第三章 疑惑をよぶトライフル ―失敗―


 春の嵐という言葉があるが、まさに今日の天気は美鈴の心境を映したかのような、暗雲たるものだった。

 雨こそ降っていないが、強い風に煽られてしなる庭の木々をそれとなく眺め、美鈴は溜息をついた。そんな美鈴の様子に春江が心配そうに尋ねる。

「お嬢様、どうかされましたか?」

「ちょっとね。嫌な天気だと思って」

 ざわざわとするような黒い雲はじきに雷を伴って雨を降らせるだろう。

「そうですねぇ。予報では荒れると言っていましたけど」

 春江も窓の外に目をやり、顔をしかめてそう言った。たぶん庭の草木のことが気になるのだろう。春江はことのほかガーデニングにこだわりのある人だから。

 だがまさか朝から美鈴にそんな話をしにきたわけではあるまい。

「それで? 春江さんがこの時間にくるってことは、何か用があるのよね?」

「ああ、そうでした。お嬢様、先ほど国枝さんが私のところに来られて、今日のお菓子を変更していいか確認してほしいと言ってきたんです」

「国枝が?」

 思いがけないその言葉に、美鈴は春江に聞き返した。

「ええ。珍しいこともあるものですね。どうも何か失敗してしまったようですよ」

 春江も同じように思っていたらしく、頷きながらも不思議そうに言う。

 美鈴は首を傾げた。

「今日はロールケーキの予定だったと思うけど」

「はい。それをトライフルに変更しても良いでしょうか、と」

 トライフルとはイギリス発祥のデザートで、一口大に切ったスポンジに洋酒とシロップとを染み込ませ、それとフルーツ、カスタードクリーム、生クリームとを交互に重ね合わせたお菓子のことだ。

確かにトライフルも母、蓉子の作るお菓子の中にはよくあった。

 しばらく美鈴は考え込み、それから春江に短く返事を返した。

「いいと伝えて」

「かしこまりました」

 そうして退出するとばかり思っていた春江がくすりと笑って、思いもかけなかったことを付け足した。

「それにしても可愛いところもある方ですね、国枝さんって」

「は?」

「失敗したことをお嬢様にお伝えするのが気まずいんでしょう。弱った顔をして頼んでくるなんて、何だか笑えてしまいました」

 あのポーカーフェイスの和光が、弱った顔。

(ぜんぜん想像できないんだけど)

 無表情のあの青年がそんな顔をするなんてとても考えられないが、わざわざ春江がそんな嘘をつくわけもない。

(私に知られたくなかった?)

 どうも釈然としないまま、美鈴は曖昧に「そうなの」と春江に返す。

「あら、すみません。長々とお喋りしてしまって。では失礼します、お嬢様」

 春江が慌てたように頭を下げ部屋を退出する。

 そして一人取り残された部屋で、美鈴は「むう?」と考え込んだ。



 天気は予報通りの大荒れとなり、窓には激しい雨が打ちつけている。その音を聞きながら、英語の勉強を終えた合間に、美鈴はそれとなくといったように和光に聞いた。

「そうだ国枝、今日のロールケーキ、作るのに失敗したでしょう?

 何が上手くいかなかったか、当ててみせましょうか?」

 ちらりと彼の顔を見れば、あのポーカーフェイスはまったく崩れておらず、美鈴の次の言葉を待っているようだった。

 美鈴は挑むように口を開いた。

「スポンジが上手くいかなかったんじゃない?

 それで見栄えが気にならないトライフルに変更した。違う?」

 だがやはり彼の表情に変化はなかった。

「さすがお嬢様、ご明察です。

 スポンジが上手く焼けませんでした。ですが、焼きなおす時間はありませんでしたので」

 淡々と白状する彼に美鈴はちょっとおどけたように付け加えた。

「よく母様もそうしてたから、そうじゃないかと思ったの」

「素晴しい推理力です」

 そこに美鈴はもう一度切り込むように和光に尋ねた。

「でも、それを私に隠そうとしたわね?」

「伝える必要のないことかと」

 しれっと答える和光に美鈴はふぅと息を吐く。やはり一筋縄ではいきそうにない。

 美鈴は真正面から和光を見つめた。

「国枝、貴方がこの屋敷にきてもう十日以上たったわ。

 貴方のことを良く観察してきたし、使用人としても、パティシエとしても、ボディガートとしても優秀なのは分かった」

 けれどそう言った上で美鈴はきっぱりと言い切るのだ。

「でも、私に貴方は必要ない」

 真っ直ぐな少女の瞳に和光は少しだけ目を伏せて、そして尋ねた。

「私は失格でしょうか?」

 美鈴は首を振った。

「いいえ。残念ながら、まだ貴方を失格にできる条件は整っていないわ」

 そう、まだ今は。

 言外にそう強調して、美鈴は和光を見つめ続ける。どんな些細なことも見逃さないように。

「国枝、質問しても良いかしら?」

「はい。お答えできることでしたら」

「貴方の正体は何?」

「その質問にはお答えできません」

 直球過ぎる美鈴の質問に、間髪いれずに和光は答えた。

(成程、そうなるわけ)

 美鈴は頭のなかを整理しながら「そう」と呟き、それから次の質問を口にする。

「じゃあ、貴方が全自動人形オートマチックドールだと証明するものを私に見せられるかしら?」

 これも「できない」と突っぱねられることを想定していたが、これは『答えられる』質問だったようだ。

「はい。お見せすることは可能です」

「では、見せて」

 そう命じる美鈴に「かしこまりました」と和光は頷いて、おもむろに上着を脱ぎ―――――。

「って、ちょっと! 何してるのよっ?」

 彼はシャツをズボンから引っ張り出しはじめたのだ!

「お嬢様が全自動人形オートマチックドールだと証明するものをお見せしろとおっしゃったので」

「って、まさか裸?」

「いえ、正確には腰ですが」

 そして和光はシャツをめくった右の腰骨あたりのところに手を当てると、その皮膚を指でつまみ剥がした。

 その皮膚の―ような物だろう、たぶん―下にあったのは。

「それ」

「はい。接続端子です」

 鈍い銀色に光る端子が二つ、そこにはあった。

「さ、触っても?」

「大丈夫です」

 和光が頷いたので、美鈴は恐る恐るその金属に手を伸ばした。

 触れたそれはほんのりと温かく、しかし間違えようもない硬質な感触で、彼の身体の一部がそういう構造になっていることがはっきりと分かった。

「本当に、全自動人形オートマチックドールなのね」

「はい」

 はっきりと答える和光に、美鈴はゆっくり言葉を選んだ。

「じゃあ、製造ナンバーがあるはずよね? それは答えられる?」

「はい、お答えできます。ナンバーは13です」

「13………」

 呟いて美鈴はまた頭のなかの情報を整理する。

(国枝は、『ひと』じゃない)

 しばらく考え込んだ美鈴は、再び口を開いた。

「国枝、また一つ当ててあげる」

「何でしょう?」

「貴方のその名前―――――和光っていうのは、父様がつけた名前でしょう」

 和光はこれには驚いたように目をちょっと見張った。

「はい。ご名答です。しかし、どうしてお分かりに?」

 不思議そうな和光のそれに、美鈴は眉間にしわを寄せて苦々しい顔をした。

「判るわよ、そんな安直な名前。一と三を別の読み方にしただけじゃない。いかにも父様がつけそうな名前だわ」

「そうなのですか?」

 ぴんとこないといった表情の和光に、美鈴は力強く―何かを抗議するように―言った。

「ええ! 私なんか十二月三日生まれだからって『ひふみ』って名前にしようとしてたのよ?

 母様に即座に却下されたらしいけど!」

「それは……………賢明なご判断ですね」

「本当にね!」

 腕を組み鼻息荒く同意する美鈴をしばらく見つめ、和光はぽつりと呟いた。

「では、お嬢様のお名前は奥様がお考えになれられたのですね」

「………………ええ。私が生まれた日はとても寒くて凛としていたからって」

 朝日がきらきらと眩しく、美しい鈴の音が聞こえてきそうな日。

 産声が祝福するように響いていたと。そう語ってくれた母の声を思い出す。

「美しいお名前です」

 穏やかに言われた言葉に思わず美鈴は動揺した。

(って、何で!)

 その慈しむような声に驚くやら、どぎまぎするやら。

「そ、それより! 早く服を整えて! もう十分判ったから!」

 慌てて言った美鈴の言葉に従って和光が服装を整える。

 それを待って、美鈴は再び口を開いた。

「それで、質問の続きなんだけど」

「では、あとお一つだけでお願いします。勉強がはかどりません」

「分かったわよ!」

 一つだけと制限されて、美鈴は慎重に最後の質問を選ぶ。

「貴方のマスターは父様―――――西園寺正孝なの?」

「はい」

 当たり前といえば当たり前のその答え。

 美鈴は頷いて机に向き直った。

「そう、分かったわ。ありがとう。じゃあ、勉強をする」

 だが勉強を再開するかと思われた和光が意外なことを言った。

「お嬢様、私からも一つご質問をしてよろしいでしょうか?」

 美鈴が和光に探りをいれることはあっても、彼からそう切り出してくることなど今までなかったことだ。美鈴はすぐに了承した。

「いいわ。何?」

 すると彼はとても神妙な顔で聞いてきた。

「お嬢様はマスター―――旦那様を疑っておいでなのですか?」

「…………質問が分からないわね。父様の『何』を疑っているというの?」

「奥様の、貴方のお母上の『死因』との関係性について、です」

 美鈴は皮肉げに笑う。

「ずいぶんと直球じゃない」

 だが和光も負けてはいない。

「先ほどのお嬢様の質問ほどではないかと」

 二人が睨みあったまま部屋に沈黙が下りる。

「疑っていない、と言ったら?」

 沈黙を破ったのは美鈴だった。だがその言葉に和光は静かに確認をした。

「疑っておいでなのですね」

 どうしてこうも、この人形は、美鈴の思考を何もかも見透かせるのだろう。

「本当に貴方って優秀ね。ますます私の傍においてはおけないわ」

 皮肉げに笑って誤魔化そうとした美鈴だが、和光はそうさせてはくれなかった。

「その理由は『私が旦那様の物だから』ですね」

 疑いの核心を、あっさりと暴かれる。

「…………そうよ」

 美鈴はもう否定しなかった。どうせバレているのなら取り繕う必要などない。

 そもそも、初めからして美鈴が警戒していることなど、とっくに彼は知っているだろう。優秀な和光ならば、きっとその理由すらも。

 和光はそんな美鈴を見つめ、そっと問いかけた。

「―――――お嬢様、知らずにいる平穏というものもある、とは思いませんか」

 話の流れから外れているような、そうではないような、そんな問いだった。

 それに美鈴は真っ向から答える。

「そうね。でも私は―――――――知って闘い、平穏を勝ち取る方を選ぶわ」

 どうせ偽っても彼は見抜いてしまう。

 ならばいっそ堂々と、強くあれるように。

(負けるわけにはいかない)

 宣戦布告だった。

 その力強い光を宿した美鈴の瞳に、和光は一瞬だけ何かに迷ったように下を向いた。

 だがそれもほんのわずかの間。和光はすぐに視線をもどして口を開いた。

「分かりました。では一つだけお教えします」

 相変わらずのポーカーフェイスで、彼は淡々と告げる。

「お嬢様の推測は間違っておりません。奥様は殺されました」

 美鈴はそんな彼をじっと見つめ、低い声で問いかける。

「………………国枝、母様は『誰』に殺されたというの?」

「お答えできません」

 和光のその答えに美鈴は質問を重ねることを止めた。

 おそらく何を聞いたところで、同じ答えが返ってくるだろうことが判っているからだ。

「そう」

 それだけを呟き、美鈴は考え込む。

(どうすれば情報を引き出せる?)

 だがそれを考えつく前に美鈴は現実に引き戻された。

「ではお嬢様、勉強を再開しましょうか」

 まるで何事もなかったかのように和光はそう言って教科書を開いたのだ。

 常と変わらない姿勢に、美鈴はつくづく厄介なと溜息を吐きたくなる。

「まったく、貴方って本当に優秀だわ」

「お褒めいただき光栄です、お嬢様」

 しれっとそう言って、もうすっかり勉強を再開する用意を整えてしまった和光に、美鈴は観念して机に向かうしかなかった。









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