第14話 塩と砂糖
───時は遡り、土曜日の朝。
佐藤香織の旅立ちを明日に控えた僕たちは、リビングで作戦会議をしていた。
「・・・鈴木くん、見つけた?」
「うーん、確かこの辺に・・・あった!」
テーブルの上に広げられた数枚の紙。
それは以前、親父から小川結衣の正体を聞き出すために用意した、マル秘フォルダの中身をコピーしたものだった。
今頃になってこの紙を見ているのは、再び親父を揺さぶり、お小遣いを強請ろうなどというためではない。
確かではないが、小川結衣の名前が書かれていたこの親父の日記の中に、『かおり』という名前が登場していたことを思い出したからだ。
いじめ対策課の課長が、新しい策の対象であるクラスの生徒の情報を持っていても不思議はない。
佐藤香織の未知の情報があると信じて、親父の日記を読み進める。
「えーと、なになに」
そこにはこう書かれていた。
今日は打ち合わせも兼ねて、塩月さんと飲みに行ってきた。
最初は取っ付き難い人だと思っていたが、お酒の効果もあってか話が盛り上がってしまった。
塩月さんは運動が得意で、最近ゴルフを始めたそうだ。
俺も興味があったので、今度一緒に行くことにした。
塩月さんの話によると、ゴルフクラブなどを一式揃えようと思うとかなりの値段するそうだ。
凌太との会話のきっかけになればとも考えたが、無駄遣いをする父と思われたくないので、黙っておこうと思う。
話は変わるが、塩月さんには、かおりという名前の娘さんがいたそうだ。
詳しくは教えてくれなかったが、3年ほど前に自ら命を絶ってしまったらしい。
いじめ対策課の課長としては理由を知りたかったが、無理に聞き出すのも酷な話だと思い、深入りはしなかった。
そういえば、塩月さんにもらった名刺はどこに消えたのだろうか。
会うたびに貰うのだが、いつもどこかに消えてしまう。
まあ、いいか。今度のゴルフが楽しみだ。
「・・・人違いだったか」
親父の日記に書かれていた『かおり』は、佐藤ではなく塩月だった。
家庭の複雑な事情で名字が変わったとも考えられるが、自ら命を絶ったという文面から、2人は別人だと推測できる。
「どうしようか・・・」
「・・・私、その人知ってるかもしれない」
振り出しに戻ってしまった状況を嘆いていると、小川結衣が意味深な言葉を口にした。
「塩月かおりさんと知り合いなの?」
「・・・ううん。かおりさんじゃなくて、お父さんの方」
それもそうだ。小川結衣の過去を鑑みるに、3年以上も前に自殺した女の子と知り合いであるとは考えにくい。
「何で親父の知り合いと、小川さんが?」
「・・・塩月さんは、私を作った会社の社長さん・・だったはず」
「そういうことか・・・」
言われてみれば、以前の親父の話の中に、そんな名前の人物が出てきた気がする。
塩月という人物が『小川結衣』をつくった会社の社長なら、親父と面識があるのも納得できる。
「塩月さんに話を聞いてみたいな」
「・・・そうだね」
親父と一緒に策を練った人物なら、その策の対象であるクラスの情報を知っているかもしれない。
それに、小川結衣のことについて、しっかりとケジメをつけておかないといけない気がした。
「日記に書いてある名刺があれば連絡できると思うけど・・・」
「・・・それなら、私見たかもしれない」
「本当に!?」
今日の小川結衣は冴えている。
まるで、的確すぎるアドバイスをくれるゲームのキャラクターのようだ。
「・・・ちょっと、待ってて」
そう言い残すと、小川結衣は足早に自室へと向かった。
「・・・はい、これ」
リビングに戻ってきた小川結衣の右手には、一つの名刺が握られていた。
「本当にあった!どこにあったの?」
「・・・たまたま読もうと思った本に挟まってた」
「親父・・・」
親父の物忘れの酷さは筋金入りだ。
どういう経緯で、亡き妻の部屋にある本に名刺を挟んだのか。
とても気になったが、そのことも親父は覚えていないはずなので考えないことにした。
「とりあえず電話してみるね」
「・・・うん」
名刺に書かれてある電話番号を打ち込み、電話をかける。
相手からしたら知らない番号のはずなので、出てくれるか心配だったが、2コールほどであっさりと繋がった。
『はい、塩月です。どちら様でしょうか?』
「初めまして、鈴木凌太と言います」
『鈴木・・・鈴木さんの息子さん?』
「はい、そうです」
『そうか・・・それで何の用かな?』
佐藤香織が転校することになった経緯、その旅立ちが明日であること、そして彼女の情報を求めて連絡したことを、僕は伝えた。
『そういうことね・・・それなら、今から僕の家に来れるかい?』
「え、今からですか?」
『ああ、君とはいつか話をしたいと思ってたんだ』
小川結衣の一件を、塩月はどう考えているのか。
もしかしたら、結果的に策の邪魔をすることになった僕を恨んでいるかもしれない。
「・・・・・わかりました」
『そう言ってくれると思ったよ。場所は・・・』
親父の日記がコピーされた紙の裏に、塩月の家の住所をメモしていく。
『じゃあ、待ってるね』
「はい、後ほど伺います」
通話を終えた僕の顔を、隣で聞いていた小川結衣が心配そうに見つめていた。
「・・・鈴木くん・・大丈夫?」
「大丈夫だよ・・たぶんね」
自信は無いが行くしかない。いつかは通らないといけない道なのだ。
「小川さんこそ大丈夫?」
小川結衣にとって、塩月は生みの親であり、不遇な環境に送り込んだ張本人だ。
その人物に会うことは、小川結衣のトラウマを引き起こすことのように思えた。
「無理そうなら僕だけで行くけど・・」
「・・・ううん。私も行く」
まっすぐな目で訴えてくる彼女。
それを拒む理由を、生憎僕は持ち合わせていなかった。
「じゃあ行こうか」
「うん」
こうして、僕たちは塩月家へ行くことになった。
佐藤香織が女王になった過去を知るために。
「まじかよ・・・」
塩月が指示した場所に建っていたのは、3階建の大豪邸だった。
僕の家も大きい方だが、これと比べると可愛く思える。
『やあ、待っていたよ。どうぞ入って』
チャイムを押したわけでも無いのに、塩月の声がインターホンから聞こえてくる。
よく見ると、玄関の上の方に監視カメラが設置されていた。
(金持ちは金持ちで大変だな)
常に防犯を意識しないといけないのだから、金持ちになるのも考えものだ。
まあ、学生の僕からしたら贅沢な悩みであるが。
ガチャ。
鍵が解除されたのを確認し、大豪邸の扉を開く。
「「お邪魔します」」
緊張気味の僕らの声は、大豪邸に響かせるには少しばかり小さかった。
「いやあ、よく来たね。紅茶でよかったかな?」
「はい、ありがとうございます」
案内されたのは、無駄に広いリビングのような部屋だった。
そこに設置された、どでかいテーブルと、ふかふかな2つのソファ。
その片方に塩月が、向かい合う形で僕と小川結衣がそれぞれ座っている。
「この紅茶は私のお気に入りでね。気に入ってくれると嬉しいのだけど・・」
実のところ紅茶はあまり好きではないが、お邪魔している身であるため飲まないわけにはいかない。
どう見ても淹れたてな紅茶を、気休め程度に息で冷まし、口にする。
「・・・・・おいしい」
「そうだろう!この味が分かるとは、将来が楽しみだね」
それはお世辞などではなく、心からの本心だった。
香り・コク・後味。どれをとっても、今までの紅茶が偽物だったと思えるような、そんな美味しさに溢れていた。
「・・・おいしい」
隣に座る小川結衣も同じように呟く。
食べ物の好き嫌いの話になると「本物の味を知らないからだ」と言ってくる奴が苦手だったが、そういう人を好き嫌いすることは今後止めようと、密かに誓う僕だった。
「それにしても、お父さんにそっくりだね」
「そうですか」
僕の顔をまじまじと見つめ、塩月が感想を述べる。
小さい頃から言われ続けたことであるため、特に思うこともなかった。
「早速ですけど、佐藤香織について訊いてもいいですか?」
「そういうところもお父さんそっくりだ。わかったよ、私が知ってることを全部話そう」
言葉の意味は分からなかったが、教えてくれるということなので触れないことにした。
「あくまで私が調べた話だから、その前提で聞いてね」
「はい」
佐藤香織の両親は家を留守にすることが多く、寂しい幼少期を過ごしたこと。中学校に入学した当初の彼女は、おとなしい性格であったこと。ある女子生徒へのいじめに加勢したタイミングから、人が変わってしまったこと。
塩月が話した内容は、僕の仮説を裏付けるものだった。
「貴重なお話ありがとうございました」
「いや、待ってくれ。この話には続きがあるんだ」
用を済ませ帰ろうとする僕たちを、塩月が引き止める。
テーブルに置かれた飲みかけの紅茶を飲み干すと、塩月はこう続けた。
「中学生の頃の佐藤香織が加勢したいじめの相手は・・・私の娘だったんだ」
「え・・・でも、かおりさんは3年前に自殺したって。まさか・・・」
「そのまさかだよ・・・なんで君が佳織の名前を知ってるんだ?」
あまりの衝撃に口が滑ってしまった。
親父の名誉のために黙っておくつもりだったが、仕方なく事の経緯を塩月に説明した。
「そういうことか・・・鈴木さんらしいね」
親父の杜撰な性格に、塩月が苦笑いを浮かべる。
「ちょっと待っててくれるかい?」
僕と小川結衣を残し、塩月がリビングを後にする。
戻って来た彼は、一冊のノートを手にしていた。
「本当は見せるか迷ったんだけどね」
そう言いながら、塩月がページをめくる。
目的のページが見つかったのか、塩月は手を止め、開いたノートを差し出してきた。
「これは?」
「娘の日記だよ。読んでくれるかい?」
真剣な態度に断るわけにもいかず、テーブルに置かれたノートに目を落とす。
まさか、一日に他人の日記を二人分も見ることになるとは。
貴重な体験であることに間違いないが、不思議と嬉しくは感じなかった。
4月8日 今日から私も中学生!パパはお仕事で入学式には来れなかったけど、帰ったら入学祝いのプレゼントを用意してくれてて、とても嬉しかった!パパを安心させるためにもお友達いっぱい作るぞ!!
4月9日 今日のメインはクラスの係決め。委員長を決める時に誰も手を挙げなかったから、勇気をだして立候補しちゃった!私にできるか不安だけど、これも自分を変えるため。明日から頑張らなくちゃ!
綺麗な文字とパパという呼び方が、彼女の真面目な性格とあどけなさを同時に物語っている。
内容も前向きで、どこかの親父とは大違いだ。
「私の妻は佳織が小さい頃に病気で亡くなってね。私も仕事が大事な時期で、佳織になかなか構ってやれなかった。私がもっとしっかりしていたら、あんな事にはならなかったかもしれないね」
「塩月さん・・・」
家族を亡くし、残された人たちの気持ちは痛いほど分かる。
悔しさを滲ませる塩月は、どこか寂しげだった。
「おっとすまない、何だかしんみりしてしまったね」
暗くなった雰囲気を変えるように無理に明るく振る舞う塩月が、僕の前に置かれた日記のページをめくる。
「続けてここを読んでくれるかい」
塩月が指差すページには、こんな文章が書かれていた。
6月19日 委員長の仕事は慣れてきたけど、お友達がなかなかできない(泣)。委員長になればお友達もできると思ったんだけどな。でも仲良く慣れそうな女の子はいます!いつも一人だけど、クラスのみんなを熱心に見てるんだよね。名前も一緒だしなにか運命を感じる。なにかきっかけがあれば、お友達になれると思うんだけど・・・。
塩月佳織の日記はここで終わっていた。
「丁度この頃だ。佳織が伸ばしていた髪をバッサリ切って帰ったのは」
「それって・・・」
「ああ。後で知った話だが、髪を切ったのは佐藤香織だったそうだ」
友達になりたいと思っていた人物に、無理やり髪を切られる塩月佳織を想像し、胸が痛くなる。
「佳織の髪は妻のとそっくりでね。佳織は、妻が亡くなってから一度も髪を切ってなかったんだ」
「・・・」
「そして、髪を切られた翌日。佳織は自室で首を吊っていた」
場を暗くしないためか、塩月がトーンを落とさないように喋る。
しかし、その顔は誰が見ても分かるほどに曇っていた。
「その後、高校生になった佐藤香織は女王になった。かおりさんの死を受けても、目を覚ますことはなかったわけか・・・」
「いや。佐藤香織は、娘が死んだことを知らないはずだ」
「え?」
塩月の思いがけない発言に、思わず疑問の声が出る。
「佳織が死んだことは学校側に伝えていないんだよ」
「どうして・・・」
自分の娘が、学校で起きたいじめが原因で自殺をしたのだ。
同級生や先生のことを恨むなら分かるが、庇うような真似をする義理はないはずだ。
「それが佳織の願いだったからだよ」
そう言って日記を手に取ると、塩月はページを一気にめくった。
「佳織が首を吊った日。佳織の部屋の机の上に、この状態で日記が置かれていたんだ」
再び僕の前に差し出された塩月佳織の日記。
実の父である塩月によって開かれた、ノートの最後にあたるページには、先ほどまでの綺麗な字ではなく、震える手で書き殴ったような字で、こう書かれていた。
パパへ
パパに一つだけお願いがあります。
このことはクラスのみんなに言わないでください。
彼女は私に似ている気がするから。
最後までわがままな娘でごめんなさい。
パパのこと大好きでした。
ごめんなさい。
文の最後には、涙で滲んだ跡があった。
塩月佳織の想いを知り、やりきれない気持ちが胸に残る。
自分を律することで友達を得ようとした塩月佳織。
他人を蹴落とすことで友達を得ようとした佐藤香織。
孤独だった2人の『かおり』が講じた策は、まるで塩と砂糖のように、相反するものだった。
そして、皮肉なことに、目的が同じであるはずの2人の想いが重なることはなかった。
「佳織がいなくなったことで、私の心は負の感情に支配された。怒りをぶつける相手も、悲しみを分かち合う家族もいなかった私は、自分の立場を利用した愚策を講じてしまった」
塩月の視線が小川結衣に向けられる。
重い空気に耐えかねた僕が、何か喋ろうとした時。
プルルルルルル。
広いリビングに、スマホの着信音が鳴り響いた。
ポケットからスマホを取り出し、相手を確認する。
画面に表示された名前は『親父』だった。
「鈴木さんかい?出てもらって構わないよ」
「すみません」
塩月がなぜ親父と分かったのか気になったが、場の雰囲気を和ますためにも電話に出ることにした。
『おう、凌太。今家に帰ったんだけど、鍵忘れたみたいでな』
「なにやってんだよ」
『なるはやで帰って来てくれ。頼むな!』
電話は一方的に切られてしまった。
「鈴木さんはブレないなあ」
「すみません・・・」
親父の大きな声は塩月の耳にまで届いたらしく、クスクスと笑っている。
親父のおかげで穏やかな空気になったリビング。
親父の物忘れが、初めて人の役に立った瞬間だった。
「「お邪魔しました」」
玄関に移動した僕と小川結衣は、綺麗に並べておいた靴を履き、塩月に挨拶する。
「私の情報は役に立ちそうかい?」
「はい。おかげで道が見えました」
佐藤香織と塩月佳織。
2人の過去を知ったことで、僕のやるべきことが見えた気がした。
「ところで、明日はお忙しいですか?」
「いや、会社は休みだし暇だけど。それがどうかしたかい?」
僕の急な質問に、塩月が疑問を浮かべる。
「それなら、僕たちのケジメを聞き届けてくれませんか」
そう言って、僕はスマホを手に取り、塩月に見せた。
「そういうことか・・・。わかった。君たちのケジメ聞かせてもらうよ」
塩月は感心したように頷いた。
こうして、情報という名の武器を手に入れた僕たちは、翌日決戦の地である八幡駅へと向かった。
一連の事柄にケジメをつけるために。
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