2、最初と最後の「葱頼」Ⅳ

 王雅おうがが毎日声をかけてくれて、目をかけてくれるおかげで、まろかは、今まで見出すことが出来なかった、学校に行く目的というものを発見することが出来た。彼のいる文芸部は、その空間にいるだけで楽しい。自分がいていい場所だと、おこがましいかもしれないが、そう思えた。そう思える場所が一つあるだけで、この世の景色が随分と変わった。今まで空っぽのままの街灯たちに、ポッと明かりがともったみたいに。

 しかし、その明るい街の外れの辺りは、まだまだ灰色にくすんだまま。辺りの街灯たちに明かりはなく、空っぽのまま放置されている。学級の方では、小学の頃と変わらない状況のままだ。まろかの容姿もほとんど変わっていない。地味で不気味。中学で新しく出会う人たちからも、気味悪がられた。皆から避けられ、陰で悪口を言われているのが、まろか当人の耳にも聞こえた。まろかの心の中の箱は、もはやボロボロになっていた。でも、小学の時とは大きく違った。

 学級の方でズタズタになっても、授業が終わり、部室の扉をがらがらと開ければ、あの威勢の良い声が聞こえてくる。この声を聞いた途端に、まろかが負っている傷が、一瞬にしてふさがったような感覚があった。しかし、実際には塞がっているわけではなかった。塞がったはずの傷がじんじんと痛んだ。まろかは、その傷を抑えるようにうつむいた。それを鋭く感知した王雅は口を開いた。

西園にしぞの、学級の方では上手くやれとるか。ここでは明るくやれとるが、部室に入ってきたときの西園は、心胸しんきょうを痛めているように見える」

 それを言われたまろかは、勝負に負けたときのような気持ちがいた。文芸部の皆には、私の胸の内を知られたくなかった。だから隠して、ほほ笑みを皆には見せていた。それでも、王雅は、まろかの意識の外側にある綻びを敏感に感知していた。まろかは、悔しい気分になったが、それ以上に王雅への尊敬の気持ちが大きくなった。まろかは、王雅に打ち明けた。

「……正直、上手くやれてないです。小学校のときからそうなんですけど。他の人たちに怖がられて、陰で……いろいろ言われたりしてて。私の目ためが悪いからなんですけど……」

「原因をしっかり理解できとるんじゃな西園。立派なことじゃ。原因がはっきりとしとれば、あとはそれの改善にはげむことじゃ」

 ここでも、彼はプラスにとらえてめてくれた。そして励ましてくれた。しかし、まろかは「はい」と返事をすることが出来なかった。何故なら小学校の時からずっと同じ姿、形だったのだ。それが、ある日急に変わられても、それはそれで変な目を向けられると思った。簡単に言うと、今更変えようだなんて遅い。

「……でも、いまさら遅いです。急に変わっても逆に変な目を向けられる」

「人生に遅いなんてない。今すぐにでも、自分を変えることができる。君の強い意思があればじゃが。周りの状況を変えたけりゃあ、まずは自分から変えるのが一番有効じゃ。ただ待っとるだけでは何も変わるこたぁない。じゃけぇ、君の方から、その闇の広がる心に光り輝く灯火を灯すんじゃ。学級の方でもここと同じように明るく振る舞えばええ」

 彼の言う言葉の、ひとつひとつの単語が重く、全てがまろかに刺さった。人生に遅いなんてない。自分の意思があれば。まずは自分から変える。

 自分を変える。私を変える。この地味で不気味な自分を変える。できるかな。

「何も難しいこたぁはないと思うぞ」

 そうだ。と、王雅は言った。

「西園、今度の土曜か日曜、うちに来るか」

「え!?」

 突然出てきた予期していなかった言葉に、まろかは固まった。うち? 彼の家。人の家に、しかも王雅さんの!?

 人の家に呼ばれたことなど一度もない。しかも、大尊敬する先輩の。まろかは、ドキドキのあまり頭が混乱した。

「い、家って、ど、どこの……ですか」

 混乱のあまり、意味の分からないことを言ってしまった。これには、王雅も首を傾げた。まろかは恥ずかしさで顔を赤くする。

「す、すみません。さっきのはなしで」

 王雅は、笑った。

「ちょっと落ち着け、西園。俺の家だ。うちは空手の道場を経営しておる」

 空手? また突拍子な言葉が出てきて、まろかは冷え固まった。しかし、王雅に似合わないこともない。

 彼から土曜と日曜のどちらが空いているかを聞かれ、土曜と答えた。そして、時間や待ち合いの場所を伝えられた。こうしてこの週の土曜日に彼の家に行くことが決定した。

 

 土曜になり、まろかは王雅の家に行く。約束の時間に近づき、待ち合いのところに向かうと、すでにそこには彼がいて大きく手を振っていた。彼と横に並んで歩いていき、彼の家に着いた。本当に家に道場があって、しかも実際に稽古けいこが行われていた。男性の指導のもと、まろかよりも年上らしき男女二人が向かい合っていた。王雅曰く、彼の父親と上の兄妹きょうだいだそうだ。

 王雅とまろかの相手してくれたのは、母親だ。事前に王雅に事情を伝えられられたらしく、ふたりを居間に入れてすぐにまろかを呼んだ。

 まろかを洗面所に呼び出すと、王雅の母親はまろかをじっくりと見た。

「うん、ちょっと暗いなぁ。手、入れるね」

眉をくしとゴムを取り出し、まろかの髪をといた。

「自分を変えたいって意識したのっていつぐらいから?」

「……つい最近ですね。人に言われて」

「それって王雅?」

「え、あ、はい。……でも、どうすればいいのか。今までずっとこれだったから。急に変えるのも変かなって」

「人の目を気にしとるのね。気にしなくてもええよ。どうせ誰も何とも思っとらんけぇ」

「えー、でも、皆ずっと私のことを見よるので、気にせずにはいられないです」

「それは君に怯えているからじゃないかな。じゃけえ、君が怖くなくなれば誰も君にずっと見られることはない。それに中学生の人間関係なんて大抵たった三年きりのもので、大したものじゃないんよ。そんなのにとらわれる必要なんてないし、君の好きなように生きればいいんじゃない」

 彼女は、黒色のゴムで、まろかの髪をしばった。さらに、眉までかかった前髪を真ん中で分けて、両サイドをピンで留めた。それだけで、さっきとは打って変わってすっきりとしていた。王雅のいる居間に戻ると「かなり変化したな。似合っておる」と言われた。さっきまで隠れていた肌に、ささやかな風が当たって気持ちが良い。まろかはうれしくなって、笑みをこぼした。

 王雅の母親の許しを得て、まろかはそのまま帰宅した。そして、休み明け、学校に髪を結んで登校した。歩いている最中、王雅と会った。そしてふたり並んで会話を弾ませた。彼と一緒に歩くことは多いのだが、そのおかげで、登校中の憂鬱というものは魔法にかけられたように、消えていた。

 教室に着き、扉を開けた。王雅と別れる直前、彼から鼓舞こぶの言葉が送られた。ちょっとだけ笑みを浮かべて、まろかは教室に入った。先週までとは打って変わって大きく変わったまろかにクラスメイトは驚いていた。「西園さんかわええ」という声も聞こえた。

 自分が変われば、周りの状況が変わる。これを肌で感じさせられた。全ては彼のおがげだ。心の底から感謝をするとともに、深く尊敬をする。

 そんなまろかの全てを変えた王雅は、彼が文芸部を引退する直前まで、中学を卒業するまで、まろかに大きな影響を与え続けた。そして、彼が卒業する際、ふたりは連絡先を交換した。

「これからもずっと、君を応援しておる。何かあったらいつでも俺を頼れ。がんばれ西園」

「はいっ!」

 こうして王雅は、中学校を卒業した。素晴らしい彼の、強烈な姿と力強い言葉は、いつまでも忘れない。

 そう見上げるまろか。この日の空はきれいだった。


 まろかが王雅のおかげで変わったように、今度はまろかが漱哉そうやを変えたいと思った。どうしたら彼に前を向いてもらえるんだろう。まろかは考えた。

 

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