第四章 ルリジューズで剥がれるメッキ ―マスター変更―


 美鈴は大人しく和光の後をついていく。

 彼の言った『私の部屋』とは、他の使用人達と同様に、屋敷の裏手にある寄宿舎の一室のことだろう。

 事務員や警備員の詰め所も兼ねているそこは、本来ならばこの屋敷の一人娘である美鈴が近づくことなど、良い事ではないに違いない。

 しかし女中頭の春江をはじめ、気の良い職員達が多いこともあって、美鈴は小さな頃からそこに顔を出しては、住人達にずいぶんと可愛がってもらってきた。

 もちろん彼らが美鈴を邪険にできるはずもないことは百も承知だが、それでも「きてはいけません」等という大人はいなかったのだ。だから、あそこは美鈴にとって懐かしい場所でもある。

 だがそれも、この歳ともなれば立場というものを考えなくてはいけないと美鈴も分かっていた。

 寄宿舎は職員達にとっては家でありプライベートな空間だ。そこに雇い主が顔を出すなんて、嫌がらせ以外の何ものでもないだろう。

 そんなわけで、ついこそこそと辺りをうかがってしまうのは当然というか。だが幸運なことに誰とも鉢合わせすることなく、寄宿舎の一室、つまり和光の部屋にたどり着くことができた。

 そのことにほっとした美鈴だったが、そこでやっと別のことに―今更ながらに―気がついた。

(お、男の人の部屋に………二人きりって)

 使用人の寄宿舎、云々等を考えている場合ではないだろう!

(いやいやいや! 国枝は全自動人形オートマチックドールだったら!)

 だがそう考えてみても、赤くなった頬の熱はひいてはくれない。

「お嬢様、どうかされましたか?」

「なっ、なんでもないわよっ?」

 美鈴の声はひっくり返っている。これではいけない。

 こほんっとわざとらしく咳払いし、美鈴は誤魔化すように和光の手にある機械を指差した。

「で、それは?」

 特に知りたいわけではなかったが話題を逸らしたかったのだ。

 しかし、それはそれで困った事態を生むものだったらしい。

「マスター変更の為の入力機器です。今、繋げます」

 和光はそう言って、『全自動人形オートマチックドールである証を見せて』と命じた時と同じように服を脱ぎはじめてしまったのだ!

(だから! 目のやり場に困る!)

 思わず視線をあらぬ方へ向けてしまった美鈴だったが、和光はそんなことは気にも留めないというような素振りでさっさとあの端子をさらし、そこに入力機器だという機械を繋ぐ。

 そして何でもない事のように、入力機器とやらを美鈴に差し出した。

「ではお嬢様、指紋認証をお願いします」

 淡々としたその指示に美鈴の頬の熱がすっと引いた。

(ああ―――――国枝は、本当に全自動人形オートマチックドールなんだわ)

 じっとその機械を見つめた後、美鈴は恐る恐る手を伸ばしてそこに指を押し当てた。

 しばらくそうしているとピッという音と共に、何かが設定された、らしい。

「あとは声音を。ただ一言、『マスターは私だ』と宣言してくださればいい」

「それだけ?」

 用心深く聞く美鈴に和光は簡潔な答えだけを返す。

「はい。それで、貴方は私のマスターになります」

 そう、それだけで。彼を意のままにすることができる。

 美鈴は息を吸って深く頷いた。

「分かった。―――――貴方のマスターは私、西園寺美鈴よ」

 一泊後、和光は静かに告げた。

「マスターの変更を確認しました。

 今より私の主は貴方です。西園寺美鈴様」

 そして和光は美鈴の足下にひざまづく。

 まるでお芝居のようなそれに、美鈴は眉間にしわを寄せた。

「ねえ、国枝? マスターの変更ってこんなに簡単にできるものなの? それとも、これはわざと?」

 和光は静かに言った。

「通常、マスターの変更はすることができないようにロックをかけておくものです。

 そうされますか?」

「……………してちょうだい」

 言われた言葉を吟味して、難しい顔で美鈴がそう言うと、和光は「かしこまりました」と頷き、さっと立ち上がると入力機器に何かを打ち込んだ。

 そしてそれがすむと、機械を身体から外し、床へと叩きつける。

「ちょっと! いきなり何するのよ?」

「ああ、驚かせてしまい、すみません。でもこのほうがより確実ですので」

 つまりマスターの書き換えができないように、ということなのだろう。

 だがそうと説明されても、美鈴には真実味が沸かなかった。

「国枝、前に聞いたことをもう一度聞くけど。父様は、貴方に何て命じたの?」

 だがその答えはもう分かる気がした。

「貴方様をお守りするように、と」

 予測通りの、前回と同じ答えに美鈴の目は細くなる。

「じゃあ、これは父様の想定内のことなのね。

 というより、こうなる為に父様と貴方はあんな茶番を演じたってわけ?」

「茶番というわけではありません。貴方の信頼を得る為だと、そう命じられていました」

 和光の返事に美鈴はやはり、という思いがあった。

 正孝の思惑――――それは美鈴が真の意味でこの全自動人形オートマチックドールの主となること。

「で、あのお菓子ってわけね。どうせ父様なんでしょう、あの案は」

「はい。旦那様が全て私に仕込みました」

 美鈴はじろりと和光を睨む。

「父様なら母様のお菓子のレシピを知っていてもおかしくないし、それに同じ味が再現できたのも貴方がスパイ用の全自動人形オートマチックドールだったからでしょ。

 スパイ用だもの、貴方、人の考えとまではいかなくても、感情を読み取れるような力があるんじゃない?」

「はい。ご明察です、お嬢様。私の機能の一つに人の脳波を感知するものがあります。

 一メートルほどに近づかねば正確には読み取れませんが、そもそもお菓子は旦那様と何度か試作していましたので、お嬢様や岸田さんの思い描くお菓子を提供することは比較的容易にできました」

 つまり、始終近くにいた美鈴の思考など筒抜けだったということか。通りで鋭いことばかり言うわけだ。

 美鈴は顔を歪めた。

「不愉快な機能ね」

「すみません」

 頭を下げる和光に美鈴は首を振った。その機能があるのは別に彼の所為ではない。

「もちろん、その機能をオフにすることも可能よね?」

「はい。脳波を感知するのは私の手ですので、それをこうして覆ってしまえば思考を読むことはできません」

 そう言って和光はその手に白い手袋をはめた。

「これは特殊な素材でできていまして、これで私はひとの思考を読むことができなくなります」

「…………本当に?」

 不審そうに見やる美鈴に和光ははっきりと言った。

「私はマスターの貴方に嘘をつくことはできません」

 だが美鈴の視線はやはり胡乱なままだった。

「本当にマスターなら、ね」

「どういうことでしょう?」

 首を傾げる和光に美鈴は溜息を吐いた。

「だってそうでしょう? あれで私がマスターになったと言われても信じがたいわ。

 例え父様の思惑が私に貴方を使わせることだったとして、信頼できるものじゃないし」

「つまり、証が欲しいということですか」

「そうね。寝首をかかれるのはごめんよ」

 しばらく考えて和光は口を開いた。

「では、貴方の質問には何でも答える、ということでは証になりませんか?

答えられません、とはもう言いませんので」

 美鈴は腕を組み、ちょっとだけ笑ってみせる。

「ふぅん、隠し事はもうしないってわけね。

 じゃあ、まずは母様の事件のことね。貴方、あの事件をどこまで知っているの?」

 それに和光はごく真面目に答える。

「事件の不審な点については把握済みですが、犯人までは分かりません。

 だからこそ旦那様は、私を貴方の傍に置きたかったのだと思います」

 美鈴は思わず叫んだ。だってそれは。

「それって前に聞いた時と同じ答えじゃない!」

「はい。ですからあの時も申し上げたはずです。お答えできない、と」

「屁理屈だわ!」

 だが今は違う意味を持ってそれは情報となる。

 美鈴は半信半疑で和光を問い詰めた。

「本当に犯人が分かってないの? 父様にも?」

「はい。事件を画策したのは旦那様ではないと言い切れますが、義孝様でもないようです。これは直接、義孝様にお会いして確認したことです。

 そしてこの屋敷内にも、お嬢様に敵意を持つ人物はいませんでした」

 和光が屋敷に来て二週間以上が経つ。その間、彼はずっと手袋などしていない。

 屋敷内の人間全ての感情を確認した、ということなのだろう。

 だがそれが本当だとすれば、やはりあの事故は偶然ということになってしまいはしないか?

「ねえ、本当に貴方は嘘を言っていない?」

 その疑いの眼差しに和光は困った顔をした。

「ここで私が嘘を吐くメリットがどこにありますか?」

 しかし美鈴は不審顔を崩さなかった。

「さっき言ったでしょう。マスター変更そのものが怪しいって。父様の物ならば、父様の不利になることは言わないでしょうし」

「まだお疑いですか。というより、そうであるならむしろ今のこの状況は危険なのでは」

「そうね。だから貴方をどうしようか、必死で考えてるとこなの」

 和光の顔が困った、から弱ったようなどこか情けないものになった。

「どうすれば私を信じていただけますか。

 まさか、四六時中監視されるわけにはいかないでしょうし」

 こんな表情もできるのかと美鈴は内心ではちょっと面白く思ったが顔には出さない。

 主導権はあくまでも美鈴が握っていなければならないのだから。

「そうね。そうしましょう」

 腕を組んだまま美鈴はにやりと笑った。それに和光は困惑したように聞き返す。

「……………お嬢様? 何をおっしゃられたのか、よく分からなかったのですが?」

 その話をまったく理解できていないような和光の間抜けな言葉に、美鈴はしたり顔で言う。

「だから、四六時中監視するの。私が」

「は? いや、どうやって?」

 ああ、その和光の顔ときたら。いつもの沈着冷静なポーカーフェイスが台無しだ。

 笑い出しそうになるのを必死で堪え、美鈴はつんと胸を張って命じた。

「簡単な話よ? 半径三メートル以内にいなさい。これが私のマスターとしての最初の命令よ」

 和光は一瞬固まり、恐る恐ると言ったように尋ねた。

「まさか、一時も離れず? その、例えば、入浴中も?」

「もちろん。マスターの命令は絶対じゃなかったの?」

 試すような美鈴の視線に和光は顔をしかめたが――――――結局は頷いた。

「マスターのお嬢様にそう命じられたのなら逆らえません。ですが、本当にかまわないので?」

「ええ」

 何をそんなに躊躇う必要があるのかと言いたげな美鈴に、和光は眉間にしわを寄せながら渋々といったように了承した。

「分かりました。常にお傍におりましょう。

 ですが、輪島さんと岸田さんが許可したら、ということで」

「ええ、分かったわ」

 どうして二人の許可を得なければならないか分からなかったが、とりあえず美鈴は頷いておいた。

 あの二人のことだ、説得すれば駄目とは言わないだろうと踏んで。

 その危機感のまったくない少女の顔に、和光はひたすら二人の大人に良識があることを祈るしかなかった。









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