」


どんな仕打ちを受けても決して逃げなかった小川結衣。

それに対して、佐藤香織はたった数日で逃げ出してしまった。


そんな奴のことは放っておけばいい・・・・と思えればよかったのだが、その引き金を引いたのが自分だということもあり、どうしてもやりきれない気持ちが残る。


「先生に詳しい話を訊いてみようか」


まだ出来ることがあると信じて、僕と小川結衣は職員室へ向かった。



「佐藤を助けたい?」

「はい」


授業を終え、職員室の自分の机で一服していた担任の教師が、僕たちの話を聞いて怪訝な表情を浮かべる。


「でも、佐藤香織はお前のことを・・・・」


小川結衣の方向を向き、担任が途中で言葉を濁す。


「・・・それでも、助けたいんです」

「・・・・・・そうか」


いつになく強気な彼女の態度に押されたのか、担任は簡単に折れた。

その様子を確認した僕は、担任から情報を聞き出すことにした。


「それで何か知ってるんですか?」

「私も今朝聞いたばかりでな。転校先の学校と、日曜日に八幡駅から出発することくらいしか・・・」

「そうですか・・・ちなみに、連絡は佐藤香織本人からですか?」

「え?・・・ああ、そうだが。それがどうかしたのか?」

「いや、なんでもないです。ありがとうございました」


僕のお礼の言葉に合わせて、小川結衣も軽く会釈する。


いまいち納得のいってない担任を残して、僕たちは職員室を後にした。




土曜日の夜。


「そろそろ戻ろうか」

「・・・そうだね」


佐藤香織の旅立ちを明日に控えた僕と小川結衣は、いつもより少し早い時間に、リビングからそれぞれの部屋に戻ることにした。


「なんだもう寝るのか?」


同じくリビングに居た親父が呼びかけてくる。


「明日は用事があるから」

「・・・デートか?」

「そっ、そんなんじゃないよ!」


僕の純粋な反応を見て、親父が満足そうに笑う。

その様子を見て、小川結衣が優しく微笑む。

その連鎖が可笑しくて、僕も思わず笑ってしまう。


「じゃあ、そういうことだから」

「わかったよ。おやすみ」

「ああ、おやすみ」

「おやすみなさい」


親父、僕、小川結衣。

家族3人で挨拶を交わして眠りにつく。


これこそが、僕が望んだ温かい日常。


その代わりに、僕たちが払った代償。


そのしがらみを解消するために。

僕たちは明日、佐藤香織に会いにいく。

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