1、空を見上げて Ⅳ

 まろかの高校文芸部生活が始まって、早くも二週間弱が過ぎた。桜の花は、ほとんど散り果てて、初々しい黄緑色の葉っぱを蓄え、極暑の季節への段取りを整え始めている。

 時の経過の早さには、まろかも驚いていた。ついこの間までは、カレンダーの頭のところだったのに、今では末のところに差しかかっている。いくら困惑していても、その間にも時は一秒一秒過ぎ去っていく。ちっとも容赦することもなく。これが最も残酷な奴とも言える。

 そんな憂鬱もいだきながら、この日もまろかは筆をった。藤子とうこが出すお題に沿って短い小説を執筆する。出来上がった小説は、先生や先輩たちに読んでもらう。まろかや町音がよく見せる相手は藤子が一番多い。彼女は小説の分析が得意で、いつも的確なアドバイスをくれて、よかったところも伝えてくれる。一年生だけでなく、他の部員たちからの信頼も厚い。まさに頼れる部長だ。

 勿論もちろん、他の先輩にも見せる。まろかは漱哉そうやに完成した作品を見せた。

「漱哉さん、私の作品見てください」

 しばらく沈黙を貫くかと思ったが、思いの外すぐに応じてくれた。そして、少ない口数で、評価をしてくれる。小説に関することには熱心なのかも。と、まろかは漱哉をうやまった。

 まろかと町音まちねの間でも、お互いの作品を交換して、感想を伝え合うということも行った。また、先輩の方からも後輩たちに見てもらったりして、部全体で支え合い、切磋琢磨し合って、さらなる高みへ伸ばしていく。

 このときも先生に、完成した作品を読んでもらっていた。

「うん。素敵ね。私、まろかちゃんの小説が好き」

「ありがとうございます」

 ふたりの近くにいた四葉が、会話に入ってきた。

「私もまろちゃんの小説好きなんよ。まろちゃんの世界は可愛いけぇ」

「わあ、ありがとうございます。うちも四葉さんの小説好きですよ。ぶち癒されます」

「私も四葉ちゃんの小説好きだわ」

 先生は四葉にニコッと微笑むと、再度まろかに向き直る。

「実は昔、私も本が好きで、小説を書いていたんだけど、まろかちゃんと同じ感じのを書いてたんだ」

「へぇ〜、そうなんですね」

 四葉が言った。

「でも、まろかちゃん方が、私のものよりずっと優れているし、ずっと伸びしろがある。勿論、他の子のも凄い。どれもため息が出てしまうほどに面白い」

「先生の書いた小説、読んでみたいです」

 まろかが言うと、先生がは横に首を振った。

「私のはホント大したことないから。だけど、ふたりはまだまだ成長できる。部誌の作成まで近づいてきてるから、がんばって」

 先生は、軽く自分をいなしていた。そして、それを部員ふたりに知られないように、誤魔化すように上から黒でぐちゃぐちゃに塗りつぶす。しかし、まろかと四葉の顔には少し曇りが見えた。だが、すぐにふたりは微笑み、返事をした。


「漱哉さん!」

 午前の授業が終わり、昼飯時になった。まろかは、別の学級である町音まちねも誘って、漱哉の学級に来ていた。そして、彼を呼び出していた。

「西園」

 出てきた彼は、相変わらず硬い表情を崩さない。出てくる言葉も最低限の単語だけだ。

「お昼一緒に食べましょう。中庭で」

 漱哉は、人に呼び出されたり誘われたりするのに慣れていないのか、困惑気味であった。

「……まあ、いいが」

「ありがとうございます!」

「だが、普段は康次やすじといる」

「じゃあ、康次さんとも一緒に食べましょうよ。康次さんて何組ですか」


 まろかと町音、漱哉に康次も加え、文芸部四人で青空の下、弁当を食べた。このときも、やはりまろかは空を見上げていた。

「まろかちゃん、ずっと空見よるよね」

 康次が笑いながら言う。

「いっつもそうなんですよ。ずぅーーっと空ばかり見よる」

 今も変わらず、町音はまろかを不思議に思っているらしかった。

「空は青くて壮大で、見よるとなんだか心が軽くなった気がします」

 この時も、まろかはお決まりの口癖を口にした。

「これもよく言っとるわ」

「漱哉さんも、下ばっかり見ていないで、前や上を向いた方がええですよ」

 まろかは漱哉に向けて、中学時代の先輩に言われたことを言った。漱哉は、箸を止めた。そして眉を上げていた。普段全く見ない表情だった。

「それじゃ、食いづらいだろ」

 声の調子を変えず、口数の少ない漱哉が、まろかにツッコミを入れた。

 これには、町音と康次は、笑い転げた。

 まろかは、笑うふたりに構わず、彼に反論した。

「いや、いつも、下向いとるじゃないですか。あんまり下ばっかり向いていないで、前や上を向くんです」

 漱哉は空を見上げた。

「中学の先輩が言っとったんですけど、下を向くくらいなら上を見ていろって。空はすごく広くてきれいじゃけぇ、ちっさいのなんてどうでもよくなるんです」

 漱哉は、しばらく空を見続けていたが、やがてうつむくように下がってしまった。

「無理だな。俺には。そんな些末さまつなことではない」

 すると、康次がまろかの耳元に近づき、こそこそささやく。

 まろかの頭の中では、疑問符がいくつも現れたが、口には出さなかった。とりあえず事をみ込んだことにした。

 彼には抱えきれないほどの大きく深い何かがあるのかもしれない。

 

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