第4話
やはり、返事はなかった。携帯電話を閉じる。
「さて、ここからは歩きだぞー。いよいよだなー」
絹屋先生はそう言いながらストレッチをしている。みんなもつられて体を動かす。
「じゃあ、いつも通りの順番で、先生には最後尾についてもらいます」
「りょーかい」
「あと、荒津君はポイントごとに時間をメモしていってね」
「はいっ」
「久佐木君は気付いたことをメモしていって。植物でもいいし、道についてでもいいから」
「……わかりました」
「大丈夫と思うけど、神野君は地図お願いね」
「はい」
「南宮もすっかりリーダーだなあ」
南宮さんは、少しはにかんでみせた。彼女にはえくぼができるということを知った。
「では、出発」
ロープウェイを横目に、登山道へと入っていく。あちらに乗れば数分で山頂だ。
久々の山道。この柔らかさは、やはり心地いい。
よく整備されている道なので、みんなにとっても歩きやすいだろう。ただ、一年生二人は初めての登山だ。頻繁に振り返って、様子を確かめる。目が合うとピースをするぐらいに荒津君は元気だ。久佐木君は表情は暗いが、いつものことだからいつも通り大丈夫ということだろう。足取りはしっかりしている。
「あっ」
「どうした」
突然の荒津君の声に、振り向かずに答える。
「今、木の上の方だけ揺れたんすよ。何かいるのかな」
「鳥かな」
本当によく見ている。僕はそういうところには目が行かない。
三十分歩いたところで一回目の休憩。久佐木君が少し疲れているようだった。
「大丈夫?」
「……はい」
「水分とって。あと、飴なめるといいよ」
空気がのんびりとしている。荒津君は、木々の間から見える空を撮っている。南宮さんと先生は、何やら小声で相談している。
「神野君、声出して行こうか」
「え」
「せっかくだし。一年生の二人もね」
「ういっす!」
「……はい」
「わかりました」
急に喋れと言われても、よくわからない。とりあえず、目に見えたものを言うことにした。
「あそこに太めの枝が落ちてるから、気を付けて」
「はい!」
「あと、下りの時はもう少しペースを保った方がいいかな。膝が笑うからね」
「膝が笑うんすか? どういう状態っすか?」
「……ゆるくなって……止まれなくなるよ……」
「おお、久佐木、物知りだな!」
これが、この部のやり方なのだろう。山だけではなく、みんなで一緒に歩くことを楽しむ。しかも、誰かと競っているわけではない。怒られることもないし、焦る必要もない。
でも。確かにそれは嫌な思い出だけど、僕一人なら耐えられた。どこの運動部だってそういうきつさがあるだろうし、理不尽かどうかなんてどうでもよくなるんじゃないかって思った。
山に来ると、やっぱりいろいろなことを思い出す。
あいつは今頃何をしているだろうか。学校にも来なくなって半年がたつ。メールも電話も返ってこなくなった。
山は僕らを拒んでいない。ただ、あいつは言った。「やっぱり、アルプスに行きたいよなあ」本物のアルプス山脈に行くとなると大変なことだが、この場合は、日本アルプスのことだ。中部地方の山々は、多くの人々にとって憧れの対象なのだ。
多分、フィールドワーク部ではそこまで行かない。そこに行くためには多くのトレーニングが必要だし、それを乗り越えられない人は置いていくしかない。
二時間ほど歩き、頂上に着いた。みんな、問題なく歩くことができた。
「天気も持ったねー。じゃあちょうどいい時間だし、お昼にしましょう」
みんなで腰掛けて、ご飯の時間となった。みんなそれぞれのお弁当を出す。
「わあ、すごい」
南宮さんが覗き込んでいるのは、久佐木君のお弁当だった。確かに漆塗りの箱が二段になっいて、すごい。
「あ、いや……そんな……」
「ひょっとしてお金持ち? お坊ちゃん?」
「そういうわけじゃ……」
「いいなー、久佐木。俺なんて全部おにぎり」
そう言う荒津君のものは、竹の葉にくるまれていた。
自分のものは、あまり見せたくなかった。買ってきたものを入れ替えただけなのだ。両親は、まだ眠っているかもしれない。
「神野君、ありがとね」
「え」
南宮さんが、頭を下げている。
「二年生一人でやってけるか、すごい不安だったから。いてくれて助かったの」
「別に、たいしたことしてないし、それに……」
「それに?」
「いや、何でもない」
僕は逃げてきたのだ。そんな言葉は、胸の奥にしまっておいた。
どこかで、物足りなさもあった。けれども、あそこに帰ることは有り得ない。乗り越えて行かなきゃいけない。
「きれいだなあ」
荒津君が、口をもぐもぐさせながらレンズを頭上に向けていた。確かに、空はきれいだった。
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