第三章 疑惑をよぶトライフル ―疑惑―


 不穏なやり取りの後、勉強を終え、お茶の準備をするため和光が部屋を去る。それを見計らって、美鈴はそっと本棚の裏に隠しておいた資料を取り出した。

 それは美鈴が独自に人を雇って調べさせた、母―蓉子が死ぬことになったあの事故の詳細だ。

(国枝はこの事故のことを把握している)

 公式な見解では、蓉子は交通事故―トレーラーの横転事故だ―に巻き込まれて亡くなったとされている。だが美鈴はその母の死を聞かされた時、それが真実であるかは疑わしいと即座に判断した。

 何故なら、その事故現場に居合わせた当事者達、つまり事故を起こしたトレーラーの運転手と、西園寺家の運転手、そして母の蓉子、全員が死亡していたからである。そして、事件の目撃者もいない。

 何が起こったか真実を語る者が不在のなか、推測だけで物事が進むことに違和感を覚えた。

 美鈴はすぐさま事故現場の詳細な情報を集めた。警察と―――別の人間に働きかけて。

 そして警察の提出してきたそれと、独自に調べたそれに違いを見つけた瞬間、美鈴の予感は確信へと変わった。

 情報が隠匿され捻じ曲げられている。それすなわち警察すら逆らえない力が働いている、ということに他ならない。そしてその心当たりは、美鈴にはある過ぎるほどあった。

 それらに母が殺される理由にも。

(おそらく、西園寺家に関わる誰かが事故に見せかけ、母様を殺した)

 あくまでも推測だったが、その可能性が高いことを美鈴は知っていたし、そしてそれが当たっているとするならば、次に狙われるのは自分だということも分かっていた。

 だからこそ美鈴は屋敷からは出ず、慎重に周囲を探ってきたのだ。

 必ず真実を暴き、母を殺した人間を見つけ出す。

(それが誰だか分かるまで、死ぬわけにはいかない)

 その想いだけを支えに。

 資料に目を落としている美鈴の後ろで扉の開く音がした。

「お嬢様、お茶をお持ちしました」

 もどってきた和光は、美鈴の様子にすぐに気がついた。

「どうかされましたか? お嬢様」

 まったく目ざとい男だ。そんなところも油断がならない。

 美鈴は息を吐くと、和光のほうを向く。

「国枝、貴方はさっき言ったわね、母様は殺されたと」

「はい。申しました」

 あっさりと認める和光に美鈴は覚悟を決め、書類をぽんと机に上に放る。

「それに目を通して、貴方の意見を言いなさい」

 和光は美鈴と書類を交互に見つめ、それからそれを手にとり目を落とした。

「これは…………奥様の事故現場の詳細、ですか」

「そうよ」

 賭けだった。虎穴に入らずんば虎子を得ず、というものか。

 美鈴はこの男がどこまで知っているのか、父の狙いが何なのか、それを見定めたかった。

 和光は書類のすべてに目を通し、そして美鈴へと視線を上げた。

「よくここまでお調べになりましたね」

「ということは、貴方はこの情報を知っているのね。もちろん、父様も」

「はい。旦那様はこの事故の不審な点を把握済みです」

「…………犯人も分かっているの?」

「その質問にはお答えできません」

「それは――――――父様が犯人だから答えられない、と?」

 静かな美鈴のその質問に、和光は微動だにせず答えた。

「いいえ。お答えできない事柄だからです」

 美鈴はさらに質問を重ねた。

「父様は貴方に何を命じたの? 私を『監視しろ』と言ったのではない?」

「いいえ。そう命じられてはいません。貴方をお守りしろと命じられています」

 表情のまったく読めないその男を美鈴はじっと見る。

「でも貴方は、嘘がつける。そうよね?」

 彼は時に情報を隠し、真実ではないことを口にできる。そのことに気付いたのは、先日ブラウニーを振舞われた時だ。

 だからこそ美鈴は疑った。彼が本当に全自動人形オートマチックドールなのかどうか。

「その質問にはお答えできません」

 和光はさっきと同じ言葉を繰り返す。

「……………分かった。もういいわ」

 今日のところは十分すぎるほどの情報が手に入った。これ以上深入りするのは得策ではないのかもしれない。

 もう話題を切り上げようとした、そんな美鈴に今度は逆に和光が尋ねた。

「お嬢様、また一つ、質問することをお許しいただけますか?」

「………ええ、かまわないわ。何?」

 迷ったが許可すると、和光はさきほどした質問とほぼ変わらないようなことを聞いてきた。

「何故、旦那様をお疑いになるのでしょうか? 実のお父上を」

 どこか憂いを帯びているようなその問いに、美鈴はすぐには答えることができなかった。

 父を疑っている、そうと口にすることは美鈴にはやはり辛いことだった。

 だが、どうしても拭えない違和感が美鈴にはあった。

(父様は私に何かを隠している…………そんな気がする)

 確信はなく、ただ直感にも似た、そんな微かなものだ。だが、美鈴はそれから目を逸らすことはできなかった。

 ならば徹底的に疑うしかない。それが『何か』分かるまで。

 冷静に、と頭で呟いて美鈴は言葉を吐き出した。

「可能性を客観的に考えれば、そうなってしまうでしょう」

「可能性ですか?」

「ええ。母様が死ぬことによってメリットを得る可能性のある人物、それは三人だわ」

「三人?」

「そう。一人目は―最も怪しいけれど―父様の弟の義孝よしたか叔父様。母様が死んで、そして私が死ねば、父様のあと、あの人が西園寺家を継ぐことになる。

 二人目は父様。母様との間に何らかのトラブルがあった場合、母様がいなくなればそれが解消される。父様に愛人がいないとも限らない」

「お嬢様は旦那様がそのような人だとでも?」

「…………可能性だと言っているでしょう」

 低い声でそう言って、美鈴は言葉を続ける。

「三人目、それは私。母様が亡くなって、実のところ一番恩恵を受けたのは私だわ」

 現在のところ、西園寺の全てを引き継ぐのは自分なのだ。可能性で言えば疑いは最も濃厚、といったところだろう。

 それは自分をその地位につかせたがっている誰かがいる、とも考えられるが。

(結局、全ては可能性、推測にすぎないのだけれど)

 唇を引き結んだ美鈴に和光は静かに言った。

「お嬢様は本当にご明察でいらっしゃる。客観的で分析力にたけ、素晴しい精神をお持ちです」

 だが言葉とは裏腹にどこか痛ましそうな顔で和光は続けた。

「ですが、その力がご自身を傷つけていらっしゃるように見受けられます。

 このようなこと、本来では口にしてはならないとは思いますが、どうぞお気を付けください」

 忠告のようなそれを美鈴はいぶかしく思った。

「それは―――――この件には首を突っ込むな、と言っているの?」

「できることなら。ですが、それは貴方の為にならないような気もしています」

「国枝?」

 美鈴は眉をひそめた。それは表情を崩すことのない彼の異変に気付いたからだった。

「お嬢様は、お嬢様のお心に従って行動なさるのが一番良いと分かっています。

 ですがどうか――――ご自身を傷つけるようなことだけは、おやめください。私から申し上げることができるのは、ここまでです」

 まるで口を開くことすら苦痛のような、そんな顔で和光は美鈴に告げた。

 何かに耐えるような目で。

「貴方―――――本当に、何者なの」

 そして何の為にここにいるの。

 そんな美鈴の呟きに、和光は苦しそうなままに答える。

「すみません。お答えできません」

 美鈴はそっと首を振った。

 そもそも返答を期待して言った言葉ではなかった。

「いいわ。貴方にも貴方の事情が、そして父様には父様の事情があるもの。当然だわ」

 だからこそ勝負ゲームのなのだ。

 其々が、己の意思を貫くための。

「じゃあ、お茶にする。トライフルがあるのでしょう?」

 場面を切り替えるように、美鈴はふっと笑って和光に尋ねた。

「はい。お飲み物はアイスティーでよろしいでしょうか」

「ええ。ありがとう」

 いつもと同じやり取り。ここ数日ですっかり馴染んでしまったそれは、温かく感じられる。

 美しく盛り付けられたトライフルを前に美鈴は和光に問いかけた。

「ねえ、国枝?」

「何でございましょう」

「貴方が何者でも―たとえ監視者でも―このお菓子は私の為に作ってくれている。それは当たっている?」

「はい。ご名答です」

「……………そう」

 美鈴はトライフルをスプーンですくって口に入れる。二層のクリームとフルーツの酸味、そしてスポンジの甘さが口いっぱいに広がる。

 まったく記憶と違わないその味。

 それこそが、美鈴の為だけに作られているという証。

「国枝、今日も美味しいわ」

「光栄です」

 恭しく頭を下げる和光に美鈴は不敵に言ってみせる。

「貴方のお菓子を食べられなくなることだけは、ちょっと残念ね」

「…………ありがたいお言葉です」

 そう、それだけは分かっていること。

 和光は自分の為だけにこのお菓子を作っている。

 彼が何者でも。父の思惑が何であれ。そして母の死の真実が残酷なものであったとしても。

 それだけは間違いようもないことのように美鈴には思えた。

(知らずにいる平穏、か)

 荒れ狂う外の天気と室内の優雅なお茶。きっとそれは今の状況と同じだ。

 壁一枚、隔てたそこに渦巻くもの。

 それに挑まず、ここに止まるという選択肢もある。

(それでも、私は)

 美鈴はもう一口、トライフルを口に入れる。

 蕩けるような甘美な味。ほのかに香る洋酒にくらりとした。

 それはどこか頭をかき乱す。

 行き先を惑わせるように。否、逆に暴くように?

 渦巻いているは外と内、いったいどちらだ?

 疑惑を胸に美鈴はトライフルを口に運ぶ。

 そして少女はそれを食べ終わる時。ある一つの決心をしたのだった。









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