第18話 卒業
ホームのはずなのに足が地についていないような、そわそわとした雰囲気を感じる教室。
いつも通りを装う者。感極まって泣きそうになる者。最後だからとふざける者。
様々な思いが詰まった今日という日は、学生にとって切っても切れない大切なイベント、卒業式が行われる日であった。
小川結衣を巡る一件があったのが高校1年の冬。
あの頃より2階分高くなった窓からの景色が、季節が2度巡るだけの月日の流れを感じさせる。
「結衣ちゃん卒業おめでとう!」
「・・・みんなもおめでとう」
小川結衣の席の周りに、数人の女子生徒が集まっている。
小川結衣を守ると神に誓ったあの日から、俺は2つのことに力を入れてきた。
その1つが『クラスでの居場所の確保』である。
その意図は、小川結衣の学生生活を充実したものにするためだ。
居場所を作るために効果的な方法は、『役割』を持つことである。
社会でいうところの、物を作る人・加工する人・運ぶ人・売る人のように、物事を円滑に進めるには役割というものが重要となる。
何事も1人で全部しようとすれば大変だが、複数人で分担すれば効率が上がるものだ。
その分、連携が難しいという問題点もあるが、それを差し引いてもどちらが良いかは明確である。
そこで、俺は小川結衣に『マスコット』という役割を与えることにした。
誰でも知ってるようなことを知らないところ。読書中の無口な彼女と普段の彼女のギャップ。見た人の心を癒す純粋無垢な笑顔。
彼女と過ごしてきた時間が教えてくれた、彼女の魅力の数々。
彼女なら誰からも愛されるマスコット的な存在になり得ると、俺は考えたのだ。
しかし、そのためには、彼女の魅力をクラスのみんなに知ってもらう必要があった。
そこで、俺は彼女をプロデュースする役を買って出た。
彼女が活躍する舞台を整えるため、行事に積極的に参加したり、クラスの委員長を務めたりと、俺が出来ることは何でもした。
その結果、その効果は徐々に現れ、今では俺の目論見通り彼女はクラスの人気者になっている。
さらに、彼女のために動いていた俺の姿を気に入ってくれた人もおり、友達と言っても過言ではない間柄になった。
本人にその気がなくても、頑張っていれば見ている人は意外といるものである。
初めて見るものに対して拒否反応を示す人は多い。
それは、得体の知れないものに対する恐怖から生まれるものだ。
クラスのみんなにとって、俺と小川結衣はその得体の知れないものだった。
この2年間の俺の行いは、その恐怖を取り除くためのもの。
小川結衣のことを知ってもらうことで、『得体の知れないもの』から『愛せるもの』にするための期間だった。
長い道のりだったが、振り返ってみると充実した日々だったと満足する自分がいた。
「凌太、そろそろ行かないと遅れるぞ」
「わかった。今行く」
先ほど紹介した友達に声を掛けられ、席を立つ。
どうやら時間が無いようなので、2つ目は後ほど紹介することにしよう。
「結衣。行こっか」
「・・・うん」
胸に花を刺し、髪を綺麗にセットした彼女と共に、卒業式の会場である体育館へと向かう。
雲一つない晴天は、俺たちの門出を祝っているようだった。
「皆さん本日はご卒業おめでとうございます・・・」
初めて見るお偉いさんの有難いお言葉に、座礼という形で敬意を表す。
名前も知らない、ましてや思い入れなんてあるはずもない高校生に、十数分も悠然と語る姿は素直に尊敬に値した。
俺は、卒業式などの式典で多く見られる、形だけの意味のないやり取りが嫌いだ。
先ほどの年配の方の挨拶も、要約してしまえば「誰か知らんけど、とりあえずおめでとう」で済む話である。
もちろん式典という文化を全否定しているわけではない。
文化の中には先人が残してきた素晴らしいものも数多くあり、それを受け継ぐことは今を生きる人の義務である。
しかし、受け継ぐに値しない文化も確かに存在する。
例えば、土俵における女人禁制などは、時代にそぐわなくなった文化の1つだと言えるだろう。
『時は金なり』と先人が残したありがたいお言葉に耳を貸さず、金のためだけに貪欲に働く。
それが大人になる条件なら、俺は子どものままでいいやと思うのだった。
『卒業証書を授与される者。安藤真衣』
「はい」
いつものように、退屈な時間を考え事で潰していると、ようやくメインイベントがやってきた。
名前を呼ばれた出席番号1番の生徒が壇上に向かう。
卒業生が壇上に上がり、卒業証書を受け取り、壇上から降りる。
昔の俺には、この一連の流れが社会の歯車を出荷するための作業のように見えて、嫌悪感のようなものを抱いていた。
しかし、やるべきこと・やりたいことが明確になった今では、厳しい社会を生き抜くための力があることを認めてくれるものだと思えるようになっていた。
『小川結衣』
「・・・はい」
卒業証書の授与は着々と予定通りに進行し、次はいよいよ小川結衣の番である。
ロボットのように緊張が如実に表れた歩き方で、彼女が壇上へと向かう。
ロボットのようにというかロボット本人。本人というか本体であるわけだが。まるでロボットと言った具合に比喩的に表現できることが、彼女が1人の女の子として成り立っていることの証明であった。
卒業証書を受け取り、席に戻る小川結衣。
その歩き方は壇上に向かう時と同様、右手と右足がシンクロした不自然なものであった。
その理由が、人の多さと卒業式という舞台による緊張だけではないと知っている俺は、祝福と共に切ない気持ちでその姿を眺めていた。
『鈴木凌太』
「はい」
問題なく発声できたことに安堵し、例に倣って壇上へと向かう。
「右者は本校において総合学科の課程を修了したことを証する」
初めて間近で見た校長先生によって渡される卒業証書。
たいした質量ではないはずなのに、受け取ったそれはひどく重たく感じられた。
『保護者代表挨拶。塩月徹様』
アナウンスを受け、娘とは違い泰然とした態度で、塩月が壇上に向かう。
慣れた手つきでマイクの高さを合わせると、人の注意を惹きつける絶妙なタイミングで語り始めた。
「大半の方が初めましてだと思います。塩月と言います。私には代表取締役という顔もありますが、今日は1人の親としてお話しさせて頂きたいと存じます」
自然と目を奪われる朗らかな表情と、説得力を倍増させる真剣な表情を器用に使い分けながら、話を進めていく。
「数年前、私は大切な存在をなくし自分を見失っていました。娘に自分の理想を一方的に押し付け、真摯に向き合うという親の義務を放棄。恥ずかしい話、娘とはほとんど絶縁状態でした。『親の心子知らず』なんて言葉がありますが、親だって子どもの心を100%理解できるわけではないのです」
大切な存在というのが、血の繋がった娘である塩月佳織。
娘というのが、電子回路を繋げて開発した小川結衣のことであろう。
「そして、私はその悩みを仕事に精を出すことで忘れようとしました。忙しさを理由に逃げ道を作る。大人の悪い癖であります」
決して明るい話ではないが、声のトーンは落とさずに、祝いの場を壊さないよう努めている。
その姿は、俺の目指す大人像そのものだった。
「そんな時、私の目の前に1人の男が現れました。その男は私が抱えていた柵をあっという間に壊し、私と娘の仲を修復してみせたのです。破壊と再生の神であるシヴァのようなその男は、驚くことに私と20も離れた子どもでした」
神に例えられるなんて光栄極まりない話だ。
塩月の顔が自分に向いていることに気づき、俺も視線を送り返す。
「さて、今ここにいる卒業生の皆さんは、これから1人の大人として扱われることになります。しかし、それはただの区切りでしかありません。もちろん突然偉くなるなんてことはなく、私の年齢になっても日々勉強の毎日です」
保護下からの卒業を自立と勘違いする者は多い。
卒業とは、エスカレーターから階段に乗り換えるようなものである。
乗っているだけで昇っていくエスカレーターから、自力で上るしかない階段へ。
卒業と同時に、その階段の一段目に足を乗せるのだ。
「そんな生活に嫌気がさしたり、逃げたくなる時が訪れるかもしれません。そういう時は、無理をせずに休んでください。一度立ち止まって周りを見渡してみてください。そうすれば、自分の本当に大切なもの、守りたいものがきっと見えてくるはずです」
自身の過去を思い出すように、塩月が語る。
その言葉には、経験者故の『重み』があった。
「最後に。ここにいる皆さんが、理屈で諦める大人ではなく、屁理屈でも最後まで諦めない。私を暗闇から救い出してくれた少年のような大人になってくれることを祈って、保護者代表の挨拶とさせて頂きます。本日はご卒業、誠におめでとうございます」
丁寧な最敬礼と共に、塩月が壇上を後にする。
同級生の父親でしかない彼の言葉が、他の卒業生にはどう届いたのか。
そんなことは知る由もないが、彼のまっすぐな言葉は、少なくとも俺の心には深く刻まれた。
「皆さんの担任になれて本当に良かった・・」
卒業式を終え、教室に帰ってきた俺たちの前で、担任が別れの挨拶を述べる。
毎年どのようにして決めているのかは知らないが、俺と小川結衣と担任の教師は、3年間同じクラスだった。
『縁』と『緑』という漢字はよく似ている。
これは共に『安らぎを与えるもの』だからだと、俺は考える。
始まりこそ安らぎとは真逆の慌ただしいものだったが、今では『第2の我が家』と思えるほど、このクラスは俺にとって居心地の良い場所となっていた。
「社会の荒波に負けずたくましく生きるように!解散!!」
最後のホームルームが終わり、まばらになった教室。
先生の周りに集まり別れを惜しむ者。仲良し組で集まりアルバムにメッセージを書き合う者。それぞれの部活に顔を出しにいく者。
それぞれがそれぞれの青春にピリオドをつけるために動いている中。
「結衣。ちょっといいかな」
俺は、同じく教室の隅で友達と話していた小川結衣に声を掛けた。
「・・・うん。ばいばいみんな」
話を切り上げてくれた小川結衣を連れて、思い出の教室を後にする。
後ろから聞こえてきた「またね」という無邪気な声が、俺の心に強く突き刺さった。
「ここが全ての始まりだったね」
俺たちがやって来たのは、一年生の頃に使っていた教室だった。
今は後輩の教室になるわけだが、在校生のうち部活生は部活のお別れ会に、帰宅部は家に帰っているので、俺たちの他に人はいない。
「私がこの机で寝てたら凌太が来て、確か私の寝顔に見惚れてたんだっけ」
窓際の一番後ろの机を指でなぞりながら、小悪魔的な意地の悪い表情で彼女が語る。
どこで覚えてきたのか知らないが、危険な香りのするその表情はとても魅力的であった。
かつては『デスシート』と呼ばれていたこの席だが、席替えで小川結衣以外の人が座るようになってからは、座った人が立て続けに幸福な出来事に遭遇したとかで『ラッキーシート』と呼ばれるようになっていた。
噂とはお金のようなものである。
人の欲を満たすために存在し、扱い方によっては何倍にも膨れ上がるし、気づいたときには無くなっていたりする。
違う点としたら発生条件だろうか。
お金も噂と同じように、何もないところから湧いてくれれば助かるのだが。
「そうそう。結衣の寝顔が可愛すぎて、目が離せなかったんだよね」
余裕のあるフリをして、すかさずカウンターを仕掛ける。
「そっか・・・」
俺の直球な物言いに、思わず照れる彼女。
悪魔から天使になった彼女の姿に、俺も恥ずかしさを隠しきれず、顔を背けた。
「・・・いろんなことがあったね」
「・・・そうだね」
いろんなこと。
その一言では言い表せないくらい、いろんなことがあった。
運命としか思えない出会いがあった。不思議で奇妙な人間関係があった。思うようにいかず挫折したこともあった。
そのいろんなことを1つ1つ乗り越えて。
今日という日を迎えることができたのは、他の誰でもない君がいたからだ。
「結衣。今までありがとう」
「それはこっちのセリフだよ。凌太」
グランドから聞こえてくるどでかい「ありがとうございました」という声は、野球部員によるものだろうか。
小川結衣と親しくなるより前の話。自分はこの世界のモブキャラだと思っていた。
他の人が舞台上で歌ったり踊ったりしている姿を、観客席から傍観しているだけの人。
でも、彼女が現れたことで、俺も舞台に上がることができた。
自分が主人公の物語が、彼女の登場をきっかけに動き出したのだ。
「・・・凌太」
倒れるように抱きついてきた彼女を、そっと抱きしめる。
言葉は万能ではない。
俺のこの時の気持ちを、完全に表現することのできる言葉は、きっとこの世に存在しないだろう。
「・・・ゆい?」
俺の問いかけに彼女の反応はない。
この感覚を俺は知っていた。だからこそ俺がすべきことも知っている。
彼女を今まで以上に強く抱きしめる。
それは『安心』を与えるためであり、自身の涙を隠すことで『不安』を与えないためでもあった。
「・・・・・ありがとう」
耳元で囁かれた感謝の言葉。
それが引き金となり、必死に堪えていた涙が溢れだす。
どれくらいの間こうしていただろうか。
それ以降、彼女が動くことはなかった。
既存の日常の終わりであり、新たな日常の始まりでもあるこの日に。
物語の始まりであるこの教室で、ロボットとしての小川結衣の人生は終わりを告げたのだった。
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