エピローグ

 こんこん、と。

 古ぼけた雑居ビルの、狭い賃貸事務所。

 手作り感溢れる看板が貼られている扉。

 その扉が予定の時刻通りノックされる。

 どうぞ、と私は言ってドアを解錠する。


「やっほーっ! 元気ーっ?」


 どばんっ、と。

 ドアを開けて現れた白と赤の髪の人物。

 全部がちぐはぐで魅力的な高齢の女性。

 髪を結んでいた赤いリボンを私は解く。

 作業中だった事務仕事は後回しにする。


「まあ、ぼちぼち元気ですよ」


 答えながら赤いリボンで髪を結び直す。

 先程は邪魔にならないよう纏めていた。

 今度の結び方は、アイドルの結び方だ。

 つまりめっちゃ可愛い髪型に結び直す。


 そして私は。

 その相手の背後へと視線を向けて言う。


「ところで、その娘ですか?」

「はーいその通り! ほら!」


 そう言って。

 隠れるようにしていた人物を押し出す。

 押し出された人物は一瞬驚いた様子で。

 顔を伏せる。


「あの、えと」


 私の前に差し出された十代半ばの少女。

 華奢な身体。長い黒髪。そして、人間。

 伏せられていた少女の目が私を向いた。

 捕えられた兎を思わせる臆病そうな目。

 それは「彼女」とは、全然違った目だ。


 だけれども。


「あのっ、私」

「アイドルに」


 私は、少女の瞳を見つめながら言った。


「なりたいと」

「は、はいっ」


 瞳の中には溢れんばかりの怯えと緊張。

 私の機械の目はそれらをすぐ認識して。

 けれど、それらの単純な感情の奥底に。


「私、アイドルになります!」


 私に保存された「彼女」の記録の集積。

 それが言語化不可の理由で叫んでいる。

 「彼女」と同一の何かがそこにあると。


「そうですか」


 私は、一度目を閉じ開いて。

 それから悪戯っぽく笑った。


「貴方の武勇伝は聞いてます」


 そう言うと少女の頬がピンクに染まる。


「ここに来るまで大分無茶をしましたね」


 ピンクの顔で目を白黒させている少女。

 檻の中に捕まった兎みたいな印象だが。

 けれど事前に聞かされていた話は違う。


「応援団長さんを締上げたそうですね?」

「違いますちょっとお話しただけです!」


 目の前の少女は首を振って否定するが、


『突然、申し訳ありません。アオイさん。

 アイドルになりたいって女の子が来て。

 押しかけるなり、紹介してくれないと、

 大変なことをします、と脅されまして』


 と、応援団長は私に連絡してきたのだ。

 困ったというより単に呆れ果てた声で。

 けれど少しだけ楽しそうに。

 彼は言った。


『さて――どうします? アオイさん?』


 そして、今。

 その少女が、私の前にいる。

 臆病そうな姿とは裏腹の無茶をやって。

 アイドルになるために形振り構わずに。


 私の前まで、この少女は、やってきた。


 少し思う。もしかしたら、と私は思う。

 昔は「彼女」もこうだったのだろうか。

 震える手足を一生懸命奮い立たたせて。

 ただアイドルになりたいという一心で。


「いいですよ」

「……えっ?」


 困惑する少女に私は告げる。


「貴方は今日から私の後輩アイドルです」


 もっとも、と私は付け足す。


「デビューできるかは貴方次第ですけど」

「しますっ!」


 即答だった。


「私、絶対、絶対アイドルになります!」


 宣言した後で、その少女は。

 ふと我に返った顔になって。

 頬がまたピンク色になった。


 少女を連れてきた、元アイドルが笑う。

 釣られるように現アイドルの私も笑う。

 事務所の片隅に飾られた新しい写真で。

 私たちと一緒に「彼女」も笑っている。


 そして。


 古ぼけた雑居ビルの狭い賃貸事務所で。

 未来のアイドルがその瞬間に誕生する。


      □□□


 アイドル。

 絶滅危惧文化。

 少し前まで絶滅文化だった。


 それは元アイドルの活動再開で復活し。

 レッドデータ・カルチャー・ブックは。

 その結果として記載内容を更新された。

 それが再び更新される日はたぶん近い。


 そして、そのときこそ私は。

 きっとアイドルを「卒業」するだろう。

 私に保存された「彼女」と同じように。

 私がマイクを置く。その日。


 それを私は、きっと心待ちにしている。

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絶滅危惧文化「アイドル」活動中(by100歳)。 高橋てるひと @teruhitosyosetu

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