第四章 ルリジューズで剥がれるメッキ ―勝敗―


 あの嵐から三日後のこと。美鈴は窓を開け、爽やかな朝の空気を吸い込んだ。

 本日は快晴。澄みきった青空が良い予感を感じさせてくれる。

(今日では決まる。いえ、決めてみせる)

 手に入れてきた情報を頭のなかで整理して、美鈴はふーっと息を吐き出した。何としてもあのポーカーフェイスの青年を今日はやり込めなくてはならない。

 そして―――――確かめなくてはならないこともある。

 美鈴にはある推測があった。それはの後に起こるであろう事だ。けれど、それもこの勝負ゲームに勝たねば確かめられないこと。

(推測が正しければ、私は勝つ)

 そしてそこからが、本当の勝負なのだ。

 眩しい朝日を浴びて、美鈴は気合を入れなおした。



 そんなわけで、美鈴は和光を見るなり開口一番に言った。

「国枝、今日の勉強は中止よ」

 そして有無を言わせずそのまま命じる。

「そのかわり、お菓子を作るのを見せて。この前のブラウニーの時と同じように」

 あの時そうしたのだから嫌とは言わせない。

 そんな気迫を感じたのか、和光はあっさりと頷いた。

「分かりました。本日のリクエストはシュークリームでしたね」

 しかし美鈴はその和光の言葉に首を振った。

「それは変更。と言っても、シュークリームと同じ材料でできるはずだから大丈夫だと思うけど。

 足りない材料があったら待ってあげるから、調達してきなさい」

 急な注文にさすがの和光も怪訝そうな顔をしたが、さすがは冷静な彼だ、できないと拒否はしなかった。

「それはかまいませんが。いったい何を作ればいいのでしょう?」

 断られなかったことに内心でほっとしつつ、美鈴は試すような口調を崩さずに続けた。

「貴方に作ってもらいたいお菓子は『ルリジェーズ』よ」

「ルリジェーズ、ですか」

 眉をひそめた和光に美鈴はぴらりと一枚の紙を差し出した。

「そうよ。一応レシピも用意したわ」

 印刷されたそれを受け取り、和光は首を傾げる。まあ、それはそうだろう。

「お嬢様、このお菓子は」

「ええ。母様の作ってきたお菓子にはないレシピよ。実際、私も食べたことはないわ」

 そう、美鈴は和光に『蓉子の作ったことのないお菓子』を作らせようというのだ。

 彼の仕事が『母親のお菓子を再現すること』なのにも関わらず。

「それに、意味はあるのですか?」

「あるわ」

 きっぱりと言い切った美鈴に和光は頷いた。

「分かりました。作りましょう」

 命じられれば逆らわないだろう。そうは予想していたものの、こうも上手くことが運ぶと少々不安にもなってくる。

(ええい! 彼がこのお菓子を作れても、私の読みが外れたってだけ! 次の手を考えるまでのこと!)

 不安など見せてたまるか。

「では、よろしくね?」

 美鈴は精一杯の不敵な笑顔で和光にそう言った。



 ルリジューズとは『修道女』を意味する、帽子をかぶり飾り衣装をまとった修道女の姿を、二つのシューを重ねてかたどったお菓子のことだ。

 もちろん形を模しているわけだから、普通のシュークリームとは違い、見た目がかなり重要となってくる。つまりお菓子作りの腕が相当なければ綺麗に作れない代物なのだ。

 これは、いつもの『母のお菓子』ではなく、純粋に和光のパティシエとしての腕を試す為のお菓子だった。

 材料も少々シュークリームとは異なったものだったらしく用意に手間取ったようだが、それでも昼前には和光はあのキッチンでお菓子を作り出した。

 美鈴はそれをブラウニーの時と同じようにカウンターから固唾を呑んで見守っていた。が、見るまでもないことがすぐに判明した。

 和光は淡々と作業をこなしていたが、明らかにそれは手馴れておらず、形もばらばら。何とか形にはなっているものの、上出来とは言いがたい。

 そして案の定、出来上がったお菓子を前に和光は美鈴に頭を下げた。

「その、お嬢様…………すみません」

「ま、見た目は悪いわね」

 そう評し、美鈴はそれの一つを口に入れた。

 シューのなかみはカスタードクリームではなく、酸味の強いクリーム―パイナップルを混ぜ込んだクレーム・アナナスというものだ―で、味は申し分ないのだが、やはり見た目を考えればこのお菓子は失敗と言っていいだろう。

 美鈴はちらりと和光に視線を投げかけた。

「ねえ、国枝? これを見る限り、貴方はパティシエのじゃないわよね?」

 先日のロールケーキの失敗の時に美鈴は思ったのだ。もしや、この青年は実のところ、お菓子を作りなれていないのではないか、と。

 というのも、ロールケーキというのは生地をさっと一度であの薄さに伸ばしてしまわなくてはふんわりと焼きあがらない。やはり技術が必要なお菓子なのだ。

 だが彼は生地を上手く焼くことができなかったと、そう言っていた。

 だからこう、はっきりと分かる形で確かめたかった。彼にはお菓子作りの技術が乏しい、と。

「はい。違います」

 すんなり肯定する和光に美鈴は小首を傾げてみせる。

「では貴方は『何』の為のなのかしら? ああ、答えなくていいわよ。貴方の答えはどうせ『お答えできません』でしょうから」

 そして美鈴は持ってきていた幾つかのカタログをカウンターの上に広げる。

「私ね、それなりに全自動人形オートマチックドールについて調べたの。当たり前よね。勝負ゲームなんだもの」

 あるだけ全部そろえてもらったそれは、全自動人形オートマチックドールのもの。

 先日、和光に質問した『製造ナンバー』の存在もここから知りえた。

(このカタログに載っていること以上は教えてもらえなかったけど。さすがは国枝のおじ様ってところね)

 おそらく和光の正体を知っているであろう―なんていったって和光は彼の甥ということになっているのだし―父の秘書の国枝にカタログを取り寄せるついでに探りを入れてみたのだが、さすがは父の右腕といったところか、情報を与えてくれることなどなかった。

 だが、このカタログから得られたことも充分にある。

「もちろんパティシエタイプなんてものはないのよね。メイドとか執事とか秘書とかはあったけれど。

 でも、貴方はそのどれでもないのでしょ」

 そう、この〝国枝和光〟に該当する機種はカタログのどこにもないはずなのだ。

 美鈴の推測が正しければ。

「疑う理由はたくさんあるけれど、一つは貴方のその護衛力、いいえ戦闘力の高さよ。

 貴方は和島さんが認めるほどの腕前を持っている。ということは、貴方の本来の使い方はそちらじゃないかと思ったの。

 でも―――――それだとまだ腑に落ちないことがあるわ」

 身じろぎもせず和光は美鈴の言葉を聞き続けている。だから美鈴も止めるわけにはいかない。

「例えば、貴方が護衛用なり、もしくは戦闘用兵士の全自動人形オートマチックドールだとするならば、決定的におかしなところがある。

 どうして貴方は防犯探知機に引っかからないのかしら?」

 護衛用、戦闘用には必ず銃器が付属するし、そんな物騒なものを屋敷に侵入させるほど、この屋敷のセキュリティは甘くない。

 たとえ和光が何らかの処置をされていたとして、セキュリティの全てに引っかからないなど、それこそ『何か』があるとしか思えない。

「そう、貴方はまるで人間そっくりだわ。思わず全自動人形オートマチックドールではないんじゃないかしら、と、疑ってしまうくらいにね。いいえ、本来ならば逆なのでしょう?

 全自動人形オートマチックドールと分かってしまわないような作りに貴方はなっている。違う?」

 この美鈴の質問にも和光は沈黙したままだ。あのお決まりの台詞すら口にしない。

 彼はただ黙って『その時』を待っているかのようだった。

「貴方は嘘をつくことができる。現にこの屋敷で貴方が全自動人形オートマチックドールだと知っているのは私だけ。その他の人間には隠し通すことができている。

 加えて貴方の製造ナンバー。13というのはあまりにも製造数が少なすぎるわ。それは、何か特別な用途でしか使えない、特殊なということ」

 そして美鈴は腕を組み、挑むように和光を見据えた。

「これらを考え合わせた上で貴方の用途を考えるとね、一つ思いつくのよ。信じられないことだけれど。

 貴方は確かに特注品だわ。国家機密レベルのね」

 通常ののカタログには載っているはずもない、それ。

「貴方は―――――スパイ用の全自動人形オートマチックドールなんだわ。

 ………………どう? 当たっている?」

 美鈴の結論にも和光はなにも動じなかった。

 ただ静かに『答え』を口にするだけで。

「その質問にはお答えできません、お嬢様」

 和光の台詞に美鈴は微笑む。

「国枝、勝負ゲームは終わりね? そして私の勝ち。違う?」

「はい。左様でございます」

 それは美鈴の推測が当たっていたということの証。彼の正体を暴ききったことに他ならないのだが。美鈴は別の考えも捨てきれずにいた。

 そう以前、彼が口にした『マスターの命令』こそが、父の本心ではないか、という思いが。

「では貴方は父様のもとにもどる。そうよね?」

「………お嬢様がそうお望みでしたら」

 和光の答えに美鈴はしばらく考え込み、かつて聞いたことをもう一度、彼にぶつけた。

「国枝、もう一度聞くわ。貴方のマスターは父様よね?」

「はい」

 だが今回はそこでとどまらなかった。

「マスターを変更することは可能かしら?」

「可能です」

「方法は?」

「端末からマスターの変更を入力します。指紋、声音を登録しマスターとなります。現在その項目にロックはかけられておりません。

 変更しますか? お嬢様」

 淡々と言う和光を美鈴はじっと見つめる。その無表情の奥にある真実を見定めたくて。

「…………変更できるのね?」

「はい」

 念押しした美鈴に和光は短く肯定した。

 しばらく考えてみたが、美鈴はやはり推測―否、期待だろう―を捨てきれず、小さく頷いた。

「分かった。変更の手続きをする。どうすればいいの」

 すると和光はキッチンを出て美鈴の隣に立ち、囁くように言った。

「お嬢様、私の部屋へきていただけますか」

「――――――ええ」

 頷いた美鈴を和光は何も言わず見つめ、それから歩き出した。









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