第15話
「あ、来た来た」
こちらに向かって手を振っているのは、髭面に長髪、それをバンダナでまとめているという、山に憑りつかれてるんじゃないかという男性だった。
「え……先輩のお父さんって、木こりっすか?」
「そう見える? ちょっと普通じゃないサラリーマンよ」
「かなり……」
久佐木君は、後の言葉を飲み込んだ。だが、わかる。かなり変だ。
「いやいやいや、どうもどうもどうも」
「始めまして、フィールドワーク部顧問の絹屋です」
「はい、お世話になってます。南宮よしのの父です」
絹屋先生もベテラン山男だったが、並んでみると新人みたいである。南宮さんのお父さんは、山に登るために生まれてきたのかもしれない。
「本日はどうも、わがままを言ってしまって申し訳ないです、いやあ、たまには登らないとどうも薬が切れたみたいになってしまってですねえ、はははははは」
「わかりますわかります」
大人二人はすぐに意気投合したみたいだった。
「こちら部員の皆様方、どうもどうも、今日一日よろしくお願いします」
「あ、はい、サブリーダーの神野です、よろしくお願いします」
「一年生の荒津です! よろしくお願いします!」
「あ……久佐木です。よ、よろしくお願いします」
「いやあ、若い子たちと山登るなんていつ以来だろうなあ」
とことん陽気なお父さんだった。なんとなく、離婚したお母さんの苦労が目に浮かんでくる。
「お父さんは南宮さんの前に入ってもらおうか。じゃあ、出発するぞ」
そんなわけで、いつもより一人多いメンバーでの登山が始まった。振り返ると熊みたいな人がいるので、ちょっとそわそわする。
生駒自体は非常に登りやすい山である。交通の便もよく、山頂までケーブルカーが通じている。多くの人にとって身近に感じられる山ではないだろうか。
今までの様子からして、部員にとってもそんなに苦労する山ではない。ゆっくり歩けば、悪いことなんて何も起こらないだろう。自分に言い聞かせる。
「先輩、これ使いませんか」
最初の休憩のとき、荒津君が差し出してきたのは小さなカメラだった。
「どうしたの、これ」
「親父がくれたんすよ。先輩、自分で写真撮ってみたらいいんじゃないかと思って、持ってきました」
「わざわざありがとう。使わせてもらうよ」
今まで、自分専用のカメラというのを持ったことがなかった。写真を撮るという経験がほとんどないのだ。
「これ……どうすればいいんだ」
「ピントは遠近の切り替えしかないっすから、空とか撮るときはこっち、花とかはこっちに変えて撮ればいいっす。あと、一枚撮ったらここをぐるぐるっとまわすとフィルムが巻かれるんで、次の写真が撮れるようになります」
「わかった」
試しに、空に向かってレンズを覗いてみた。ぼんやりとしていた。遠近の切り替えをすると、空がくっきりと見えるようになった。
「なるほど」
「面白いっしょ」
「ああ」
シャッターを押してみた。これで、写真が撮れたはずだ。
「一応フィルムが二四枚っすから、あまり撮りすぎないようにしてくださいね」
「了解」
少し雲が出て、風は穏やかで、とても歩くのにいい気候だった。僕は時折レンズを覗いては、シャッターを切ろうとしてやめた。枚数が限られていると思うと、もったいなく感じるのだ。
あの時とはルートが違うこともあり、何かを見て思い出すということはなかった。それでも、いつもよりも鼓動が速くなっている気がした。落ち着け、落ち着け、自分に言い聞かせながら歩いた。
「よしのはいい部に入ったなあ」
後ろからお父さんの声が聞こえてくる。一切疲れを感じさせない声だった。
「そうでしょ。絹屋先生のおかげ」
「いやー、照れるなあ」
後ろの方は皆元気である。
「ツリフネソウ……」
そんな中、ボソッとした声は久佐木君のものだった。
「おっ、なんか見つけたか」
みんなが立ち止り、久佐木君が見つけた花の方に目をやった。がさがさした葉っぱの上の方に、赤紫色の花が咲いていた。
「いいねいいね」
すかさず荒津君が写真を撮っている。その姿を頷きながら見守るお父さん。
いつでも、止まっていいのだ。この様子を、あいつに教えてあげたい。何県にいるかすらわからないあいつに。
だから、写真を撮った。みんなが花を見ている様子を。
楽しいよ。すごく、楽しいよ。それが苦しい。
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