第3話

 集合、と言っても移動はみんな一緒だった。

「じゃあ、俺は仕事があるんでここで」

「お疲れ様です」

 絹屋先生は職員室へ向かった。担任だし色々と忙しいのだろう。

「はい、みんなそろってるね。ではまず、並び順を発表します」

「はいっ」

 元気よく答えるのは荒津君の仕事になりそうだ。久佐木君は後ろの方で地面を見つめている。

「まずはサブリーダー、神野君」

「え、あはい」

 いきなり先頭に指名されて面食らったが、確かにサブリーダーが先頭に来ることはよくある。

「二番目、荒津君」

「はい!」

「三番目、久佐木君」

「……はい」

「最後は私ね。で、ルートだけど校門を出て左回りに学校を一周します。みんなメモ取れるようにしといてね。あと観たいものがある人はそう言ってね。じゃあ、出発」

 そんなわけで、フィールドワーク部初めての練習が始まった。

「神野君は大丈夫と思うけど、一年生二人は歩くのは大丈夫?」

「俺は大丈夫っす」

「僕は……多分」

「ゆっくりね、サブリーダー」

「了解です」

 先頭で歩くのは初めてで、ゆっくりと言われてもどれぐらいのスピードがいいのかよくわからない。とりあえず、普段よりも歩幅を小さくしてみた。

「あっ」

 校門がもう少しというところで、後ろから荒津君の声がした。

「どうしたの」

「あれ、体育館に月と雲が」

 立ち止まって見ると、確かに体育館の屋根すれすれのところに細い月と雲が乗っかっていた。

「ちょっといいすか」

 荒津君はポケットからカメラを取り出すと、空を撮影し始めた。学校にカメラを持参してくる人を初めて見た。

「本当に好きなんだね」

「家族みんな撮りまくるんすよ。いやあ、本当は一眼がいいですけど、さすがに持ってこれなくて」

 ふと後ろを振り返ると、久佐木君はしゃがみこんで何かを見つめていた。

「どうしたの」

「え……あ……スミレ……」

「あ、本当だ」

 花壇の横、雑草の中に紫色の小さな花があった。

「ノジスミレ……」

「え」

「花の名前、です」

「そうなんだ。詳しいんだね」

 久佐木君は植物が好きなのだろうか。いつもは内気で物静かだけれど、今花を見つめる瞳はキラキラとしている。

「いい調子ね。じゃあそろそろリスタートしましょう」

「はい!」

 校門を出て、左に曲がる。学校の周囲は歩行者専用路になっていて、右側にはマンションが建っている。普段は気にしたことがなかったけれど空はよく見えるし、植物も豊富な道だ。

「みんなできるだけ神野君の足取りに注意して、真似する練習しといてね。山道だと、先頭の足取りをたどっていくと上手くいくことが多いから」

 南宮さんの言うことは、登山部でも言われたことだった。あちらでは先頭に立つことなどなかったので、急にプレッシャーを感じ始める。

 角でもう一度左に曲がると、右上が小学校のグラウンドになる。野球をしているようで、バットにボールが当たる音が聞こえてきた。

 振り返ると、荒津君は歩きながら何枚も写真を撮っていた。久佐木君は道端に咲く花を観ながらうんうんと頷いている。

 南宮さんは僕の視線に気づき、頭の上に腕で円を作った。オッケーのしるしだろう。

「こんちはーっ」

 突然荒津君が大きな声を出したので、ビクッとする。見ると、前から三人の小学生が歩いてきていた。

「こんにちはー」

「はい、こんにちは」

「こんにちは」

「……こん……にちは」

 すれ違った後、南宮さんは手を振っていた。確かに山ではあいさつも重要だ。

 山。そう、これは山に行くための訓練だ。

「先輩どうしたんすか」

「えっ」

「歩調が乱れましたよ」

 なんと荒津君は、レンズばかり覗いているのかと思ったら、言われた通りに僕の足元を見ていたのだ。

「そうかな」

「あれっすか、山道じゃないと本気出せないタイプとか」

「実はそうなんだ」

 本当は、山に行った時の方が心配だ。

 できるだけ心を落ち着かせて、歩調も整える。もう一回左に曲がり、裏門に出てきた。中学校のグラウンドでは、サッカー部が練習を始めていた。

「あ」

「どうしたんすか」

 思わず声が出てしまった。グラウンドの向こうの方、テニスコートの横に、彼らがいたのだ。いて当然なのだけれど、目にしてしまうと心がざわつく。

 一年前、僕らはあちらにいた。いろんな山に登る夢を見た。最初の一か月は楽しかったのだ。

「なんでもないよ」

「見てくださいよ、煙がまっすぐ伸びてます」

 荒津君の指差す先にあるのは、ごみ焼却場の煙突だ。あまり風情は感じないけれど、彼はレンズ越しに覗き込んでいる。

「風がないんだな」

「よくないっすか、そういうのが見えるって。きっと山でも、見えると思うんすよ」

 彼が最初に見たのも、雲の動きだったのかもしれない。風そのものは目に見えないけれど、風を写真に収めることは可能なのだろう。

 一気に坂を下り、もう一度左に曲がると県道に出る。歩道わきには雑草がびっしり生えいていた。

「シロバナ……」

 ぼそり、とつぶやく声。久佐木君だ。

「ん、なに、どうしたの」

「あ……シロバナタンポポが」

「シロバナ……? あ、本当だ」

 みんな、立ち止まってその花を見た。普通のタンポポよりも、外側の花びらが白い。

「すごーい。久佐木君ってよく見えるんだね」

「あ……そんなことないです……」

 よく見える、よく周りのあれこれが見えている人っていうのは、確かにいる。あいつも、そうだった。公園に広がる一面の緑の中から、四つ葉のクローバーを瞬時に発見したりするのだ。

 さらにもう一回戻って、約二十分かけて学校の周りを一周してきた。

「みんな、歩くのは問題ないみたいね」

 確かに、あまり運動が得意そうではない一年生二人も、ペースを守りながら歩くことができていた。この部では、競争は必要ない。だからきっと、何も問題はない。

「神野君、ありがとうね」

「え」

「神野君がいるから随分楽出来ちゃった。先輩がみんな卒業して、すごい不安だったの」

「ええと、そんなたいしたことしてないよ……」

 恥ずかしかった。たまたまこの部には上級生がいなかっただけで、登山部では下っ端の一人に過ぎなかったのだ。

「大丈夫、何も問題ないから。本番でも頼みますよ、サブリーダー!」

「俺からも頼みますっ」

「……じゃあ、僕も」

 たった四人のフィールドワーク部。これからどんなことをするのかもまだよくわかっていないけれど、転部してよかった、と思い始めている。


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