第17話 誓い


自宅の台所。


電気ケトルに水を注ぎ、所定の位置にセットする。

シンクには洗い物が溜まっており、手を洗うこともままならない状況だ。


「これでいいか・・・」


棚から適当にカップラーメンを取り出し、下準備を進めていく。


小川結衣と遊園地で過ごしたクリスマス。

『残された時間は卒業まで』と告げられたあの日から、すでに数日の時が経過していた。


念のため、塩月に事実確認を行ったところ、寿命の件は紛れも無い真実であり、今の技術ではそれが限界とのことだった。


「はあ・・・」


今まで数々の問題を解決してきたが、今回のは少し毛色が違う。

というのも、明確な『悪』が存在しないのだ。


『悪』と一括りにするのも違う気がするが、今までの問題は戦う敵が、向き合うべき相手が存在した。


しかし、今回はそれが存在しない。言ってしまえば誰も悪くないのだ。


(今までしてきたことは間違ってたんだろうか・・・)


八方塞がりな状況に、思わず弱気な考えが浮かぶ。


フツフツフツ・・・・・カチッ


僕の心情を体現するように。

電気ケトルから騒がしく聞こえていた沸騰音が、ピタッと鳴り止んだ。



冷蔵庫から取り出した2リットルのお茶を脇に挟み、お湯を注いだカップラーメンを両手で持って自室へと向かう。

扉を足で器用に開けると、好き放題に散らかった部屋が姿を現した。


飲みかけのペットボトルに、食べかけのお菓子。

クリスマスに来ていた服も、そのままの形で脱ぎ捨てられている。


それらを足で隅においやりスペースを作ると、運んできた食料を床に置き、テレビの電源を点けてその場に座り込んだ。


『あなたならできるはず!頑張って!!』


テレビから聞こえてくる、ベテラン声優の迫真の演技。


撮り溜めておいたアニメを消化しながら、カップラーメンを胃の中に入れていく。

面白いとネットで話題になっていた作品だが、今の僕の頭には内容が全く入ってこなかった。


現実とはなんて残酷なものだろうか。

悪いことをした覚えなどないのに、願ってもいない困難が次々と降りかかる。


よく『人生はゲーム』と例えることがあるが、それは順序が逆であると僕は考える。

何故なら、ゲームを作っているのが人間である以上、そのモチーフとなるのは、その人が経験してきた人生であるはずだからだ。


生きる過程で起こる『現実』と、そこで起こって欲しい『妄想』。

この2つを組み合わせて、1つの『世界』を作り出す。


つまり、人生の面白い部分だけを抜き出したものがゲームというわけだ。


そして、僕たちが人生を歩んでいる、この世界を作ったのは『神』とされている。


もしも、この世界を創造した神が、僕の人生のシナリオを書いた神が本当にいるのなら。そいつはろくでもない人生を歩んできたか、相当に意地が悪いかのどちらかであろう。


もっとも、神なら人生ではなく神生と呼ぶべきであり、その読み方や内容は人間である僕の知るところではないが。


カァーカァー


カラスが鳴き始め、カーテンの隙間から朝日が差し込む。


「もうこんな時間か・・・・・」


カップラーメンの残骸をゴミ箱に捨て、お茶で口の中をリセットすると。

新しい朝が来ることを拒むように、僕はベッドに潜り込んだ。



・・・・・ルル。プルルルルルル。


枕元に置いておいたスマホから聞こえてくる着信音。

一定のリズムで鳴り続ける音が、僕を夢の世界から現実へと引き戻す。


「もしも・・」

『もしもし!』


やっとの思いで電話に出た僕の声に被せるように、電話相手が食い気味に話してくる。

僕の連絡先を知っているのは、親父と塩月と小川結衣くらいのはずだが、スマホから聞こえてきたのは小川結衣とは違う女性の声だった。


「えーと・・・だれ?」

『さとうよ!さとうかおり!!』


佐藤香織。電話の相手は確かにそう名乗った。


小川結衣の正体を知っており、小川結衣のことを僕とは違った視点から見てきた人物。

彼女なら、僕には見えなかった解決の糸口を探し出せるかもしれない。


直感的に僕はそう感じた。


『てか、その声・・もしかして今まで寝てたの?』

「・・・そうだけど」

『嘘でしょ!?何時だと思ってんの!しかもこんな日に・・・』


日が沈むと同時に目覚め、昇ると同時に眠りにつく。

今では『通常』となったこの生活リズムも、普通の人から見ると『異常』らしい。


この世界の『普通』は難易度が高すぎる。

それでも一向に修正しようとしない『神』は、やはり無能なのかもしれない。


「それで用件は?」

『えーと、小川さんのことなんだけど・・・』


佐藤香織の話によると、彼女は現在こちらに帰ってきており、買い物に出かけた際に小川結衣とばったり出会したそうだ。

そこでちょっとした会話を交わしたのだが、小川結衣の元気がないことに気づき、その理由を知るために僕に電話を掛けてきたらしい。


ちなみに、僕の連絡先は、小川結衣に適当な理由をつけて聞き出したそうだ。


『それで、心当たりはあるの?』

「・・・・・うん」


佐藤香織の問いかけに、少しの間を置いて素直に答える。


小川結衣に寿命の話を聞いた後、動揺した僕はあからさまに喋らなくなった。

その変化を見逃さなかった小川結衣は、その事をずっと気にしていたのだろう。


塩月のことは専門家と言い換えるなどの考慮をし、僕は事の経緯を佐藤香織に説明した。


『なるほどね・・・・・それで?』

「え?」

『それで、あなたはどうしたいの?』

「だから、その問題を解決した・・」


「はぁ。」と電話越しに聞こえてきたため息に、僕の言葉が遮られる。


ありきたりの事しか喋らない就活生にうんざりする面接官のような口調で、佐藤香織はこう続けた。


『なんで専門家が解決できない問題を、あなたが解決できると思ってるの?』

「それは・・・」


佐藤香織の言い分は紛れもない正論だった。

専門的な知識のない僕が、どうこう出来る問題ではないのだ。


でも、だからといって受け入れられる話でもない。

僕は、彼女が1人の女の子として幸せになることを望んでいるのだ。


『小川さんも、解決できない問題だと知ってるはず。それでもあなたに話した。そこには、違う意味があるんじゃない?』

「違う意味・・・」


小川結衣が寿命のことを僕に打ち明けた理由。

それは僕が全く考えていなかったこと。いわゆる盲点というやつだった。


「そっか・・・ちょっと分かった気がするよ」

『そう、それは良かった』


真っ暗で何も見えなかった世界に、明るい出口がうっすら見えた気がした。


「ありがとう。佐藤さんって意外と優しいんだね」

『意外ってなによ。と・・友達なら当然でしょ!』


かつての女王が見せる優しさに、僕の心が温まる。


『あっ、友達って小川さんのことだから勘違いすんなよ』


前言撤回。

どうやら、僕の心を癒してくれるのは、小川結衣だけらしい。


『小川さんは、私には何も話してくれなかった。悔しいけど私じゃ役不足ってわけだ』


選ばれなかったことを嘆くように、過去を悔やむように、佐藤香織が語る。


『だから、小川さんのこと本当に頼んだよ』


それは、佐藤香織が旅立った日にも言われた言葉だった。


「わかった。僕にできること考えてみるよ」


今の僕にできること。

それがなんなのかはまだ分からないが、きっと何かあるはずだ。


『今度小川さんを悲しませたら、私がケジメつけにいくから』


同じ言葉でも、発する人物が変わると意味が違うように聞こえることがある。

佐藤香織がケジメと言うと、ボコボコにされそうな感じがした。


「・・・尽力します」


そんなことが起きる未来が来ないことを祈り、決意の言葉を口にすると、通話はそこで終わった。


友達のいない僕の連絡先に、4人目の人物が追加された。



「違う意味か・・・」


シャワー口から勢いよく出るお湯が、僕の身体を打ち付ける。

それは、怠けた僕の精神を叱咤しているようだった。


佐藤香織との電話の後、2つの意味で目を覚ますため、僕はシャワーを浴びていた。

シャワーのようなルーティンワークは、考え事にうってつけだ。


『私の命は卒業までらしいの』


小川結衣が僕に秘密を打ち明けた、本当の理由。

うっすらとは見えた出口だが、そこにたどり着く方法はまだ分からない。


「母さんの部屋を調べてみるか」


小川結衣が僕の家に住んでいた際に使用していた、母の部屋。

そこには、彼女の本心が分かるような手がかりが残っているかもしれない。


シャワーの効果で冴えた頭が導き出した、1つの答え。

元々冴えない頭ではあるが、この時に出した答えは、結果的に正解であった。


お湯を止め、火照った身体をタオルで拭いていく。

髪の毛は気持ち程度に乾かして、水が滴るただの男は、母の部屋へと向かった。



「おー、凌太。起きてたのか」


母の部屋には先客がいた。

現在この家には2人の男が住んでおり、僕以外の人物となればあの男しかいない。


「何してんだよ親父」

「掃除だよ。見りゃ分かるだろ。掃除だよ」

「そんな俳句を詠むみたいに言われても・・」


親父の格好は、下は白色のももひきで、上は赤色のはんてん。

掃除を連想させる要素といえば、顎にかけられたマスクくらいだった。


何も言われなければ、風邪をひいたおじさんにしか見えない。


「そういえば、これお前のじゃないか?」


僕にツッコむ時間を与えない。

そんな親父が手にしていたのは、一冊の本だった。


「ああ、そうだわ」

「大事にしろよ。母さんがくれたやつだろ」


それは、生前に母が書いた本。

僕の決意を親父に伝える時、背中を押してくれた本。


親父が僕に手渡した本の題名は、『僕はロボット』だった。


「ん?」


手渡された本に、ちょっとした違和感を覚える。

その違和感の正体は、本に挟まれた見覚えのない栞だった。


「これ親父の?」

「いや、知らんなあ」


以前僕が読んだ時には挟まっていなかったので、母のものでもないはずだ。

記憶力のない親父なので、単に忘れている可能性もあるが。その場合を除くと、考えられる人物は1人しかいない。


「そうだ、あの時・・」


僕が小川結衣に本を借りていた時、僕も彼女に本を貸していた。

その時の本が、この『僕はロボット』だったはずだ。


「ちょっと、部屋戻るわ」

「おう、気をつけてな」


自室に戻るだけなのに、何に気をつけるのか分からないが、特にツッコみはしない。


思い出の本を片手に、僕は母の部屋を後にする。

この本こそ、出口に辿り着くために必要なアイテムな気がしてならなかった。



自室に戻った僕は、机と同じ茶色の椅子に腰掛け、ホコリかぶったスタンドライトの明かりを灯した。

小川結衣が残したであろう栞が挟まっていたページを開き、以前読んだ時の記憶を辿りながら、文字を追う。



物語の終盤。

自分がロボットだと気付いた主人公は、極度の人間不信になり、周りの人間を拒絶してしまう。

それは、感情を理解させてくれた女の子も例外ではなく。主人公は悩みを1人で抱え込み、友好関係を築けつつあった人たちは、自然と離れていった。

しかし、女の子だけは意地として主人公の側に居続け、不安定な心を支えた。

その結果、主人公はなんとか立ち直ることが出来たのだ。



「そういうことか・・・」


読んでいた本を机に置き、椅子から立ち上がる。

うっすらとしか見えていなかった出口が、はっきりと見えた気がした。


「ちょっと、出掛けてくるわ」

「おう、頑張れよ」


母の部屋で作業を続けていた親父に声を掛け、家を飛び出す。


先ほどは的外れだった親父の言葉だが、今回はやけに的を射ていた。




「もしもし、おが・・ゆい!今どこ?」

『・・・家だけど。どうかしたの?』

「わかった。今から行く!」


一方的に電話を切り、僕は走り出す。

塩月家はそこそこ離れているが、走って行けない距離ではない。


「はあ。はあ」


早まる心音と呼応するように、次々出てくる白い息が、冬の夜に消えていく。


シャワーで温もったはずの体から、体温が徐々に奪われていく。

熱を取り戻すため、僕の足はさらに加速する。


こんな風に誰かのために走る日が来るなんて、少し前まで思いもしなかった。

こんなアニメの主人公みたいな展開が、僕の人生に起きるなんて考えもしなかった。


これも全部彼女の所為であり、彼女のおかげだ。


彼女がいたから、僕は優しくなれた。


優しさは余裕のある人間にしか生まれない。

余裕のある人間は視野が広がり、起きた事の裏側に様々な可能性を考えることが出来るからだ。


例えば、授業中に居眠りしている生徒がいれば、真面目な性格の人間は怒るだろう。

しかし、その生徒が夜な夜な悪と戦う正義のヒーローなら、このくらいは許してやるかと思えないだろうか。


極端な例ではあるが、人はそれぞれ何かを抱えて生きている。

その種類や大小に違いはあれど、必ずだ。


その可能性を考え・考慮できる余裕があって、初めて慈悲の心は芽生える。

余裕のない人間が見せる優しさのような振る舞いは、自尊のための自己保身でしかない。


そして、その可能性の大きさを見せつけ、僕の心に余裕を持たせてくれた人が、小川結衣だった。


同級生にロボットがいるなら、ヒーローと同じ授業を受けている事だって有り得ることのように思えたのだ。


「ぜえ。ぜえ」


運悪く信号に引っかかり、近くにあった電柱に体重を預けて息を整える。


ここ数日の引きこもり生活が仇となり、早くも体は悲鳴をあげていた。

しかし、彼女の心の痛みに比べれば、こんなものはどうってことない。


彼女が求めていたのは、問題の『解決』なんかではなく、『安心』だった。

どうしようもない問題を共有し、理解し、支えてくれる存在。


自分の存在が消えてしまうのだ。怖くないわけがない。

それなのに、彼女はロボットだという『認識』が、彼女は大丈夫という『過信』を生んでしまっていた。


そして、何も見えていなかった僕は、彼女の望みと真逆の行動をしてしまった。


不安な時に支えてやれないで、側にいて欲しい時にいてやれないで、何が守るだ。


信号が青に変わり、再び走り出す。


「待ってろおおおお!!ゆいいいい!!!」


自分自身を鼓舞する意味も込めた僕の叫びが、夜の街に響いた。



「やっと着いた・・・」


塩月家が見えたことで、ゴールに合わせるようにスピードを徐々に落としていく。


「凌太!?」


突然玄関前に現れた、今にも倒れそうな僕を見て、小川結衣が目を丸くする。

彼女に声を掛けたいのに、酸素が足りず、思うように喋れない。


両膝に手を置き、背中を激しく上下させ、必死に息を整える。

自然と低くなった視界に、彼女の綺麗な手が映り込んだ。


(真っ赤じゃないか・・・)


彼女の両手はひどく悴んでいた。

きっと、僕が電話した瞬間からずっとここで待っていたのだろう。


彼女を安心させるために来たのに、また不安な気持ちにさせてしまった。

考えの至らない自分の不甲斐なさに腹がたつ。


「ゆい!」

「はい!」


彼女の冷えた手を両手で包むように握り、彼女の目を見て、彼女の名前を呼ぶ。

思わず大きくなってしまった僕の声に驚いたのか、彼女の背筋がピンと伸びた。


「母さんが死んだあの日から、僕の世界は色を失っていた・・・。でも、君と話すようになって、いろんな困難を一緒に乗り越えて・・。君と過ごした時間が、僕の世界に少しづつ色を付けていったんだ」

「・・・・・」


最初は戸惑った様子の彼女だったが、僕の本気が伝わったのか、今は僕の目を見つめ返して真剣に話を聞いてくれている。


「君の存在が僕を救い、勇気づけ、守ってくれた。だから今度は僕の番だ。これからは僕が・・・俺が、君を守るから!!」


決意の強さを示すように変化した一人称。

手を握ったままの俺の言葉を聞き届けた彼女は、潤んだ瞳で「うん」と頷いた。



『あーあー。大変良い雰囲気のなか申し訳ないけど、人の家の前で、人の娘とイチャつくのは止してくれるかな』


インターホンから聞こえてきた男の声に、自らの状況が客観視され、握っていた手を慌てて離す。


「・・いつから聞いてたんですか!?」

『「やっと着いた」のあたりかな』

「全部じゃないですか!!」


玄関の上の方に設置された監視カメラ。その存在がすっかり頭から抜け落ちていた。

それにしても音声まで拾えるとは、塩月の危機意識の高さを改めて思い知らされた。


『そんなことより、中で蕎麦でも食べないかい?時間も丁度良いしさ』

「そば?じかん??」

『なんだ、やっぱり気づいてなかったのかい。スマホでも見てごらん』


言われた通りにスマホを取り出す。

そこには、『1月1日 0:00』と表示されていた。


「まじか・・・」


佐藤香織がこんな日と言ったり、親父が掃除をしていた理由が今になって分かった。

時の流れは残酷だ。人の感情なんて露知らず、勝手に無慈悲に流れていく。


「凌太、変な顔」


驚愕する僕を見て、小川結衣がおかしそうに笑う。


まあ良いか、彼女が笑ってくれるなら。

そう思って、俺も笑った。


「あけましておめでとう」


玄関の扉が開かれ、晴れやかな面持ちの塩月が顔を出す。


俺が決意を打ち明けると同時に、年も明けてたわけか。

神もなかなか粋な演出をしてくれる。


「おめでとうございます」


塩月の挨拶に対し、新しい年と新しい自分を祝う言葉を贈り返す。


この世界も捨てたもんじゃないな。

そんな風に思えた除夜の出来事だった。




「初詣に行こうか」


年越し蕎麦をご馳走になり、リビングでくつろいでいた俺と小川結衣に塩月が話しかける。

ちなみに、小川結衣は佐藤香織と出会した時、この蕎麦の買い出しに行っていたらしい。


のおかげで、俺は今彼女のにいれるわけだ。

あまり上手くないので、口には出さないことにした。


「俺も一緒で良いんですか?」

「もちろん。と、その前に・・・」


「ちょっと待っててね」と言い残して、塩月は小川結衣を隣の部屋に連れていく。

しばらくすると、塩月だけがリビングに戻ってきた。


「結衣はどうしたんですか?」

「まあまあ。せっかちな男はモテないよ」


いかにも経験豊富そうな塩月に、経験皆無の俺は何も言い返せず、素直に待つこと数十分。


「これでいいの?」


隣の部屋から出てきた小川結衣の姿に、俺の身体は呼吸を忘れた。


奥ゆかしさを全体に纏いながら、襟から覗くうなじが背徳感とエロスを匂わせる。

振袖姿の小川結衣は、大和撫子の言葉がぴったりであり、お世辞抜きで眼福の極みだった。


「塩月さん。これは写真に収めておかないと人類の損害ですよ」

「ほんとだね。責務を全うせなば」


塩月が一眼レフを持ち出して、俺はスマホを構える。小川結衣の撮影会が始まった。



「さあ着いたよ」


塩月の合図で、俺と小川結衣が車から降りる。

撮影会を終えた俺たちは、塩月の運転する車で近くの神社を訪れていた。


「・・・こんな時間に人がたくさん」


いつもならあり得ない光景を、小川結衣が驚いた様子で眺めている。

有名な神社ほどではないが、深夜とは思えない賑やかさが非日常感を高めていた。


「思ったより冷えるし、早速お参りしようか」


塩月の言う通り、外は凍える寒さだ。

拝殿に続く坂道を、寒さから身を守るように、背中を丸めて歩く。


坂道の最後を飾る石段を上ると、さほど長くはない列をなす参拝客の姿があった。


その最後尾に並び、先に参拝する人たちの様子を観察する。

初詣に来るのが久しぶりであるため、先人から作法を学ぼうという魂胆だ。


礼や拍手の回数、賽銭の金額、作法の順序。

観察してみると、細かい部分は人それぞれであることが分かった。


『作法も大事だけど、本当に大事なのは気持ちよ』


幼い頃。家族で初詣に来た時に、母がそんな風に言っていたことを思い出した。


(気持ちか・・・)


確かに、作法はバラバラであるが、祈りを捧げる顔は共通して真剣であった。

母の言葉は物事の本質を突いているような気がして、俺は未熟なりに深いなと感じた。


「凌太、次だよ」


初めての初詣に初々しい笑顔を見せる小川結衣。

振袖と笑顔のコンボは、神も驚くほどに強烈だった。



「えいっ」


先陣を切った塩月に続いて、小川結衣が5円玉を賽銭箱に投げ入れる。


昔から思っていたのだが、神様を祭り上げ願いを叶えてもらうという考えを否定するつもりはないが、その対価が5円というのは如何なものだろうか。


『御縁がありますように』という日本人が大好きな洒落であることは重々承知しているが、5円で買える縁なんて高が知れているような気がする。


ひねくれた考えの末、俺は財布から500円玉を取り出し、賽銭箱に投げ入れた。

その心は、最大の効果(硬貨)を得るためである。


(彼女を守れる存在になります)


俺が神に告げたのは、『願い』ではなく『誓い』だった。


この『想い』は、自分で成し遂げることに意味があると考える。

故に、神に叶えてもらうのではなく、神の耳に入れておくことで、逃げ道を封鎖しようというわけだ。


「そういえば、宿題の方は大丈夫かい」

「・・・・なんでそのことを?」

「鈴木さんに聞いてね。なんでも全く手をつけていないとか」


塩月に耳元で囁かれ、思い出される忘れたい現実。

小川結衣の件もあり、冬休みの宿題は真っ白のままであった。


(これは『願い』の方でお願いします)


帰ったら宿題が終わっていることを夢見て。

俺は、追加で5円玉を投げ入れた。

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