第15話 子どもと大人


───時は戻り、日曜日。


佐藤香織を見送り、八幡駅に取り残される形になった僕と小川結衣。

2人しかいないはずの無人駅に、男の震えた声がスピーカー越しに響く。


『・・次は私の番だな』


落ち着きを取り戻した様子の塩月が、電話越しにポツリと呟く。


『いきなりで悪いけど、今からもう一度私の家に来れるかな?』

「特に予定はないですけど・・・」


実のところ佐藤香織とのやりとりで、僕の脳と心は疲れ切っていた。

できることなら、家でゆっくりしたいところである。


『大事な話があるんだ。君と・・・・・小川君に』

「わかりました」


塩月の真剣な声色と小川結衣の名前が出たことで、僕の心のスイッチが切り替わる。


昨日、塩月家を訪れた際。塩月と小川結衣は一度も会話をしなかった。

空気が重かったこともあるし、2人の過去を考えれば仕方のないことかもしれない。


しかし、僕はこのままではいけないと強く感じていた。

なぜなら、血の繋がりはなくとも、2人は紛れもないであるからだ。


「小川さん、いいかな?」

「・・・うん」


小川結衣の承諾を得たことで、塩月に今から伺う旨を伝え、電話を切る。


先ほどの余韻を、熱を帯びたスマホに感じつつ、僕と小川結衣は八幡駅を後にした。



「さあどうぞ。外は寒かっただろう」

「ありがとうございます」


再び塩月家のリビングに案内された僕らの前に、淹れたての紅茶が振舞われる。

紅茶の美味しさが口いっぱいに広がり、その温もりが冷え切った体に染み渡った。


「いやー、鈴木君と佐藤君のやりとりは痺れたね」


紅茶を飲みながら、今日の感想を語る塩月。

その様子は相変わらず気品を感じるものだったが、赤く腫れた目が、塩月の心情になんらかの変化があったことを示していた。


「それで話というのは・・・」


本題に入る前の中身のない会話が苦手な僕は、タイミングを見計らって話を切り出す。


「おっと、そうだったね」


塩月は少し名残惜しそうに紅茶をテーブルに置くと、視線を小川結衣に移した。


「小川君・・・・・」


含みのある間を置き、真剣な表情と眼差しになった塩月は、続けてこう言った。


「私と一緒に暮らさないかい」

「「・・・え」」


塩月の意外な提案に、僕と小川結衣の反応が重なる。


「いじめを無くすという大義の元、私は君を学校に送り込んだ。そのことで、君が辛い思いをすることなんて、全く考えていなかった。いや、見えていなかったんだ。そのことは、本当にすまなかったと思っている」


一流企業の社長とは思えないほど、塩月が頭を深く下げる。

その姿から、この話が冗談では無いことがひしひしと伝わってくる。


「でも、鈴木君のおかげで気づいたんだ・・・私は寂しかっただけだってね」


妻と娘を亡くしたことで、無限に湧いてくる寂しさと虚しさ。

それらの感情を、正義にも見える行いをすることで紛らわしていたのだろう。


「罪滅ぼしというわけでは無いが、もし君の心が許すなら、親として一緒に暮らしたいんだ」


真剣に訴える塩月の言葉は、小川結衣をロボットではなく1人の人間として捉えていることを感じさせるものだった。


「・・・私は」


それに対する小川結衣の答えは、これまた僕にとって意外なものだった。


「・・・私は人をいじめから守るために生まれてきた。だから、私がいじめを受けるということは、人が生きるために食事をするくらい当たり前のことで。そのことに疑問を感じることすら無かった」


昔のことを思い出すように、どこか悲しげな表情で小川結衣が語る。


「・・・そんな私を変えてくれたのが、鈴木君だったの」


迷子になった子どもが、はぐれた親を見つけた時のように、彼女の表情がパッと明るくなる。


「・・・鈴木君と学校で話すようになって、人の優しさを知った。鈴木君と外に出かけて、違う世界を知った。そして、鈴木君と一緒に住むようになって、家族の温もりを知った」


そこで一度言葉を切ると、塩月の目を見つめてこう続けた。


「・・・鈴木君と鈴木さんみたいな関係を築けるなら、私も塩月さんと家族になりたい」


小川結衣が僕のことをそんな風に思ってくれていたことが、僕は単純に嬉しかった。

今まで僕がしてきたことは無駄ではなかったと、心が救われた気がしたのだ。


「そうか・・・」


小川結衣から隠すように、塩月が肘をテーブルにつき、手で目を覆う。

僕の方からうっすらと見えた塩月の目には、大粒の涙が溢れていた。


「鈴木君もそれでいいかな?」


先ほどよりも赤く腫れた目の塩月が、僕に尋ねる。


「もちろんです。それが小川さんの望みなら」


本人に自覚は無いようだが、小川結衣の思考には、いじめられ役だった頃の名残を感じさせるものが未だにある。

佐藤香織と友達になろうとした理由がいい例だ。


その刷り込まれた意識が、塩月と暮らすことで無くなる可能性は高い。

僕が小川結衣を送り出す理由は、それだけで十分だった。


「そうと決まれば、佳織たちにも報告しないとね。君達も来てくれるかい?」


揃って頷く僕と小川結衣。


案内された部屋は、洋風のリビングと打って変わり、何処か懐かしさを感じさせる和風の部屋だった。


畳と線香の匂いが充満した和室。

その隅に置かれた仏壇の前で、僕たち3人は目を瞑って正座をする。


「「「・・・・・」」」


仏壇に置かれた2つの写真。

そこに移っている2人の女性の笑顔は、新たに家族になった小川結衣を歓迎しているようだった。


「ありがとね・・・」


囁くように発せられた塩月の発言は、誰に向けられたものだったのか。

尋ねるのも野暮な気がして、僕は目を瞑ったまま挨拶を続けた。


「そうだ」


何かを閃いたような塩月の声を合図に、僕と小川結衣の目がほぼ同時に開かれる。


視界に現れた塩月の手には、女性用のヘアゴムが握られていた。


「これを貰ってくれないか」

「・・・これは?」

「入学祝いで佳織にプレゼントしたものだ」


ピンクの可愛らしいヘアゴムを、塩月が小川結衣に渡す。


「・・・でも、これって大事な物なんじゃ」

「あの日。このヘアゴムは、佳織の日記と一緒に置いてあってね。佳織もこうなることを望んでいると思うんだ」

「・・・そういうことなら」


ヘアゴムを受け取った小川結衣が、自身の髪を綺麗に結んでいく。


「・・・どうかな?」

「「・・・・・」」


感想を求められた男2人が、揃って言葉を失う。

それは、彼女が可愛かったからということもあるが、仏壇に飾られた写真の塩月佳織と瓜二つだったのだ。


「かおり・・・」


再び泣き出しそうになる塩月と、その反応に首を傾げる小川結衣。

その光景を見た僕は、直感的に2人が良い親子になれる気がした。


「小川さん、似合ってるよ」

「・・・ありがと」


僕の感想に、小川結衣が照れたように返事をする。

その笑顔は、もう1つの写真に写る、塩月の妻の面影を感じさせるものだった。



「それじゃあ、今日は帰りますね」

「ああ。鈴木さんにもよろしくね」


玄関に移動し、塩月と別れの挨拶を交わす僕と小川結衣。

塩月と暮らすことになった小川結衣だが、荷物の整理や親父への挨拶などを理由に、今日は僕の家に帰ることになった。


「あ、そうだ。鈴木君」


ドアノブに掛けようとした僕の手を、塩月の声が引き止める。


「・・・・・いや、なんでもない。気をつけてね」


珍しく歯切れの悪い塩月を疑問に思いつつも、「わかりました」と返事をし、僕と小川結衣は塩月家を後にした。


ガチャ。


広すぎる大豪邸に、ドアが閉まる音が響いた。


「はあ・・・」


家族になることを許された安堵や、これからの不安など、様々な感情のこもった溜息を塩月が漏らす。


2人が出ていったことを確認すると、塩月は徐にポケットからスマホを取り出し、通話履歴の一番上に表示された人物に電話を掛けた。


「もしもし」

『はい、もしもし』

「先ほどの件ですが、なんとか小川結衣と一緒に暮らせることになりました」

『そうですか、それは良かった』


塩月の報告を聞き、自分のことのように喜ぶ通話相手の男。

その男は、小川結衣の現保護者であり、名付け親でもある。鈴木凌太の父親だった。


鈴木凌太と小川結衣の『ケジメ』を聞き届けた塩月は、それによって固まった決意を、電話を通して鈴木に伝えていたのだ。


「これも鈴木さんのおかげです。ありがとうございました」

『俺は何もしてませんよ』

「そんなことないですよ。昨日の電話も私を気遣ってのことだったんでしょう」

『何のことですか。俺は鍵を忘れて困っていただけです』

「そういうことにしておきますよ」


息子と似て不器用かつ強情な鈴木の態度に、塩月が呆れたように笑みを漏らす。


昨日、鈴木凌太と小川結衣が塩月家を訪れることが決まったタイミングで、塩月はそのことを鈴木に報告していた。

それは大人として当然の対応であるが、ただ単に『気まずい』という面も含まれていた。


そして、その『気まずさ』を悟った鈴木による絶妙なタイミングでの電話が、今日の結果に繋がったと言っても過言ではなかった。


『ところで、あのことは凌太に伝えたのですか』

「・・・・・いえ、言えませんでした」

『そうですか』


『あのこと』の内容を表現するように、あからさまに2人の声が低くなった。


「いろいろ考えたのですが、大人があれこれ口を出すよりも、子どもたちに考えさせる方が良いのかもしれませんね」

『塩月さんがそんなことを言うなんて、変わりましたね』

「そうですか?子どもの成長は早いですからね。私たち大人も頑張らなくては」

『全くです』


過去の自分たちを思い浮かべ、笑い合う2人。


人は、追い詰められると周りが見えなくなる生き物である。

初めて会った時の鈴木と塩月は、まさにその状態であった。


家族を失ったことで狭くなった視野。

その視野を再び広げてくれたのも、家族だった。


家族という、陳腐でありながら稀有な存在が。

2人を苦しめ、引き合わせ、救ったのだ。


「そういえば、息子さんにゴルフのことバレてましたよ」

『え?』

「何でも鈴木さんの日記を見たとか。今日はお寿司でも買って帰った方がいいかもですね」

『・・・・・そうします』


ご馳走で機嫌を取る鈴木の様子を想像し、笑い出す塩月。

それに釣られて笑う鈴木。


長年2人を苦しめていた柵が、完全に消えた瞬間だった。


「ではまた」

『はい。また』


電話を切り、1人になった塩月。


「佳織の部屋、掃除しないとな」


誰に聞かれるでもない独り言は、遠足を明日に控えた子どものように、期待に満ちたものだった。

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