1、空を見上げて Ⅱ

 「へぇー、中学んときから文芸部じゃったんじゃ」

  学校からの帰り道。まろかと町音まちねは、早くも仲良くなって、共に下校していた最中、ふたりは会話を楽しんでいた。ふたりとも高校に入る前から、長く文芸に親しんでいたらしい。

「通っとった中学にたまたま文芸部があったんじゃよ」

 まろかは言った。

「ええなぁ、うちんとこにゃあはなかったよ」

「そうなんじゃぁ」

「だから、休みの時間や家とかで詩を書いてて、友達や家族に読んでもらったりしとった。うちの詩読んどると元気が出るってみんな言うよ。まろちゃんも今度読む?」

「うん、読んでみたい」

 まろかは、青い空を見上げながら言った。さっきからずっとそうだ。一緒に校舎を出たときから、ずっとまろかは空を見上げていた。ずっと、ずっと。ただの何もない空に目を奪われ続けているのか。どうしてずっと空だけを見ているのだろうか。町音は不思議に思っていた。

「さっきからずっと空ばっか見よるけど空に何がおるん?」

「雲がおるよ。それに空はきれいじゃ。空見よるだけでちいとの悩みだけなんてどがぁでもようなる」

 まろかの言っていることが、町音にはよくわからなかった。ただの空でそんな変わるものなのか。

「んー、いつも見よる空じゃ。何も思わん」

「空はぶち清々しくて、いつ見てもすっきりする。黒くてごちごちしとる地面見よるよりもずっとええ」

 ポカンとしている町音をよそに、まろかはとある言葉を思い出していた。それは、まろかが中学のとき、大好きな先輩がくれた言葉だ。彼が部を引退する際に贈ってもらった。

 当時のまろかは、前を向くことさえ難しかった。どうしても下を向いてしまった。中学の文芸部に入部したときも下を向いて、ひとりでぽつりと生きていくつもりだった。それを変えたのが、ひとつ上の先輩、石戸せきど王雅おうがだった。大人並みの身長と強い目力で一目見ただけではっきりと印象に残った。

 王雅は特にまろかに目をかけてくれた。彼が部を引退する際にまろかにその言葉をおくった。

西園にしぞの、どんなときでも前を向いていろ。むしろ上を向くんじゃ。下を向くくらいなら、空でもみよれ。空は、美しく壮大じゃ。些細ささいな悩みなど、どうでもよくなる。それでええ」

 大好きな先輩がくれた。最後にして、最もまろかの心に焼き付けた。その言葉があったことで、彼が中学を卒業したあとも、下を向かないように努力した。いつも前か上を向いて、堂々とにっこりとすることを心がけた。そして、今の自分に至っている。

 まろかは、空を見上げている。見上げていると、王雅の顔も鮮明に浮かび上がってくる。

「空を見ると、中学ん頃の大好きな先輩の顔がはっきりと浮かんでくる」

「ほう。どんな人?」

「背が高くて、目がぶち強くて、私によく話しかけてくれた。強くて優しい人じゃ。ぶち尊敬する」

「ええなぁ、うちも中学んときから文芸部がよかった」

 すると、まろかの顔は空ではなく、町音に向けられた。

「町音ちゃんは何部だったの?」

 と聞いた。ずっと空ばかり見ているのは変だと思うが、それが突然顔の向きが変わり、急にこちらに向かれたら、それはそれだビビってしまう。

「……、何も入っとらんかったよ。パッとしたもんなかったし。それよりも詩を書いとった方がええから」

 町音の家は高校から比較的近いところにあるらしい。ふたりは別れて、まろかは駅に向かって歩いた。勿論もちろん、空を見上げていた。


 満月と下弦の月の間の、名も無い形の月がでている夜。まろかはひとり椅子に座って、今日の一日を振り返っていた。たくさんの新しい出会いがあった濃い一日だった。王雅がくれた言葉を胸に、高校の文芸部『葱頼ねぎらい』でも前を向いて、上を向いて頑張ろうとまろか決意した。


 空を舞う桜の花びらは、日に日に多くなっていく。そしてだんだん花びらの数は減っていき、儚い桜の季節は終わりを告げるのだ。


 

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