第六章 全てはマフィンを食べる前に暴かれる ―決着―


 和光は苦々しい顔で彼女を見た。

「お嬢様、きてはいけませんと、あれだけ言いましたが」

「貴方がそんなものを出すから、こなくちゃいけなくなったのよ!」

 走ってきたのだろう、少しだけ息が上がっているその少女に、和光は淡々と言った。

「退出してください。私は貴方に逆らってでも、この者を撃ちます」

「何ですって?」

 これには美鈴だけでなく拳銃を突きつけられている彼も驚いた。

 全自動人形オートマチックドールが主に逆らうなど、本来では絶対起こりえない。はずなのに、どうしてだろう、和光の言葉にはそれを覆すような迫力があった。

 美鈴は挑むようにして和光に命じた。

「それを下ろしなさい。すべては暴かれたわ。貴方の仕事は終わりよ」

 じりじりと緊張が部屋を包む。

 美鈴は部屋に一歩、踏み込んだ。

「下ろしなさい」

 真っ直ぐ射抜くような目をしている少女に和光が顔を向けた、その瞬間。

 パンッ! と、乾いた銃声が一つ、部屋に響いた。

 そして―――――和光の身体が傾ぐ。その胸の一部は赤く染まっていた。

 美鈴の悲鳴が上がった。同時に、警備員が書斎へとなだれ込む。

(そう、これでいい)

 床に倒れた和光は心から安堵していた。

 視界の端で自分を撃った男が、警備員の輪島に取り押さえられている。

 そんな和光の傍に美鈴が駆け寄った。

「くにッ――――――和光!」

 今まで通りに呼ぼうとして、その響きが裏切り者と一緒だと気がつき、美鈴は彼の名の方を呼んだ。

 その気遣いに思わず和光の顔に笑みが浮かぶ。

「おじょう、さま、怪我は、ありませんね?」

「ないに決まってるでしょ!」

 彼の身体に銃弾が当たっているというのに、何を言っているのだと怒りたくなる。

「今、手当てできる者を呼ぶわ」

 すぐにその場を離れようとする彼女を、しかし和光は引きとめた。

「お嬢様、お聞き、ください。これで、良いのです」

 美鈴の瞳が困惑に揺れた。

「何を言ってるの?」

 不安げに自分を覗きこんでくるその少女に和光は告げる。

「私は、旦那様に、貴方を守るよう命じられました。一連の事件は、これで終わりです。

 私の仕事は、完遂されました」

 まるでこれが最後だというような、そんな台詞だ。

「で、でも! だって、父様は私に貴方を使えって」

「ええ。旦那様も、そう命じました。

 けれど…………私は、これ以上、貴方に仕えることはできない」

 思いがけないその言葉に美鈴は固まった。

 そんなことを言われるなんて、思ってもみなかったのだ。

 この全自動人形オートマチックドールは、和光はずっと傍にいるものと、無条件で信じていた。この時になって、初めて美鈴はそんな自分に気がついた。

 いつの間にか、こんなにも彼を信じている。

「お嬢様、私はスパイ用の全自動人形オートマチックドールです。そんな物を所有している人間を、誰が信用するでしょう。私は、貴方の傍には相応しくありません」

「で、でも、敵が、いるのでしょう?

 私は未熟だから、貴方が必要なのでしょ?」

 すがるような目に、和光は「大丈夫です」と頷いた。

「この屋敷に、もう敵はいません。信用できる者がいるのならば、私は必要ない」

 その台詞が『信用できる者』に自分は含まれない、という意味なのだと美鈴には分かった。

 美鈴は呆然と呟いた。

「どうして?」

 すると和光はあの困ったような顔で言うのだ。

「言わなくては、いけませんか?」

「………………言いなさい」

 迷ってもそう命じたのは、まだ頭の片隅で和光はきっと傍にいてくれるという考えが美鈴にあったからだ。

 どんな理由でも美鈴が一蹴してしまえば、和光は傍にいてくれるはずだと。

 いつものように、そんな馬鹿なことは理由にならないと、そう言ってしまえば。

 そんな美鈴をじっと見つめ、和光は静かに告白した。

「貴方を――――――愛してしまったから」

 彼の想いの、その名前を。

「……………え」

 美鈴は何を言われたか分からなかった。

 だが、じわじわと胸にその言葉が広がって。

 美鈴も和光を見つめた。微笑んでいる彼を。

 ああ、彼はいつからこんな風に笑うようになったのだっけ。

 弱ったような、困ったような微笑み。

 当たり前のように思っていたけれど。

 彼は、この国枝和光という者は――――――全自動人形オートマチックドールだったのに。

 美鈴は何も口にすることができなかった。

 否定も、肯定も。

 ただ目を丸くして、彼を見つめるしかなかった。

 そんな彼女に和光は手を伸ばす。ただ、その柔らかな頬に触れたくて。

 そうだ、和光はいつだってそうだった。

 彼女の涙を拭った夜。毅然と屋敷へともどる彼女の傍らで。そして彼女のことを考えながらお菓子を作る、その時に。

 和光が想ってことは、唯一つだった。

 彼女を慰めたくて、彼女に触れたくて、できれば抱きしめたい。

 信じられないようなことだった。けれど、逃れようもない感情だった。

 こんな風に考えてしまっては、人形などではいられないだろう。

 そしていつか自分は、彼女の傍らで暴走してしまうのだ。愚かなあの男と同じように。

 国枝慶介は、自分の未来の姿のように和光には思えた。

 美鈴の頬を一撫でして、彼は弱々しく繰り返した。

「さきほど言ったでしょう。私は――――――相応しくない」

 この想いの名前が分かった時、彼は彼女の元を去ろうと決めた。

 どんな危険からも主は守られなければならない。

 心を持ってしまった人形はいずれ狂う。その前に、彼女に害を及ぼしてしまう前に。

 自分はいなくなるべきなのだ。

「お嬢様、どうか私をこのまま眠らしてください。

 私はもう十分なのですから」

 この想いを胸に死んでいけるのなら。

 全自動人形オートマチックドールには過ぎた幸せだろう。

「どうか…………お嬢様」

 急速に力が抜けて、手の感覚がなくなった。

 ああ、だがその手を彼女が握ってくれた。

「かず、みつ? 和光!」

 必死で自分を呼ぶ声。

 真っ直ぐな―そう本気で自分を心配している―その心は。温かなそれは、なんて幸せ。

 ほとんど泣き顔のような少女の顔を脳裏に焼き付けて、

(きっと、幸せに)

 途切れる意識のなかで。

 その人形は最後まで祈り続けた。



 怒涛の夜が明ける。

 屋敷の周りは白々と明けはじめ、もうすぐ眩しい朝日が差し込んでくるのだろうが、美鈴は寝室のベッドにもどっていた。

 事件の首謀者である国枝慶介は監視をつけ寄宿舎に待機させているし、胸に銃弾を受けた和光は彼がいたという研究施設へと運ばれた。

 後処理はまだまだ残っていたが、ここで一眠りしておかなくては身体が持たないだろう。だがそうと分かっていても美鈴はなかなか寝付けなかった。

 ごろりと寝返りをうった時、美鈴はテーブルの上に置いてある紙袋に気がついた。

(そうだ…………渡されていたお菓子)

 あのまま寝室に持ってきてしまっていたのだったっけ。

 美鈴は起き上がってテーブルから紙袋をとってくると、ベッドの上でそれを開いた。

 紙袋のなかに入っていたのはマフィンだった。イギリスでは朝食に食べられることも多い、そのお菓子に。

(ああ、それで朝にでもって)

 と、思ってふと気付くのだ。

 彼はあの時、言っていたではないか。

『それをめしあがる頃には何もかもが終っているだろう』と。

 何もかも、そう、何もかもが彼の思い描いた通りに。

 やはり彼は完璧だったのだ。完璧な、美鈴を守る為の。

「――――――つき、」

 美鈴は思わず呟いた。

 いいや、本当は彼に言いたい言葉だった。

 声を大にして。あのポーカーフェイスにぶつけてやりたい。

「うそ、つき」

 でもそれは小さく震えた声にしかならなかった。

 美鈴の頬をぽたぽたと雫がつたって、紙袋にしみをつくった。

「作るって、言った、じゃないの」

 伝えたいことがあるのに。

 今すぐあの手を握り、この想いを伝えたいのに。

 彼はもう、この屋敷にはいない。

 そしてたぶん、いや、きっと、二度と会えない。

 美鈴は紙袋からマフィンを一つ取り出してかじる。じわっと優しい味がして、でもそれはどこか物足りない。

「こんな時こそ、ティラミスを、出すべき、なんじゃ、ないの」

 ああ、でも『作りたくはない』と言っていたっけ。

『お嬢様が落ち込むことは望まない』なんて言っておいて。

「おお、ばか。……………かずみつの、ばか」

 結局、自分が一番落ち込ませているじゃあないか。

 そもそも彼には初めから泣かされっぱなしだ。

「ばか、ばかばかばか、ばか」

 最後までこんなに泣くことになるなんて。

 美鈴は声を上げて泣いた。

 わあわあと子供らしく、駄々をこねるように。

 泣きながら叫んだ。

「そばに、いなさいよぉ」

 愛しているならば、どうしていなくなってしまうのだ。

 みんな、みんな、みんな。どうして、私を一人にするの。

 離れてしまって、壊れてしまって、こんな風に思うなんて。馬鹿なのはきっと自分の方だ。

 こんなマフィンじゃあ、全然足りないのだと今更になって気づくなんて。

(傍に、いて。傍にいてよ、私の全自動人形オートマチックドール

 ううん、和光、貴方が、貴方だから、傍にいて欲しいのに)

 泣きじゃくる美鈴はどんどん子供にもどって、そしてふと思い出したのは母の手だった。

 優しく優しく、その手は美鈴を撫ぜている。

 そしてその傍らには父がいる。

 ああ、これはいつもの夢だ、と美鈴は思った。

 悲しい、悲しい――――――けれど、優しい夢。

「幸せになるのでしょ?」

 母が言った。

「お前ならやり遂げられる。そうだろう?」

 父が言った。

 もう、二度と会えないひと達。

 でも―――――――。

「お嬢様、どうか」

 たった一人、彼だけは、違う。

 違う、違う、違う!

 彼は生きている! 死んでなんかいない!

 美鈴はとっさに声の方へ手を伸ばした。

「和光!」

 必死で彼の名を呼んだ。

 そうだ、さっきだってずっと呼んでいたじゃないか。

 すると優しい手の平が離れていく感覚がした。

 いつの間にか美鈴は母と父の前に立っていて、そして自分でも分かった。

 自分の幸せには何が必要か。そしてそれを手に入れる為に、今、何をすべきなのか。

 二人が微笑んで頷いた。美鈴は涙を拭った。

 泣いていたって何も手に入らないことなど、とっくに知っていたから。

 でも泣くことで始まることもあるのだと知ったから。

 だから美鈴は二人に微笑んだ。

「いってくる」

 彼のところへ。

 そして貴方が必要だと、傍にいろと、叩き起こして言ってやるのだ。

 だって彼は美鈴の全自動人形オートマチックドールなのだから。

 優しい夢は、夢のまま。

 現実で幸せを得る為に、美鈴はそっと夢に別れを告げた。



 美鈴が目を覚ますともう日は高く、それなりに時間が経過していることが察せられた。

 重い目蓋を擦り身体を伸ばす。ふと見れば枕元には食べかけのマフィンがあった。

 美鈴はそれを摘み上げると「ふん!」と鼻をひとつ鳴らして一気に頬張った。そしてまたたく間に紙袋のなかのものも、すべてをたいらげた。

(こんなの、美味しいなんて言わないわよ!)

 いつになく我侭な気持ちで美鈴は想像の中の青年を睨んだ。

 思惑通りにいったなんて思っているのだろうが、大間違いだ。

 いったい何が完璧だ。こんな風に傷つけておいて。

(そう―――――このままじゃ、すまさない)

 人をこんな気持ちにさせておいて。

 満足して眠ろうなんて、冗談じゃない。勝ち逃げなどさせてたまるか。

 美鈴はさっさとベットを出て立ち上がる。

 どうせ、彼が死ぬはずがない。きっと生きている。

 ならば――――――美鈴がとる行動なんて、たった一つなのだ。

「とりあえず、一発は殴らなきゃ」

 もちろん意識を取り戻させた上で、だ。

 少女はこの上なく不敵な笑みを浮かべ、紙袋をゴミ箱へと放り投げた。それは見事な放物線を描きそこに吸い込まれる。

「思い知らせてやろうじゃない」

 そして美鈴は部屋を出た。その足取りに迷いはない。

 少女の心は決まっていた。

 この先、どんなに苦しくとも。たとえあの人形が拒否しようと。共に戦い続ける。

 そう、あの全自動人形オートマチックドールを我が物とする。

 確かな思いを胸に、美鈴は光溢れる屋敷を突き進んでいった。










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