第四章 ルリジューズで剥がれるメッキ ―信頼―


 結果からすれば、和光の祈りも虚しく少女の案は許されてしまった。

 この屋敷の使用人達は、和光が予想していたよりはるかにこの『お嬢様』に甘かったらしい。

 彼女がどんな説得をしたかは知らないが、和光は本当に四六時中―それこそ入浴時まで―彼女の傍にいることになってしまった。

 よって現在、和光は寄宿舎の部屋で寝起きしていない。だが、どうしてうら若い少女の部屋で寝起きせねばならないのか。

(そもそも私がお嬢様の言うように嘘をついているのだとしたら、この状況は最も危険なんじゃないか?)

 寝首をかかれるのはごめんだとか言っていたくせに、その疑いのある彼の近くですうすうと寝息をたてている少女に頭が痛くなる。警戒心が強いのだか、無防備なのだか。

 いや、おそらくこれは自分を試しているのだということも分かっているが。

(危険をかえりみなさすぎる!)

 だがそんなことを注意しても、彼女が聞くはずもないことは分かっている。

 そもそも「マスターとなった証を見せろ」と言われ、それを明確に示す術がないことの方が問題なのだろう。

 しかし彼女は紛れもなく彼のマスターとなったのだ。

 彼の護るべき主に。

(どうしたらいい? 現状を維持する、か?)

 それは良いようにも、悪いようにも思える。

(だいたい、この屋敷の者は何を考えている!

 主の決定とはいえ、こんな年端もいかない女の子の部屋に男を寝かせるなんて、正気の沙汰とは思えない!)

 少女の寝室に簡易的に作られた自分用の寝床に、和光の頭痛はさらにひどくなった。

 何故だか知らないが、自分はいつの間にかこの屋敷の者達に絶大な信頼を得てしまっていたらしい。

 こんなわけの分からない男をよく主の傍においておけるな、と思わず胸のうちで毒づいてしまうが、そんな風に思うのは当の本人だけという、本当に理解の難しい状況になっているのだ。

(信頼、か)

 それは確かに必要だとは思う。だが何もこんな方法で証明しなくとも良いだろうにと和光は思った。

(ああ、そうだ。自分の身を傷つけてみせたら証となるだろうか)

 彼女の命じられたままに動くと分かってもらう為に。

(そうだ。それが良い)

 彼女の命ならば自らを損なう行動ができると見せるのだ。それを証としよう。彼はそう決めて朝を待った。

 の、だが。

 和光のその考えは甘かったようだ。彼の提案を聞いた美鈴は眉をひそめ聞き返してきた。

「はい? 今、何て?」

「ですから、私に自分の足を刺すようご命令ください、と言いました」

「…………何でそんな命令しなくちゃならないのよ。何? 貴方そういう趣味でもあるの?

 それとも私にそういう気があると思って言ってるの? だったら、殴るわよ?」

 その気はありそうだ、と和光は思ったが、もちろんそんなことは言わない。

 淡々と理由を述べるだけだ。

「お嬢様がなかなか私への疑いを解いてくださらないので。

 私が貴方様の命令通りに動くのだということを証明したいのです」

「……………呆れた」

「は?」

 どうしてそんな顔をされなければならないのか―あいにく今の彼は思考を読む機能は封じられていたので―和光には分からなかったが、美鈴のその顔はどう見たって呆れたものだった。

「貴方ってけっこう馬鹿なのね」

 そんなことまで付け足して彼女は腕を組む。

「そんなことしたって証になりもしないじゃない。

 そもそも貴方は全自動人形オートマチックドールで、しかもスパイ用なんでしょう? それができたからって、信用できるとは限らない」

「それは…………そうかもしれませんが」

 だからどうしてそういうところだけ聡いのだ、この少女は、と和光は恨めしく思った。

「それにそんな悪趣味なことする気ないもの。たとえ貴方が全自動人形オートマチックドールだからって」

 すっぱりと和光の案を却下した美鈴は、けれど彼の言っていたことがちょっとだけ引っかかっていた。

(身体を傷つける、ねぇ?)

 それは彼の謎の一つだったから、この際にと美鈴は和光に尋ねた。

「ねえ、前から思っていたのだけど、貴方のその身体、いったい何でできてるの?」

 彼の身体は金属探知機には引っかからない。スパイ用に作られているのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、だとするなら何で彼は構成されているのか。

 そんな美鈴の質問に和光はあっさり国家機密をバラした。

「基本構造は人間とあまり変わりありません。有機物ですし、食事の摂取も可能です」

「えっ?」

 てっきり外側だけ人口皮膚やらを使っているかと思ったのに。

 想定外のそれに美鈴はぽかんと口を開けたが、和光はさらに衝撃的なことを告げた。

「私の素材の元は人間ですから」

「に、人間っ?」

「はい。人工的に試験管で作られ、スパイ用に改造される為に育てられた、実験場の人間です。

 けして人身売買とかではないのでご安心ください」

 いや、そこは安心するところではない。そもそも、それは人道的に許されるものだろうか。

(いいえ、きっと許されはしない………けど)

 国家の利益というものの前ではそんなものは関係ないことくらい、さすがの美鈴にも分かっていた。

「じゃあ…………貴方は、人と何が違うの?」

 人と同じような身体を持ち、人の中で生活するように作られた全自動人形オートマチックドール。それはもはや人と変わりないように美鈴には思えた。

 だが和光はそんなことを考えもしないのだろう。

「通常人とは違い、内蔵や骨格、皮膚や眼球などを交換することが可能です。

 ああ、ですが今はそれなりにお金がかかってしまいますので、交換しなくてもいいように気をつけろと旦那様には言いつけられております。

 そして先日も申し上げたように、脳が改造されています。こちらは充電が必要でして、端末から電気を補充する必要があります。

 あとは、脳内に集積された情報を取り出せるようになっております。電子機器にデータを移すことが可能でないと、全自動人形オートマチックドールの意味がありませんからね」

 恐ろしいことばかりを、まるで取り扱い説明書を読み上げるがごとく―いや実際、彼にとってはそうなんだろう―和光はすらすらと口にした。

 その教えられた数々の事実に美鈴の頬は引きつる。

「…………………ねえ、今更だけど、それって国家機密よね?」

「はい。ですが、質問にはすべてお答えすると言いましたから」

 なんというか(むしろそれを明かすことこそ証なんじゃ?)と美鈴は思ったが、懸命にもそれは口にしなかった。

(おそらくだけど、国枝は嘘を言っていない)

 そしてそれが何よりの証のように思えた。

(私は本当に国枝のマスターになった、ということ?)

 だってその情報は、マスター以外には口外してはならないもの。あのお決まりの台詞、「お答えできません」に該当するはずなのだ、絶対に。

「と、ともかく、私は貴方に『自分を刺せ』なんて命令はしない。意味ないもの」

「しかし、お嬢様」

「ああ、もう、そんなことしないったらしないの! だいたいそんなの見たくないし。

 そもそも何が問題なの? 私が貴方を信用しないこと?

 でもそれって自業自得なんじゃない? 思い返してみなさいよ、貴方と父様がしたことを!」

 美鈴は一気にまくし立てて和光をじろりと睨む。

 もちろん和光がそれに反論できるわけもなく。

「おっしゃる通りです、お嬢様」

 和光は頭を下げるしかない。だがそんな彼に美鈴がおもむろに言った。

「でも、そうね。チャンスをあげてもいいわ」

「………チャンス、とは?」

 視線を上げた和光に美鈴は不敵に微笑む。

「貴方を信用してあげてもいいわ。ただし――――私の望みを叶えてくれたら、だけど」

「望み、ですか」

「そうよ」

 和光はそんな美鈴を見つめて静かに言った。

「奥様を殺した者を見つけ出すこと、ですね」

「ええ」

 こくりと頷く少女に和光は問うた。

「お嬢様、その望みを叶えることは、本当に貴方を幸せにしますか?」

 美鈴はすぐには答えられなかった。

 けれどその視線が和光から外されることはない。

「判らないわ。でも、このままは――――――辛いの」

 ぽつりと美鈴は正直に答えた。

「何故、母様が死んだのか。誰がやったのか。どんな思惑があるのか。

 知らずにいることもできるって解ってる。もしかしたら、それが賢いやり方なのかもしれないってことも。

 それでも……………私は嫌だわ。知らずにいることは、辛いの」

 美鈴はふっと息を吐いた。彼女は和光に指摘されるまでもなく自覚しているのだ。

 望みは救いではないこと。この望みが叶うということは、さらなる試練になりうること。

 戦い続けなくてはいけなくなることを、その聡明な少女は知ってしまっている。

 それでも。

「国枝、貴方は『西園寺美鈴を守れ』と命じられているのでしょう。でもそれは前の主の命令。

 今の主はこの私。そうでしょう?」

「左様でございます」

「では、私の望みを叶えて。貴方は私の盾でなく、つるぎよ」

「―――――かしこまりました」

 そう頭を下げながら、和光は少女に密かに誓った。

(貴方を守り抜きましょう。貴方の、その志ごと。どんなことをしても)

 何がこの少女の為になるのか、まだ答えはでない。だが、もうこのままではいられない。

 彼女の父が望んでいたプランは諦めなくてはならないのだろう。あるいは彼自身がそれを望んでいたのかもしれない。

 戦うことを少女が命じてくれたのなら、と。

「では、お嬢様、私の知りうること全てをお教えします」

「―――――何ですって?」

「お嬢様が知りえていない重要な事実があります」

 途端に美鈴の眉間にしわがよった。

「ねえ、ついこの前、もう隠し事はしないとか言わなかったっけ?」

「そうおっしゃったのはお嬢様です。私は『貴方の質問に何でも答える』と申しました。

 その『事実』についてはご質問をうけませんでしたので」

 屁理屈だ! と叫びたいところを必死で我慢して、美鈴は拳を硬く握りしめる。

「へえ、つまり犯人に繋がる何かってことね?」

「はい。その通りです」

「こととしだいによっては殴るわよ?」

「かまいません。むしろ、そうしてくださったほうが私にはありがたい」

「分かったわ。聞いたら殴る。さ、言って」

 にこやかに言う美鈴に和光は(その気は確実にある)と再確認しながら、顔を引き締め―もちろん殴られることに備えてだ―口を開いた。

「貴方のお父上、西園寺正孝様のことです。旦那様は―――――」

 しかし和光が告白できたのはそこまでだった。

 何故なら、高らかな銃声が一つ、屋敷に響いたからだ。

「!?」

「お嬢様!」

 それは聞き間違えようがなく銃声だった。

 美鈴はすぐさま窓際から離れ、和光はそんな彼女を庇うように前へと移動する。

「外ね?」

「はい。おそらく玄関、エントランスの方かと――――――お嬢様?」

 だがしかし、和光が振り返った時には美鈴はもう廊下へと駆け出した後だった。










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