第五章 ほろ苦いティラミスは悲しみの味 ―急襲―


 銃声が聞こえたのは玄関のエントランス方面、前庭からだ。

「お待ちください、お嬢様!」

 和光が制止する声が後ろから聞こえたが、美鈴はそれを無視した。

 そして美鈴はエントランスに躍り出る。だがそこで、警備の輪島に止められた。

「お嬢様! それ以上はなりません!」

 肩をつかむその手には、死んでも離すものかというぐらいの力が込められていた。

 だから美鈴もそれ以上動こうとはしなかった。ただ静かな声で彼に尋ねた。

「現状はどうなっているの」

 しかし輪島はそれには答えず、美鈴を後ろへと下がらせようとした。

「お嬢様、下がっていてください。私共が何とかいたします」

 美鈴はその優秀な警備員に真っ直ぐ視線をぶつけると、さらに声を落として告げた。

「言葉が分からないのなら、もう一度言うわ。

 何が起こったのか、そして今どうなっているのか、説明しなさいと命令しているの」

 射抜くような美鈴の目は、けして引き下がることなどないことを物語っていた。

 そしてこの屋敷では彼女のその瞳に逆らえる者などいないのだ。

「…………分かりました」

 深い息と共に輪島はそう言った。

 もちろん、その顔は苦虫を噛み砕いたような、ものすごく不本意なものであったが。

「先ほど玄関前に銃を持った男が現れました。

 男は一度発砲、現在は人質をとって植え込みのあたりに座り込んでいます」

 説明する輪島に美鈴は質問を重ねる。

「人質は誰? それから、要求は?」

「人質は、その…………岸田さんです。要求は、お嬢様を連れてこい、と」

 しばらく思案して美鈴は後ろを振り返り、当然のようにそこにいる人物に命じた。

「国枝、手袋を外して」

「かしこまりました」

 さっと素手になった和光に美鈴は小声で聞いた。

「何か分かる?」

「探知できる範囲に敵らしき者はおりません。…………お嬢様、私が行きましょう」

「――――――分かったわ」

 ちょっと躊躇って、けれど美鈴は頷いた。そして輪島に「国枝を交渉に向かわせるわ」と告げる。

 それには輪島も驚いたようだが、和光の「では輪島さん、お嬢様をお願いします」という言葉には、はっきりと頷いた。

 美鈴と輪島が奥に下がったことを確認すると、和光はその重く重厚な玄関の扉を細く開けた。

 扉のすぐ近くには人のいる気配はない。だが。

(やはり見られているな)

 扉を確認できる位置、それもここからは見えにくい植え込みの影に、こちらを注視している者がいる。

(となれば、隠れるだけ無駄か)

 人質をとって要求を出しているということは、何らかの交渉を誘っている、と考えるのが妥当だろう。

 和光はさっと扉の隙間をすり抜け、もういっそ堂々とした風にその身をさらした。

 そしてまったくいつもと変わらぬ歩調で植え込みに近づく。

「そっから動くなァ!」

 十メートルほどに距離を縮めた時、植え込みからがなり声が聞こえた。

 犯行の正確さに反して、あまり頭の良さそうな声とは思えないものだった。

「てめぇ、誰だ?」

「警備の者です」

 慎重に言葉を選んで和光は相手との距離を測る。

 何とかして思考が読める距離まで近づきたいところなのだが。

「主の命で要求を確認しにまいりました」

 そう言いながら侵入者と人質の見える位置へと和光はにじり寄る。

「動くんじゃねぇっつったろ!」

 男が吼えた。だが和光はじりじりと距離をつめていく。

「人質は無事ですか? 主は人質を救うためならば何でも要求をのむと言っています。

 どうか人質の安全だけでも、確認させてください」

 押し黙る男に、和光はさらに交渉できる―いざという時の遮蔽物が近くにあり、しかし侵入者と人質とが確認できる―場所に移動する。

「ああ、無事ですね」

 完全にあらわとなった侵入者と人質に和光は微笑んだ。

 男はラフで動きやすそうな、この屋敷には明らかに不釣合いな格好で、春江の肩を抱くようにして座り込んでいる。もちろん、もう一方の手には拳銃が握られていた。

 距離は五メートルあるかないか。

「要求を確認しにまいりました」

 そんな和光を胡散臭げに見つめ男は怒鳴った。

「そんなもん、さっきから言ってんだろうが! 西園寺の一人娘を出せってよォ!」

「それは、西園寺美鈴様のことでしょうか」

「当たり前だろうがよ! 他に誰がいるってんだ!」

「では、さきにご用件をお伺いいたしましょう」

 途端に男の顔が歪んだ。

「ハァ? 何言ってんだ? あの娘っ子を出せっつってんだ、オレは!」

「ですから、お嬢様に用なのでしょう? 要求は彼女の命ですか? それともお金ですか?

 お金ならば、その人質の為に幾らでも用意するとお嬢様はおっしゃられました。

 そのことを確認してくるようにと、私は命じられています」

和光の言葉に、威勢のよかった男の声が弱々しいものへと変わった。

「か、金? 用意できんのか?」

「ええ。いくらです? 金額を提示してください」

 男の顔は明らかに迷っていた。いや、葛藤しているというべきか。

 だがけっきょく彼は頭を振って、大声で叫んだ。

「いや、駄目だ! 娘を出せよ! でなきゃ、こいつを撃つぞ!」

 そして銃を人質へと突きつける。

 和光はそんな男をなだめるように―試すように―言った。

「銃を下ろしてください。今ここで撃てば、貴方は目的を果たせなくなりますよ」

 すると男の顔色が変わった。

「何だァ? テメェ、何を知ってやがんだ?」

「いえ、貴方がお嬢様にお会いしたいと要求するので、そう申し上げたまでですよ」

 和光は涼しい顔でそう言うと、男に会話の主導権をわたさずに続けた。

「確認しますが、貴方の要求は『西園寺美鈴様』がここにくること、ですか?

 お嬢様がここにいらしたら、その女性を解放していただけますか?」

「………ああ、そうだ」

 そう答える男に和光は少し思案しそれから頷いた。

「そうですか。では、そのようにいたしましょう」

 ここは一旦引き下がって様子を見ようと、そう考えてのことだったが。

 その時だった。

「駄目です! 国枝さん!」

 もう我慢できないとばかりに春江が叫んだ。と、同時に男はまじまじと和光の顔を見た。

「国枝? アンタ、国枝ってーのか?」

「ええ――ッ!」

 頷いた瞬間、銃弾が打ち込まれた。

 和光はそれをすんでのところで避け、遮蔽物へと身を隠す。

(もしや…………これは)

 続けざまに何発か打ち込まれるが、当然これは当たらない。そんな和光に男は叫んだ。

「オラァ! 出てこいよォ! ぶっ殺してやる!」

 だが和光は怒鳴る男の声を聞きながら慎重に後退した。

 けして姿をさらさないように身を屈めて、遮蔽物から遮蔽物へと移動する。そして玄関とは真逆の中庭へと続く小道へと駆けた。

 生憎、相手はまだ和光を見失ったままであったらしい。難なく中庭へとたどり着くと、和光は躊躇わず侵入できそうな中庭のガラス窓を叩き割った。

 途端に鳴る警報機と、駆けつけてくる警備員達の足音。

「動くな!」

 拳銃を突きつけられたが、和光は冷静に言った。

「私です、国枝だ。お嬢様はどこにおられます」

 見知った顔の侵入者に、警備の者達は一様に戸惑いの表情を浮かべたが。

「状況がある程度分かりましたので報告にいきます。それから、警報機を止めてください。

 ああ、あとたいへん申し訳ないのですが、ここの片付けと警備をお願いします。さ、早く!」

「は、はいっ」

 そのきびきびとした和光の指示に其々が思わず従ってしまう。

 そしてものの数分で、和光は主の前にたどり着いた。

「ただいまもどりました、お嬢様」

「一応聞くけど、さっき鳴った警報機は貴方?」

「はい。玄関からもどるわけにはいかなくなりましたので、中庭の窓から侵入しました。あとで弁償いたします」

 やることは大胆なくせに変なところで律儀な和光に、美鈴は呆れた視線を向ける。だいたい今は窓の修繕など気にしている場合じゃなかろうに。

「それはいいわ。で、何か分かったの?」

「はい。あの男の狙いが分かりました。

 ですが―――――『ここ』ではお話できません」

 美鈴はすぐさまその言葉の意味を察した。

「分かった。で、貴方はどうやってこの状況を打開するの?」

 しかしそう聞かれた和光は何故だが口籠り、そして難しい顔のままに口を開いた。

「一つ、確認しておきたいのですが」

「何?」

「お嬢様はまだ私を疑っておられますか?」

 その素っ頓狂な―少なくとも美鈴にとっては―問いに、美鈴はもう呆れを通り越して腹が立ってきた。

 だって、そうではないか。

「貴方、やっぱり本当は馬鹿なの?」

「は?」

「信用していないならそもそも行かせたりしてないわ。それとも私をみくびってるの?」

「いえ、そのようなことは」

「ああ、そう。でも分かってないのね。

 じゃあ、はっきり言うわ。私は貴方に賭ける。たとえどんなに怪しくてもね」

 そして美鈴はおもむろに和光の手をつかんだ。

 そう、彼のそのあらわになっている手を。

「分かるわね? 国枝」

 不安定に揺れながらも、はっきりと感じられる、その覚悟に。

「はい、お嬢様」

 和光は力強く答える。

 そして彼はきびきびとした口調にもどり『打開策』を説明しはじめた。

「男の要求は『西園寺美鈴お嬢様に会わせろ』でした。お嬢様、要求を呑んでください」

 すると隣で聞いていた輪島が叫んだ。

「なりません!」

 が、美鈴はじっと和光を見つめたまま言った。

「ヤツに会うのね? それで?」

「岸田さんと人質の交換を提案してください。おそらく、拒否はしないはずです」

「何を考えているんだ! お前は!」

 信じられないといったように輪島は和光を睨んだが、美鈴はこくりと頷いた。

「分かったわ。春江さんを解放させて、それから?」

「ヤツが逃走を図るように、車を用意するとさりげなく提案してください。これもヤツはのってくると思います。

 車はこちらで用意するので、お嬢様は男と一緒に乗ってください」

「それで、すべてが上手くいくのね?」

 確認のように尋ねた美鈴に和光は言い切る。

「いかせます。必ず」

 そして和光は輪島を方を向き、頼んだ。

「お嬢様の護衛には和島さんがついてください。私は車に潜みます」

 つまり人質を交換した後の油断したところを取り押さえる、という作戦なのだ。

 だがそんな案は警備員の輪島にはとても許せたものではない。

「もう一度聞くぞ。何を考えている?

 どうしてそんな危ない橋をわたろうとする!」

 守るべき対象を危険にさらすなど、彼には到底できたことではないというのに。

 和光はきっぱりと言い切るのだ。

「これが最善なのです」

 そこにさらに美鈴からの駄目押しがかかった。

「輪島さん、ごめんなさい。でも国枝の言った通りにして。

 彼が信じられないというなら、私を信じて」

「それは――――ご命令ですか」

「…………そうよ」

 ついに輪島は渋々―を通り越しもはや嫌々だったが―頷いた。

「分かりました、お嬢様」

 そして殺意のこもった視線を和光にぶつける。

「もしもお嬢様に何かあったら、貴様をぶち殺す」

「ええ。それは私も望むところです」

 和光は本心からそう思った。彼女に何かなど、あってはならない。

 そんな覚悟が伝わったのだろうか、輪島はそのまま美鈴の隣に立ち和光に顎

しゃくって行けと合図した。









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