3、表の裏側 Ⅳ

 漱哉そうや康次やすじのふたりは、馬が合うのか、すぐに仲良くなれた。漱哉は、やさしくにっこり笑顔で話しかけてくれる、康次には、打ち解けることができた。ふたりは、康次が持ってきた本を一緒に読んだ。彼は、一人の小説家にどハマりしているのか、毎回同じ名前の本を持ってくる。どれも、題名からして硬そうな、だけど面白そうと思えるものばかりだった。経済界を舞台にしたもの。会社の経営者の人間ドラマ。子どもの漱哉と康次に取っては、かなり程遠い世界を描いたものばかり。どうしてこれを読もうと思ったのかは不明だが、よんでみると、案の定、難しいことが沢山書いてあった。しかし面白いと感じることも多々あった。康次の持ってきた難しいけれど面白くもある本たちを一緒に読んでいく。すると、漱哉自身も小説にハマり込んでいった。小説は、現実の世界では体験することができないであろう、ハラハラドキドキ感が体感できる。盛り上がりのところの勢いがすごかったり、今後の展開が、気になって、翌日また読むのを心待ちにしていた。それに、康次と読むのは、尚更なおさら楽しいと感じていた。

 しかし、家に帰れば、親からのキツい暴言、暴力に怯えなくてはならなかった。そしてまた、ボロボロになるまで殴られる蹴られる。鋭利な言葉で、グサグサと刺される。それも両親の勝手な憂気晴らしのためにだ。漱哉には関係のないことで、凄まじい八つ当たりに見舞われている。そして、痛み苦しみに悶える日々。あまりにも残酷な日々だと、改めて思った。もうウンザリだった。漱哉は疲れ果てていた。この、家でのことを、康次に打ち明けてみた。

 漱哉のする話は、カタコトで口下手な話ではあったが、彼がつらい思いでいることは確信できる。康次は真剣に聞いていた。そして、深い悲しみの表情になった。

「つらいね。ものすごく……むごたらしい」

 そして、康次は漱哉を自分の家に呼んだ。母親に説明すると、すぐに理解し、動いてくれた。これに漱哉は驚いた。あんな子ども思いで、優しい母親が、この世に実在したんだ、と、感銘かんめいを受けた。

 康次の母親は、すぐに動いてくれた。児童相談所に相談し、漱哉は保護された。そして、養護施設に入所。施設にいるときは、読書をしたり、康次に勧められて、自分で小説を書いてみたりして、空いた時間を潰していた。

 完成した、オリジナルの小説を康次に見せた。

「す、すごい! プロを超えるんじゃない?」

と大絶賛をもらった。漱哉は強く感動した。うれしかった。こんなに大絶賛をもらったのは、生まれて初めてのことだ。小説を読んでいる時でも、体感できなかった音だ。この強く受けた感動を、初めて感じた体感を、原動力に変えて、漱哉は、小説の執筆に多くの時間を注いだ。学校にいるときも、朝や昼の休み時間などの空いた時間には、専用のノートに、短い小説を書き、康次に見せる。すると、いつも大絶賛をもらった。初めて何かに打ち込むことができた。とてもよろこばしく思った。毎日がずっとずっと素敵なものに思えた。しかし、すこし前までのあの惨たらしい日々の記憶が、ふとした時によみがえってきた。そのたびに、今も治っていない、目に見えない傷が、あの時のを思い出したかのように、痛みがうずき出す。それによって、漱哉は苦しんだ。そんな痛み、苦しみにもがき、なんとか堪えながらも、小説の腕をぐんぐんと伸ばしていった。

 高校への進路決めの際、善美高校の文芸部がちまたで話題になっているこ、康次から伝えられた。そして、ふたりでその善美高校に進学した。そこで、漱哉の才能が、一気に開花し、康次以外の皆からも、それを認められた。彼の作品が収められた部誌が世に出ると、善美高校の部誌はより一層、話題や人気を集め、とても多くの人たちからの絶賛の嵐が届いたのだ。

 

「今は、まろかちゃんや町音まちねちゃんや、皆が暖かくて、優しくて、漱哉も幸せに思っていると思うよ。最近、表情も前よりだいぶ柔らかくなったし。だけど、どうしても過去のつらい思い出がでてきてしまって、暗くならずにはいられないんじゃないかな。こういうことってたまにあったし」

「そうなんですね」

 まろかは、悲しげにぽつり。漱哉の過去の話があまりにもつらすぎてじんわりと涙が出てくる。

「じゃからこそ、漱哉さんには、前を向いて欲しいし、空を見上げて欲しい。そしたら、少しは、つらいのが軽くなると思うじゃけぇ」

 その言葉を聞いた康次は、やさしくほほ笑んだ。

「ありがとう、まろかちゃん。でも、今はそっとしてあげた方がいいかも」

「……そうですね」

 まろかは、肩を落として言った。少し歯がゆく思うも、漱哉のことを考えて、そっとしておくことにした。

 漱哉の抱えていた、闇につつまれているであろう事情が明らかになった。それはまろかの想像を大きく絶する、凄惨せいさんなものだった。彼があんなに暗く下ばかりを向いているのも無理はない。悲しみと苦しみの谷間の中にいる彼を、どうにか救い出してやりたい。そんな思いは変わらない。でも、こんな莫大な負の感情を抱えていて、どうしたら、少しでも、明るい感情に変えることができるだろうか。

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