第17話
「あれ、部長は?」
「来てないっすね」
「珍しいなあ」
今日は、南宮さんが部活に来ていなかった。今まで一度もなかったことだ。
「まだクラスにいるのかも。見てくる」
何かの用事で来れないことも考えられる。それでも、何も伝えずに来ないということはあまり考えられないけれど。
南宮さんのクラスを覗くと、鋭い相貌とぶつかってしまった。
「何しに来たんだ」
「いや、南宮さんいるかと思って」
「欠席だ」
そう言って親指で示した先は、南宮さんの机なのだろう。確かに誰もいないし、何も置かれてはいない。
「風邪?」
「知らん。部活なのか」
「ああ」
「もう、登山部には戻らないんだろうな。残念だ」
「津久田さんは登山部が楽しいの?」
「……他に入る部がないだけだ」
あの時、津久田さんもまた悔しかったはずだ。それでも、彼女は残る道を選んだ。険しい山に挑戦したい気持ちを、諦めなかった。
「お互い、頑張ろう」
「そんな言葉をかけられる日が来るとは思わなかったよ」
「あ、あいつから手紙が届いたよ」
「……そうか」
いつかまた、三人の道が交わる時が来るかもしれない。今はただ別の道を歩いているだけ、そんな気がした。
「じゃあ、また」
「ああ」
教室を後にして、部員たちの待つ部屋へと向かう。とりあえず初めての、部長代行業をしなければならないのである。
「うん、うん、あ、わかるわかる、あそこね。はい、五分ぐらいで着くよ」
携帯電話と言いながら、電話がかかってくることは滅多にない。だいたいがメールだから、久々の電話の着信音にびっくりしてしまった。
五丁目の団地を抜けた先にある、大きな公園。昔遊びに行ったことがあったので、迷わずにたどり着くことができた。
砂場の前のベンチ、そこに彼女はいた。
「南宮さん」
「あ、早かったね。ごめんね」
いつもとは全く違う表情をしていた。まぶたが重そうで、ほほが引きつって、唇の色が白かった。
「今日欠席だったんでしょ。体調悪いんじゃないの」
「悪いというか……原因は体調じゃなぃんだ」
「え」
「お母さんが、再婚したいって」
「そう、なんだ」
「五年間付き合ってる人がいるって」
「それは……」
離婚したのは二年前だと言っていた。だとしたら、結婚していた時から、ということになる。
「離婚の原因はお父さんだって言ってたの。信じてたし、私もお母さんを選んだのに……なんか、色々混乱しちゃって」
「そうだったんだ」
この前会った、南宮さんのお父さんの顔が思い出される。いい人そうで、騙されやすそうだった。
「私、お父さんのところに行きたい」
涙が、こぼれていた。想いが、堰を越えていた。
「でも、この学校がいい」
すぐには、どんな言葉をかけたらいいのかわからなかった。まったくどうしたらいいのかわからないことだった。でも彼女が僕に聞いて欲しかったのは、僕の言葉が欲しいからだと思う。
「あと一年……とちょっと、それもつらいかな」
やっと出てきたのは、そんな言葉だった。言わなければならないと思った。あいつの時のように、手遅れにならないように。
「わかんない……」
「大阪の高校目指そうよ。楽しく山に登れる部探してさ。お父さんのところから通えるところでさ」
「それまでは、こっちでってこと?」
「無理にとは言えない。南宮さんの家のことは、僕にはわからないし……でも、うちの部には、南宮さんが必要だよ」
素直な気持ちだった。後輩二人も含めて、南宮さんのおかげで部活動を楽しめている、そう思っているはずだ。
「ありがとう。うん……たぶん今は色々と嫌になって、逃げたいんだと思う」
「逃げてもいいんだよ。楽しい部活動に逃げ込んじゃえばいいんだよ」
「はは、面白い発想だ」
僕も、フィールドワーク部に逃げ込んだのだ。そして、温かく迎えてもらった。
「一緒に楽しもうよ」
「うん。七割ぐらいその気持ちになった」
「明日は九割ぐらいになってるといいな」
ぎこちないけれど、南宮さんは微笑んだ。僕は、できる限りの笑顔で応えた。
ふと見ると、砂場に山ができていた。スコップが刺さっていて、夕日に照らされて影が長く伸びていた。
「あの時の星空が、忘れられないよ。大阪の光も」
「私も」
空に目を移すと、月がきれいだった。いろんなきれいなものがある。まだまだきれいなものを見たい。南宮さんと一緒に、見たい。
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