第二章 ブレイクタイムにはどっさり胡桃入りブラウニーを ―いけ好かない―



 父親の正孝氏とゲームを開始してから早一週間が過ぎた。が、実のところ、美鈴はまったくと言っていいほど勝機をつかめていなかった。

 というのも、あの第一の条件も、第二の条件も、和光はあっさり満たしてしまったからだ。

 警備員一強いと言われている輪島ですら、「いや、彼はすごい。どんな攻撃にも的確な対応をする。まったく、旦那様はいったいどうやってあんな人材を見つけてきたのやら」と褒めちぎっていたし、料理長の榎本は「料理についてはてんで駄目そうですが、菓子の知識は抜群ですよ。手際も良い。まあ、少し変な間違いもするようですが、問題ないかと」と彼を評し、春江は「衛生面にはものすごく気を使う方なんですねぇ。感心しました。料理の基本ですからね。それに、あのお菓子! 本当に奥様の作っていたものにそっくり! 驚きましたわ、お嬢様」とこれまた驚愕していた。

 つまり、全員が全員『資格あり』との判断なのだった。

 半ば予想はしていたものの、これはやはり美鈴には面白くない結果だった。

(流石はってところかしらね)

 机の上のノートをペンで突きながら、美鈴は眉間にしわを寄せた。

 全てにそつなく、命じられたことは完璧に遂行する。彼は本当に父が言う理想に限りなく近かった。

 唯一、欠点ともいえるのはその愛想のなさだったが、それで『資格なし』とするわけにもいかないだろう。

 コミュニケーション能力がないというのなら問題だが、単に笑わないとか、返答がそっけないというだけなのだ。『主を護衛する為に必要なルール』に、それらを加えるなんて馬鹿げていると美鈴は思っていた。

 お世辞や愛想を必要とする、常に自分を立ててくれなければ気に入らない、なんて態度は美鈴の最も嫌悪するものだ。

 よって、やはりこの勝負ゲームの明暗を分けるのは『彼の正体』ということになりそうだった。

 ここまでの経緯で、美鈴にも彼が『ただの全自動人形オートマチックドール』ではない、ということは分かっていた。

 そもそも、父は彼を「特注品」と言っていたのだし。という事は、彼はまさか美鈴の為に作られたということなんだろうか?

 技術者や製作会社を巻き込んで、あんな凝った物をたった一人の少女の為に?

 西園寺グループの財力とそのコネをかんがみて、美鈴は溜息を吐いた。

 不可能ではないだろう。特注の全自動人形オートマチックドールの一体を製作するくらいは。

 だが違和感はあった。そう〝何か〟が、腑に落ちない。

(そこ、なのよね)

 きっとその『何か』こそが、彼の正体の要であると美鈴は睨んでいた。

 あの父のことだ、安易な推測でたどりつけると思わないほうが賢明だろう。

(まったく、時間に制約がついていないのが救いだわ)

 それは父の余裕なのだろうか、返品できる期間は決められていない。どんなに時間をかけようと、正体を暴けばこちらの勝ちというわけだ。

(そうはいっても、あまり長引かせるわけにもいかないんでしょうけど)

 今は大人しくしている父でも、時間がたてばあれこれと言ってくるに違いない。何より、彼が近くにいるこの状態が続くことが、美鈴には我慢ならなかった。

 何故ならば。

「お嬢様、あまり進んでいらっしゃらないようですが。もうお疲れでしょうか」

 淡々と言わている台詞に、「真面目にやれ」との含みがあるように感じてしまうのは、美鈴のなかにある猜疑心のせいなのか。

(ってゆーか、どこまでが本気よ、コイツ!)

 全自動人形オートマチックドールに嘘などつけないと分かっていても、そう思わずにはいられない。あまりに自然なせっつきようだった。

「少し考え事をしていただけよ」

「勉強中に考え事とは、ずいぶんと余裕ですね。でしたら、さっさとそれを終わらせてしまったらいかがでしょうか」

 くぅ、この嫌みったらしさときたら。

「分かってるわよ!」

 目の前の数式と同じくらいに憎らしい。

 いっこうに解ける気のしないそれを睨みつつ、美鈴は舌打ちをした。

 隣にいる青年に教えを請うのは屈辱的だが、このままでは状況打破が難しかったのだ。

 そんな葛藤を察したのだろう、和光は何も聞いていないというのに「そこはこの公式を当てはめられたらよろしいかと」と進言してくる。

 躊躇ったのはほんの一瞬。美鈴はすぐに和光の示す公式を当てはめてみた。

案の定、難解だった数式があっという間に解体されていく。

「…………ありがと」

 歯噛みしながらもそう言う美鈴を見て、和光は「成程」と頷いた。

「やはりお疲れなのですね。そうでなくては、お嬢様がこの程度の問題に手こずるはずがありません。少し休憩にいたしましょう」

 だから、どんな嫌味なのだ、それは。

 そう噛み付きたい気持ちもあったが、休憩は正直ありがたい。美鈴はむすっとしながらも、「ええ。そうしましょう」と同意した。

「ではお茶の準備をしてまいります。その間、お嬢様はこちらを見直しながらお待ちいただければよろしいかと」

 そして差し出されたのは、まさに今、美鈴を悩ませている数学の公式集だ。おそらく開かれているページが現在の勉強に該当するところなのだろう。

(つまり、お茶の準備をし終えるまでに覚えろってことね)

 なんとも遠まわしな彼の言葉に美鈴はげんなりとした。

 そもそもの原因が自分にあることは百も承知なのだが、この妙に丁寧すぎる和光の態度はどうにも鼻につく。

(だいたい、何でアイツに勉強を教わらなくちゃいけないのよ!)

 彼を傍におくとは言ったが、まさかこんな展開になろうとは。

 腹立たしかったが、逃げるわけにもいかなかった。なにしろ、彼のこの『家庭教師』に関しては、屋敷の皆がもろ手を上げて賛成したことなのだから。

 母の蓉子が亡くなってから一歩も屋敷の外に出なくなった美鈴は、当然ながら学校にも通っていなかった。

 授業は通信制―学校に来られない子供達が使用する、モニターを通しての授業だ―に切り替えられていたが、やはり勉強は滞りがちになる。そのことを美鈴自身が自覚していたし、だからこそ怠ったりせずに自力での向上に努めていたのだが、周囲からすれば心配のタネだったのだろう。

 屋敷の皆に彼のことを『ただの使用人』として紹介していたのが仇となったのか。新しく雇い入れた人材がとんでもなく優秀で、さらにどんな質問にもさらりと答えるとあって、彼ならば文句はないだろうと、家庭教師を雇うことを拒んでいた美鈴に皆は口をそろえて「彼に勉強をみてもらったらどうか」と言ってきたのである。こうなっては嫌とは言えない。

 何より、やはり彼の教え方は的確で効率が良く、けして間違わないのだ。

 本当に、どこまでも彼は完璧だった。まったく嫌味なくらいに!

(ああ、腹が立つ!)

 美鈴とて頭が悪いわけではない。むしろ、今やっている問題など通常の授業より進んだものだったりする。

 だが美鈴は和光に侮られるのは我慢ならず、できればあのポーカーフェイスを崩してやりたい一心で、さらに勉学に身を入れた。

 それこそが彼の思惑だということも分かっているが、何としてでも一矢報いたい美鈴はどんな問題にも食らいつき、そして最終的には惨敗に終わるという結果を繰り返しているのだった。

(次は絶対自力で解いてやる!)

 お茶までに覚えるように、と示された公式を使えばあっさりと問題は解け、その的確さもまた腹立たしく、そして美鈴のその葛藤を見越して一人にする配慮にすらイライラする。

 見透かされ、手の平の上で転がされているようなこの感じが、まったく我慢ならない。

(そう思わせることがヤツの狙いなの?)

 口をへの字にして勘ぐった美鈴の後ろで扉が開き、問題の青年が何食わぬ顔でもどってきた。

 もちろん銀のお盆にティーセットとお茶菓子を携えて。

「お嬢様、お待たせいたしました」

 サイドテーブルへとそれらを置いて頭を下げる彼に、美鈴はずいとノートを突き出す。

「終わったわ」

 全問解き終わっているそれに、青年はいつものように賛辞をおくる。

「流石です。お嬢様」

 だがそうは言いつつも彼の表情はまったく崩れない。が、これもいつものことだった。

 相変わらず褒められている気がしない。というより確実に褒めてなどいないだろう、これは。

 美鈴の眉間のしわはさらに深くなったが、青年はそんなことにはちっとも構わず、さらりと彼の仕事へもどった。つまり、お茶を給仕するという本来の仕事に。

「では、お茶にしましょう。本日のリクエストはマドレーヌでしたね。

 飲み物は紅茶がよろしいかと。ダージリンティーをご用意いたしました」

「そう。ありがとう」

 お礼は言いつつも、美鈴は他の使用人達にむけるような微笑みを浮かべはしない。

 少女は今日も挑むようにして彼の作ったお菓子を睨んでいた。

 というのも、あの衝撃のホットケーキだけではどうにも信じられず、美鈴は次の日からもお菓子を作り続けるよう彼に命じていたのだった。

 はじめはスタンダードな苺のショートケーキを頼み―食べ終わってからワンホールでは余りが出過ぎると気付いて焼き菓子へとシフトさせ―、次の日はジャムクッキー、その次はスコーン、チョコチップクッキー、ちょっと目先を変えてのドーナッツ、そして本日はマドレーヌと、スイーツというよりは家庭菓子を中心にリクエストをしてきた。

 それらは母の蓉子が好んで作っていたお菓子達だったからだ。

 もちろん、この目の前に置かれているマドレーヌも母の得意なお菓子の一つ。

(さて、今日はどうかしら)

 もうある程度予想はついているものの、美鈴は試すようにそれを見ると、添えられていた布巾で手を拭きマドレーヌを一つ摘み上げる。

 貝の形をかたどったそのお菓子は、見るからに美味しそうな綺麗なきつね色に焼き上げられ、口元に運ぶとふわっと甘いバニラの香りがした。

 ぱくりと一口かじれば、じわぁっとバターの風味が広がり、ふんわりとした甘さが引き立つ。外側は香ばしく、なかはしっとりとしていて尚且つ軽い口あたり。幾つでも食べてしまいそうなそれは―――――。

(くぅぅぅぅっ、美味しいぃっ)

 美鈴の記憶にあるお菓子と寸分違わぬ美味さだった。

 思わず拳を握りしめ、美鈴は悔しそうに呟いた。

「美味しいわ」

「さようございますか。光栄です」

 淡々とそれだけを言う青年をねめつけ、美鈴は残りのマドレーヌをぱくぱくと口に運び、素晴しく良い香りをたてている紅茶を無造作にごくごくと飲み干した。

「よほど喉が渇いておられたのですね。もう一杯ご用意いいたします」

 何を勘違いしたのか、わざとなのか、彼はその空になったカップに紅茶を注ぎなおそうとしたが、美鈴はそれを遮った。

「お茶はもういいわ」

 きっぱりとそう言う美鈴に彼は動きを止め、それからティーポットをコトリと銀のお盆にもどして静かに聞いた。

「休憩はお終いになさいますか?」

 ああ、そうだった。このお茶は休憩の為のものだったっけ。

 美鈴は渋い顔をしたが、やはりお茶をする気にはなれず「ええ。終わりよ」と言い切った。

「かしこまりました。では片づけをしますので、少々お待ちください」

 そして言われた和光もさっさとそれを撤収させる。まったく休憩になっていない休憩だった。











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