第5話

「神野!」

 思わず振り向いて、しまったと思った。僕は、その声を知っていた。

「津久田さん」

 名前を言ったのは南宮さんだ。僕らは、トレーニングを終えて休憩していたところだった。

「あんた、本当にフィールドワーク部に入ってたのか」

「そうだけど……」

「登山部に戻ってこい」

 以前と変らぬ強い視線を僕に向けながら、津久田さんは言った。

「それはできません」

 津久田さんは、薄い唇をキッと噛んだ。

「もうすぐ三年生いなくなるよ。だいたい、あんたはやめる必要なかったじゃない」

「あいつだってやめる必要なかったよ」

 他の部員たちがこちらを見ているのがわかる。これまで、登山部をやめた理由は黙っていた。知られたくなかった。

「聞く耳持たないようね。……で、南宮さんが部長なわけね」

「そうよ」

 二人の女子が、向かい合った。津久田さんが南宮さんを見下ろす形になっている。あんなに背が高いだなんて、今初めて気が付いた。

「神野君は優秀でしょ」

「そうね」

「登山部に必要なの」

「本人が戻らないって言ってるじゃない」

「……そう。まあ、仕方ないわね。でも、また来るから」

 くるりと半回転して、津久田さんは去っていった。

「もう、こわい人だなー」

「南宮さん……よく知ってるの?」

「クラスメイトだもん」

「そっか」

 二人は、毎日顔を合わすのだ。なんだか、申し訳ない。

「先輩、ひょっとしてモテモテっすか?」

「そんなわけないだろ。まあ津久田さんとは……小学校の時から一緒に歩いてたんだ」

「へー」

 そう、僕ら三人は同じ会に所属していた。他の学校と合同で、二か月に一回ほど自然道などを歩いていた。

 中学校に入ったら登山部に入ろうと約束して、その通りにした。でも、残ったのは津久田さんだけだ。僕らは逃げ出してしまった。

「神野君さ……この部、楽しい?」

「楽しいよ」

「よかった。私もね、楽しいの。でも、不安になる時もある。楽しいばっかでいいのかなって」

「なんで」

「お父さんがね、山大好きなの。雪山とかもがんがん登って、いつか私とも一緒に行きたい、とか言ったりね。私もその気になってたけど、いろいろ調べたら怖くなっちゃって。普通に運動部のどれかに入るかなー、とか思ってたけど、部活紹介でフィールドワーク部があるの知って、これなら、と思ったんだよね」

「そうなんだ」

 南宮さんがなぜこの部に入ったのかも、知りたいと思っていた。一年生二人のように、写真や植物が好きだから、というのとは違うように見えたからだ。そしてやはり、彼女は山が好きなのだ

「登山部に入ったらどうだったんだろう、と思うことはあるの。だから神野君に聞きたいこともあるけど……聞かない方がいいんだろうなって思ってる」

「うーん……そうだね。言えることと言えないことがあるかな……」

 南宮さんは、黙っていた。何も聞かないでいてくれた。

 荒津君は空を、久佐木君は花を見ていた。


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