9.事務所のお客さん②
こんこん、と。
「ノック」の音がした。
私は、とっさに以前訪れた老人のことを思い出し、もしかしたら幽霊が挨拶しに来たのかと思って怯えた。
が、そう言えばこのアポイントの相手も老人だったことを思い返し「どうぞ」と言って認証を出した。
「やっほー! 元気ーっ!? っていうか生きてるーっ!? えーっと、今の名前なんだっけ? 夕暮イカリ? 夕暮アカリ? どっちだっけ? え、どっちも違う? じゃあわかったピカリだ! え、夕焼? だって夕暮プロダクションって表に書いてあるのに! え、後輩の名前が『暮空アオイ』だからって? 何その理由素敵! あ、初めまして! 暮空アオイちゃん! 私、貴方の先輩の元同僚で元アイドル! アンチエイジングでだいぶ若作りしてるけど、私も100歳! 君の先輩と一緒! ま、BBAだね! あ、でもBBAって呼んだらぶん殴るから! まじでな! あ、アメちゃん食べる?」
どがんっ、と。
扉が砲撃されたような音を立てて開き、機関銃掃射のような言葉を並べ立て、私に飴を差し出してきた(慎んで辞退した。食べられない)のは、背筋の伸びたスタイルの良い身体に黒いパンツスーツ姿の高齢の女性で、髪は半分は真っ白なままだが、もう半分は真っ赤で、サングラスはやたらと派手で、ヒールはこれでもかというくらい高くて――それらが絶妙に似合っていない。
なのに。
そのちぐはぐさが、奇妙に魅力的だった。
信じがたいことに、一瞬で誰なのか分かった――彼女の写真に、彼女と白い少女と一緒に写っていた、あの奇妙な美少女だ。
スーツの色以外は全然別の姿格好になっているにも関わらず、100歳にはとても見えないし背筋も伸びているが、私のBBAとは違って、年齢を重ねた姿で、もう美少女とは呼べない外見にも関わらず、それでも目の前の女性は、あの写真の中の美少女とまったく変わっていないように見えた。
何なんだこの人、と思っている間にも、その女性は「可愛い! ちょー可愛い!」と私を抱き締め、キスまでした。ちなみに、記憶にある限りではファーストキスだ。奪われてしまった。
「いい加減にしろてめーっ!」
最終的に今日もソファで寝そべる彼女の怒号とクッションが飛び「ひゃあんっ!?」と、年齢を感じさせないめっちゃ可愛い悲鳴を女性は上げた。
「あんた幾つになっても変わんないな……」
「えー。全然変わってんじゃん。ほら見てよここんとこのシワ。もー立派なお婆ちゃんよー。ねー、アオちゃーん?」
とその女性は言って、笑顔で私に振ってきたが、確かさっき「BBAって言ったら殴る」と宣言していなかっただろうか。私は助けを求める視線を彼女に送った。
「ウチの後輩苛めんな。怖がってんだろ」
「えー。怖くないよー。普通の可愛いお婆ちゃんですよー。ねー、アオちゃーん?」
いや怖い。そして絶対普通でもない。
「こんの――」
と、彼女はクッションを投げようとしたようだったが、先程投げたので、もちろん彼女の手元にクッションはない。
「あ、はい。どぞー」
と、そのことに気づいた女性は足元にあったクッションを拾い上げ「ぽーい」と自分で擬音を付け加え、彼女に向かって投げた。
「あいよ。ありがと」
と、彼女は礼を言ってそれをキャッチした後、そのまま大きく振り被って、
「――馬鹿女めっ!」
と、先程の続きに戻り女性に向かってそのクッションをぶん投げた。ひどい。
しかし、容赦がない彼女も彼女だが、そんな彼女の性格を(たぶん)わかっていて平然とクッションを返してしまう女性の方も相当だった。
結局、そんな馬鹿なやり取りをしばらく繰り返した末に、
「疲れた。寝る」
と言って、彼女はクッションに顔を埋めてしまった。一緒に見ていた私はその気持ちもわからないではなかったが、さすがに問題なので、
「お客様に失礼ですよ」
と言ってみたが、返ってきたのは、
「ぐーっ!」
という眠っている人間なら絶対に言わないであろう、起きる気は毛頭ないという意思表示で、私は諦めて眠っている振りをしている彼女を事務所の奥にあるベッドまで運んで寝かせた。
「やー。変わんないねー。あの子も」
戻った私を待っていたのは、自分でお茶を汲んで飲んでいる女性の姿だった。しかもお茶請けのせんべいまで自分で用意してぽりぽり齧っていた。フリーダム過ぎる。
一瞬、私も彼女と一緒にベッドで寝ようかな、という考えが思考領域によぎったが、AIの機能をフル活用して何とかその欲求に耐えた。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、相手は「ふむ」と何やら納得していた。
「あの子は、今も昔もツンデレだねえ」
「『つんでれ』? 何ですかそれは?」
「ツンデレを知らない、だと……っ!?」
じぇねれーしょん・ぎゃっぷじゃーっ、ぐあーっ、などとぎゃあぎゃあ騒がしい女性の言葉を解読してみると、どうやら幾つかの意味があるらしく、この場合はいつもは「ツンツン」しているけど何かの拍子にたまーに「デレる」人物を指すらしい。
ぶっちゃけ、説明に使われている言葉の正確な意味はよくわからなかったが、語感的に、なるほど確かに彼女は「つんでれ」なのだろうな、と私は思った。
「それに、とーっても寂しがり屋さん」
「え? どこが?」
と思わず素で返してしまった私に対して、うっふっふー、と言って目の前の女性は私を見てきた。
何だ。どういう意味だ。
やだーわかってるくせにー、なんて言われても、いや全然わかってない。だからちゃんと教えて欲しい。
「教えなーい」
「何故」
「何となくー」
ぱりん、とせんべいを齧りながら笑う女性の姿に、やっぱり私も彼女と一緒に寝よう、と思ったそのとき、
「あの子はさ」
不意に、相手の声のトーンが落ちた。
「あと、どれくらいなのかな?」
私は、その質問には答えなかった。
答えたくなかったのかもしれない。
相手も、もう一度は聞かなかった。
「まったく良い歳して、いきなりあんな無茶苦茶な方法で若返っちゃってさ――おまけに『アイドル』活動再開だもんねえ」
本当に変わらないなあ、と女性は呟く。
「私なんかは何となーくでアイドルやってたし、『あいつ』にとっちゃアイドル活動なんて踏み台でしかなかったんだろうけど。でも、あの子だけは本当の本当に――」
目を閉じて、昔を思い出すようにして。
「――『アイドル』に憧れてたもんなあ」
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