第六章 全てはマフィンを食べる前に暴かれる ―犯人―


 屋敷にもどった二人はまず屋敷の者達にもみくちゃにされ、次々と質問をあびせられた。

 とくにひどかったのはやはり女中頭の春江と警備員の輪島で、美鈴は春江に、和光は輪島にみっちり問いただされることになったが、それもすぐにお終いとなった。

 この屋敷にも西園寺グループのトップである正孝の死は伝わっていたからだ。

 喪主は当然のことながら美鈴だった。

 これでもかというぐらい厳重な警備の中、通夜と告別式が行われ、美鈴はそこに気丈に立ち続けた。美鈴は涙を見せなかった。

 同情的に声をかけてくる者。あからさまに探りを入れてくる者。儀礼的な挨拶をする者。記憶にある者、ない者。多すぎる人、ひと、ヒト。

 目が回りそうなその渦のなかで、美鈴は顔を上げて立ち続けた。

 ようやく一息つくことができたのは、告別式を終えた夜のことだった。

「くるとしたら今日かしら?」

 夕食を食べ終えた美鈴は、暖かな紅茶を口にしながら和光に確認した。

「おそらくは」

 頷く和光に美鈴は「そう」とだけ言った。

「お嬢様はお休みになられていてけっこうですよ」

「この状況で眠れるほど図太くないわよ」

「ですが、お疲れでしょう」

 そんな和光を美鈴はじろりと睨む。

「ここまできて蚊帳の外なんて冗談じゃないわよ。

 私は全てを知る権利があるし、貴方を監督する義務もあるの。分かる?」

 もちろんそう言われれば和光は受け入れるしかない。

「かしこまりました」

 頭を下げた和光が退出したので、そのまま持ち場にもどったかと思いきや、美鈴が紅茶を飲み終わる頃に彼は何やら紙袋を手にもどってきた。

 そしてそれを美鈴に差し出す。

「お嬢様、これを」

「何? これ」

 受け取りながら聞く美鈴に和光はしれっと言った。

「さきほど少し時間がありましたのでお菓子を作りました。朝にでも食べてください」

 美鈴は彼に呆れた視線を向けた。

「作ったって」

 だいたいその任務は美鈴を懐柔させる為のものだったはずなのに。彼は律儀にもお菓子作りを続ける気らしい。

 美鈴の視線に和光はどことなく寂しげで、それでいて優しげな顔をした。

「私にはこれしかできませんので」

「何よ、それ。自信がないの?」

「いいえ。ただ、お嬢様がそれをめしあがる頃には何もかもが終わっているだろう、と思ったまでです」

「……………何を言っているのか分からないわよ?」

 自分を見上げてくる少女をの彼はじっと見つめた。

 少女に抱く自分の想いを感じながら。

「お嬢様の命令は必ずや遂行してみせます、という意味です」

 和光はそれだけを口にした。

 少女は不敵に笑った。

「当たり前ね。貴方の仕事はいつだって完璧だったじゃない」

「光栄です」

 信頼されている。確かな実感に、和光は静かに頭を下げた。

 これから起こるだろう事と自分の成すべき事。その全てが終ったその時、彼女のその手にある紙袋が、ほんの少しでも少女の心を癒してくれることを願いながら。

 彼は最後の仕事に取り掛かった。



 その夜遅く。美鈴の寝室の扉は予想通り叩かれた。

「お嬢様、動きがありました」

 その声はあの全自動人形オートマチックドールのものではない。信用を置く警備員の輪島のものだった。

 だがその理由も美鈴は知っていた。

「どうされますか?」

 扉越しに尋ねられ、美鈴は即座に返事をした。

「行くわ」

 さっと上着をはおって扉を開けると、輪島は全てを承知していて、何も言わずに別室へと案内した。そこは普段倉庫として使用されている部屋だったが、美鈴と和光が屋敷へもどってからこの時の為に準備された監視室だった。

 監視しているのは屋敷の書斎。かつて正孝がそこで仕事をしていた、屋敷の心臓ともいえる部屋だ。そこに仕掛けられた隠しカメラとマイクがこの部屋のモニターへと繋がっている。

 美鈴はじっと画面を見つめ、聞こえてくる声に耳を傾けた。

 そこで起こることの全てを見定めるために。

 美鈴は彼らを見守り続けた。



 通夜と告別式、そのどちらにも実をいえば和光は美鈴の傍にはいなかった。

彼には少女の身が無事だということが分かっていたからだ。

 『西園寺正孝』が死んだ今、彼女を殺すメリットはおそらく『犯人』にはない。それを和光は十分承知していた。その上で『犯人』には看過できない問題が残っていることも。

 そしてその問題を排除できる瞬間は、この機をおいて他にはないはずなのだ。

 だから和光はじっと息を潜めて待った。それが動くまで。

 闇の中ですっと細く開かれた扉に、和光は(ようやく、これで)と確信した。

 和光の潜んでいる部屋に入ってきた人物は、迷うことなく右端の書棚の本を一冊、奥に押し込んだ。すると、かちりと音がして、壁にかかっていた絵がほんの少し浮く。その裏には隠し金庫があり、その人物は躊躇うことなく―暗証番号さえも把握していて―それを開けた。

 だがそこで彼の動きが止まった。見計らったように部屋に明かりがついたのだ。

 そして静かな声が響いた。

「貴方のお探しの物はそこにはありませんよ」

 男はゆっくりと声のほうに顔を向ける。

 それは書斎の一番奥。窓を背にした机は、西園寺グループの絶対的な主がいた場所。だが今は、その主が最後に信用したモノがいた。

「やっとお会いできましたね――――――国枝様」

 裏切ることのない、絶対服従の全自動人形オートマチックドール

 彼は、西園寺正孝の信頼を一心に受けてきたその人物は、(ああ、やはりこれを購入させるべきではなかった)と思った。

「貴方に内密で旦那様が私を購入したことは、誤算でしたでしょう。

さぞかし私が憎いことと思われます」

 まるで頭のなかをそのまま盗聴でもされたかのような和光の台詞に彼は驚かなかった。

 この人形の前では、どんな画策も無意味だと彼は知っているのだ。

「ああ。旦那様が私に黙ってそんなことをするなんて思ってもみなかった。

 疑われてはいなかったと思うのだが、どうかな? 旦那様は本心では私を疑っておいでだったのかな?」

 和光は「いいえ」と首を振った。

「旦那様は最後まで貴方を信用なさっておいででした」

「……………それは光栄なことだ」

 彼のその言葉が本心であることを和光は苦々しく思った。

 そう、目の前の彼は心から西園寺正孝のことを敬愛していた。

 西園寺グループを率いてきた正孝の死をこれ以上なく痛ましく、そして惜しく思っている。だというのに。そんな彼こそが、この一連の事件の首謀者だなんて。

 白髪交じりの痩せたその男は、間違いなく西園寺正孝が信頼をよせていた秘書、国枝くにえだ慶介けいすけに違いない。

 和光の知りえている情報では正孝より十歳年上だったはずだが、今の彼は実年齢以上に老けて見えた。いや、それは和光が知らなかっただけで彼は―少なくともこの半年は―そんな顔だったのかもしれない。与えられた情報と実際目にする情報は違うのだ。

 和光は初めて見る、自分の名の一端を持つ男をじっと見つめた。

 彼は諦めにも似た光を瞳に宿して言った。

「君のことだ、手抜かりはないんだろう? これはすぐにお嬢様に知れてしまうのだろうな」

「はい。もうすでに、ご存知です」

 彼は顔を歪めて笑った。

「流石としか言いようがないな。

 元々からして分の悪い闘いだとは考えていたが、これほどまでとは」

 だがそんな彼の言葉を和光は静かに訂正した。

「いいえ。これは私の策ではありません。これを指示なさったのは旦那様であり、実際に手を下したのはお嬢様です。

 貴方は、西園寺家に負けたのですよ」

「ほう? 旦那様はこうなることを見越していたと? 私を信頼していたのに?」

「旦那様は貴方を疑ってはおりませんでしたが、起こりうる事態は把握されておいででした」

 妻の死は陰謀であること。それを画策した犯人がとるであろう行動。自分の死後、起こりうること。正孝は犯人にたどり着かずとも対策を講じた。

 あまりに大胆すぎる、読み違えれば娘を地獄に放り出すかもしれないリスクを背負って。

(そしてあの方は、それを十分承知だった)

 それでも彼は賭けた。

 まったく、あの親子はどこまでも似ている。

「旦那様は私にその金庫の開け方を教えてくれました。

 そこにあるものが、お嬢様以外の手にわたることのないように」

 彼は目を見開いた。

「何だと?」

 信じられないと目を剥く彼に和光は静かに言った。

「あれは今、お嬢様がお持ちになっております。そこにはもうありません」

 男は黙ったまま和光を凝視した。そして。

「ふっ、ははっ、ハハハハハッ―――――――実にあの方らしい」

 男は笑った。心から可笑しそうに。愛おしそうに。

「そして君も馬鹿正直にあれをお嬢様にわたした、と。ああ、まったく完敗だ。

 私は君を侮っていたな。いや、そもそもあの方を、なのかな?」

 和光はもう何も言わなかった。決着はすでについている。彼がこの部屋に来た時点で。

 金庫に入っていたのは、全自動人形オートマチックドールの所有権証とボタン一つで彼の全機能を停止させることのできる装置だった。

 正孝は最後のあの別れ際、手を握ったあの時に、金庫の場所と暗証番号を和光に教えた。

 彼は病室に盗聴器が仕掛けられている可能性を知っていたし、また自分の死後すぐに私財は凍結され、彼の所有物である和光は機能を停止させられてしまう可能性があることを、十分に分かっていた。

 だからその前に、それを持ち出すようにと和光に託したのだ。

 もちろん、それを持って和光が逃げる可能性もあると分かっていながら。それでも正孝は和光に願った。どうか美鈴を頼む、と。

 それは人形にはもったいないほどの信頼だった。

 あの時、和光の成すべき事は決まった。すなわち正孝の死後、この部屋に来るだろう『犯人』を確定させる罠を仕掛けることが。

 正孝が亡くなるまで身を潜めている間に、和光は自分の所有権証のありかと、推測を美鈴に報告した。一連の事件の『犯人』が『国枝慶介』である可能性を。

 美鈴はすぐに動いた。

 屋敷にもどるなり、すぐさま金庫のなかみを回収し、書斎を監視できるように整え、和光をそこに潜ませたのだ。

 美鈴だってそれなりの確証がなければその推論を信じなかっただろう。だが示された情報の一つ一つは、確かにその推論を裏付けていた。

「で、君はどこで私を疑いだしたのかな? 参考までに教えてほしいのだがね」

 自嘲気味にそう言う彼に和光は事実を口にした。

「参考になどならないと思いますが」

 次はないのだから。そう言外に語る和光に、けれど彼は食い下がった。

「だが、旦那様は私を疑ってはおられなかったのだろう? だとすれば何故?」

 今更、どこで彼の犯行がバレたかなど知っても意味のないことだろうに。

 しかし和光は答えた。それはむしろ、この部屋を監視しているだろう美鈴に教える為だ。

「そうですね、私が旦那様のものだったのなら、推測は難しかったでしょう。

 ですが私はお嬢様のものです。お嬢様の敵に成りうる者を考えた場合、貴方は比較的早い段階で犯人の候補に数えられていました」

「ほう? どうして?」

 不思議そうな彼に和光は淡々と言う。

「貴方は美鈴様を利用できる、唯一の人物だからです。傀儡にできる、とも言えます。

 旦那様の有能な秘書だった貴方を、お嬢様も信頼なさっておいででした。旦那様の亡き後、お嬢様が頼るとしたら貴方だ。またそうなるよう仕向けることも貴方には可能だった。

 奥様が亡くなり、旦那様が亡くなり、そして美鈴様お嬢様がお一人になる。その状況で誰が一番利益を得るのか、考えれば分かることです」

 美鈴の予想は半ば当たっていたのだ。犯人の狙いは『美鈴をトップに立たせること』だった。

 そんな的確な推測に男は賛辞をおくった。

「素晴らしい。元々、君は人を疑うようにできているのだろうが、見事なものだ」

 和光は続けた。

「さらに言えば、私は一度も貴方に直にお会いしたことがなかった。

 そのことも疑いの一つでした」

「ああ、それは私もさすがにあからさまかと思っていたよ。

 旦那様が私を信じていてくれなければ、とっくに露見していただろうな」

 苦笑いしながらそう言う彼に和光は冷たい視線を向けた。

 そう、正孝は彼をこれっぽっちも疑っていなかった。それを和光は知っていたから。

 国枝慶介という男は西園寺グループを損なうことはけしてしないと、かの人は信じて疑わなかった。

(それはある意味において正しい)

 彼は今だって西園寺グループの為、そして西園寺正孝の為と心から思っている。

 それが、どんなに歪んだ想いであっても。

「そうです。貴方は旦那様に信用されていた。死後の後処理を任されるほどに。

 貴方ならばこの屋敷も自由に出入りできる。セキュリティを操作することも雑作のないことだったでしょう。

 もちろん――――――奥様の車に細工をすることも」

 正孝がスパイ用の全自動人形オートマチックドールを購入したことも、彼が病気であったことはもちろん、あの蓉子が亡くなった事故の搬送先である病院さえ、この男は把握できる立場だった。

「ただ、貴方だと確定できるものは何もありませんでした。最も疑わしかった、というだけです。今夜までは」

 男は唇を歪めた。

「そして私はまんまと罠に嵌まってしまったというわけだ。

 ここにいるのが君でなければ言い逃れもできたんだが…………そうか、だから君に確認させたというわけか、お嬢様は」

「はい」

 証拠がない以上、自白もしくは言い逃れができない―そう、この全自動人形オートマチックドールに思考を読ませる―状況を作り出すしかない。それを分かっていて美鈴はこの罠を張ったのだ。

 ああそうだ、先ほど和光は『手を下したのはお嬢様』だと言っていたではないか!

「はははははっ! お嬢様もお強くなられた」

 彼の顔に僅かに滲む安堵に、和光は生まれて初めて怒りというものを感じた。

 この男のした事、そしてその動機に。そのあまりの愚かさに。

「貴方は負けた。旦那様とお嬢様、そして奥様の絆に」

「そうだな」

 彼はそれを認めた。自分の罪を。

 だが取り返しはつかない。失われた命はもどらない。

 少女の母親は、この男に殺されたのだ。

 和光は静かに独白した。

「国枝様、私は貴方が許せない」

 それは独白だった。

 本来ならば彼にそんな行為はできないはずだった。

「許せない? 君がそんなことを言うとは、お笑い種だな。

 君には感情などないはずだ。そんな君が、私に怒りを感じるというのか?」

 不可解なことだ、と彼は和光を見た。その目は完全に和光を物として見ているものだった。

 ただの人形。そう、本来は、そうであったはずなのに。

 込み上げる感情はもう抑えられない。

「貴方のそれは、エゴだ」

 吐き捨てるような和光の言葉に彼は目を見開き、それから侮蔑の色を浮かべた。

「……………君には解るまいよ」

 どんなに思考を読もうと理解などできるはずがない。

 人形ごときに理解されてたまるかという響きだった。

「いいえ、解ります。貴方のそれは忠義でもなんでもない。

 貴方はただ己の欲望のままに動いただけだ!」

 和光は叫んでいた。

「だとして!」

 強い口調で男も叫んだ。

「だとして――――――何が悪い」

 歪んだそれに彼は気がついている。だが止められなかった。

 彼には止まることができなかった。

「あんな……………菓子を作るだけの女に、小娘にすべてを獲られるなど。

 あの方の培ったものが堕ちていく様など見ていられるか!」

 この男はその歪んだ想いから、主の最愛の妻を殺し、さらに娘を利用しようとした。

 どうしてだろう、和光はまだ私欲から犯行に及んだほうがマシだとさえ思った。

 こんな、こんな愚かな男のエゴの為に。

 あの少女は母親を失わなければならなかったのか!

 怒りがこんなにも脳を焼くものだったとは。何も考えられなくなりそうなほど熱くなる、けれどその一方で冷たくなっていく何か。

 和光はゆっくりと上着に手を入れた。

「私にも感情があるのだと初めて知りました」

 そして――――――拳銃を取り出し目の前の男につきつける。

「私は、貴方を許せない。

 法に裁かれ、どんな罰を受けても、たとえお嬢様が許したのだとして、私は許せない」

 だが男は冷静に言った。

「君に私を撃つことはできない」

「どうでしょう? 人を撃つことは可能です」

 安全装置は外れている。あとは引き金を引くだけで銃弾が男の身体を貫くだろう。この距離では外しようがない。

 和光のその指が引き金を引く――――――その直前。

「止めなさい!」

 扉が開かれると同時に聞こえた、その声に。

「ほら、撃つことはできない」

 男は薄く笑った。

 全自動人形オートマチックドールの主、そして今や西園寺グループのトップが、仁王立ちをしてそこにいた。











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