1.夕暮れプロダクション
オーバー・ディスエイジング。
彼女が受けた医療技術はそう呼ばれる。
一般の人には馴染みがないと思われる。
わかりやすく言うと若返りの医療技術。
はっきり言って大分やべー医療技術だ。
アンチエイジング技術から派生し、より先鋭化した結果、肉体の老化そのものを否定せんと、倫理の壁を貫いて突き進んできたディスエイジング技術――その中において、今現在、最先端に位置している、そりゃもう尖りに尖りまくった医療技術。
そういう代物である。
ぶっちゃけ「おいちょっと止まれ」と現状では言われている医療技術であり、もちろん、保険適用なんて利かない。というか、そもそもこの島国では――というか世界の大半の国で――施術が認められていない。っていうか、研究そのものが暗黙の内に禁じられている。
なんせ、成功率がめっちゃ低い。
そして失敗した場合は絶対死ぬ。
そりゃあ認められるわけがない。
だから。
一部の医療先進国の、一部の医療先進都市にある、一部の世界最先端医療大学の付属病院の、一部のかなりやばめな医療研究チームの誰かに対し、相当強力なコネを持っていて、超高額の医療費を払うことが可能で、かつ「おいやめろ馬鹿」と引き止めてくれる家族なり友人なり取り巻きなりが周囲にいない――そんな極めて限定的なやべー奴がもし仮にいたとする。
そして。
そんなやべー奴が、大量の注意事項でびっしり埋め尽くされた大量の契約内容を数日掛かりで説明され、それぞれに対して虹彩認証と指紋認証と声紋認証とDNA認証と個人番号を使ってOKを出した上、なんと紙の文書にまでサインした後、一年間の入院生活で極限までの生活制限をされ、大量の薬剤を投与された後に、ようやくこの施術を受けられる。
そんな代物だ。
ちなみに、現在の成功率は2割。
思ったよりは高い、と感じてしまう人も、もしかしたらいるかもしれない。
ただし追記があり、この施術を受けた人間は現在、世界に十人しかいない。
最初の一人目は見事に成功した。
その後で九人目までが失敗した。
つまりこの成功率は最新のもの。
少し前までは、もっと低かった。
十年以上現れなかった、十人目。
その十人目が、成功してのけた。
もちろん。
その成功率を二割に引き上げた十人目のやべー奴は、本名「ひ・み・つ」で芸名「夕焼アカリ」な彼女に決まっていて、彼女は謎の美少女として絶滅した文化であるはずだったアイドルの活動を「再開」し、よりにもよって御年100歳のアイドルなんて意味不明の代物として、今、こうして歌ったり踊ったりしている。
とんでもねーBBAだ、と私は思う。
□□□
古ぼけた雑居ビルの、狭い賃貸事務所。
そんな寂れた場所を彼女はわざわざ借りて「夕暮プロダクション」の事務所として、アイドル活動の本拠地にしている。
彼女の資産を考えると、このビルごと買い取ってリノベーションするどころか、この数倍の規模のビルそのものを一から建てることだって余裕なはずなのだが、そうしない理由はよくわからない。
彼女の考えは、私にはよくわからない。
ちなみに、彼女の肩書はアイドル兼社長兼プロデューサー兼マネージャー兼AI管理事務員兼文化保護事業責任者兼私の保存対象(本人曰く先輩)兼私の保守管理作業員となっている。ワンマン過ぎる。
ともあれ、そんな小さな事務所の扉に、いかにも手作り感溢れる「夕暮ぷろだくしょん!!」と書かれた看板がテープで貼り付けられている。
それだけなら別に大したことではない。
が、VRPでなく本物なので困惑する。
ファンから贈られてきたお菓子の箱を、ナイフ(かつての戦争で従軍していた時代からの愛用品らしい。念のために断っておくと、彼女はその時代に危険物全般の所持許可証を取得しているので合法だ。カッターナイフも彫刻刀も軍刀も拳銃もライフル銃もトラップも爆薬も用法・用途を守れば合法的に使用できる)で切って、本物のインクペン(コンビニなんかではもちろん売ってない高価な画材だ。しかも多色を使っている。めっちゃカラフルだ)と本物のテープ(このタイプのテープは環境負荷が掛かるとの理由で大昔に生産終了しているため、専門店でも取り扱ってない。つまり骨董品をどこかから見つけてきたらしい)を使って加工した代物だ。
何でこんな無駄なことをするだろう。
VRPならば、適当なフリー素材を使って簡単に、もちろん許可証が必要な物騒な代物を使うことも、高価な画材や骨董品を使うことなく用意できる代物なのに。
人間がVRを見るために、ディスプレイ型やらゴーグル型やらコンタクト型やらの物理端末が必要だった(戦時中は脳に端末を埋め込むような無茶もしていたそうで、彼女の頭にもとっくにサポートが終了した古い端末が今も埋まったままらしい)大昔とは違う。
VRP。
バーチャル・リアリティ・ペースト。
その名前の通り、データ上の仮想現実を現実へとペーストするためのシステム。
今ではこんな小さな雑居ビルにすらVRPの設備は入っていて、薄汚れた壁面や天井や床へとVRを投影している――海の中にいるかのような煌めきの中、魚やイルカが泳いでいるだけの、いかにも最初から入っていた素材と思しき、安っぽく独創性も感じられない環境VR。
しかしそんな程度の代物でも私の使っている機体の眼球に搭載されたままの、当時最先端であったろう軍用のVR表示機能を完全に無意味な代物にしてしまっている。
時代の流れという奴だ。
その時代の流れに、真っ向から逆らうかのように存在しているその手作りの看板を私はしげしげと眺め、考えてもそれこそ無駄なので、事務所の扉を開けて中に入る。
「ただいま戻りました」
「おーす」
事務所の扉を開けると、「夕焼アカリ」と名乗っている彼女はでっかいクッションを敷いたソファの上で、ぐでーっ、と寝転んだまま片手を挙げてくる。
私服姿だった。
全然赤くない。
白のブラウスと黒のスカートと老眼鏡。
舞台の上で纏っている鮮やかでひらひらきらきらしている赤い衣装の彼女とはいかにも対照的な、装飾性の欠片もないシンプルなモノトーン。そして老眼鏡。
実年齢のことを一旦忘れて、外見年齢だけを見るとちょっと大人っぽ過ぎるというか、少し控えめというか、要するに地味めな格好なのだが、美少女なので、ちゃんと座って控え目に微笑ませ、環境光を調整し、VRPで本でも持たせてやればたぶんめっちゃ可愛いと思う。老眼鏡は傍目にはただの眼鏡にしか見えない。
が、今現在の彼女はソファーの上でクッションに埋もれてぐでぐでしているので微妙である。っていうか普通にだらしない。ごろごろしているせいかスカートがめくれていて、下着が見えそうで見えない。狙ってやっているのかもしれない。
そして、そのだらしない姿も、見えそうで見えないスカートも「アイドル」という文化を保存のために私の中に記憶され保存され蓄積されていくわけで、つまり、ぶっちゃけちょっと止めてほしい。
「こういうのも含めてアイドルなんだって」
と彼女は言うのだが、本当かよ、と私は思わざるを得ない。
「というか、接客用のソファーで寝てないでちゃんとベッドで寝て下さい。BBAなんですから。お身体に触りますよ」
「BBAって言うな」
「いいから。ソファーは寝るところじゃないです。ベッドで寝てください」
「私が所属してたとこはしょぼいとこだったからねー。アイドルのためのちゃんとしたベッドなんて用意されてなかったんだって。泊まるときはじゃんけんで勝った娘がソファー。負けた娘は床。プロデューサーは廊下」
「またそんなデタラメ言って……」
「マジだって」
「マジなわけないじゃないですか。そんな旧時代の戦時下の軍隊みたいな劣悪な労働環境で人を働かせてることが外部に漏れたら、一番下の下請けから一番上の大企業を巻き込んでみんな仲良くドミノ倒産しますよ。例の『ビッグ・ドミノ』の悪夢でその危険性はみんな学んだでしょう」
「その前の時代の話だっての」
と、彼女は笑った。
「まだ私が、ただの美少女だった大昔の話」
私は少し想像する。
彼女がまだ、十七歳の女の子だった頃。
私みたいなAIもおらずVRPもない。
戦争もビッグ・ドミノも起こってない。
それはほとんど100年前の大昔の話。
たぶん。
そのときの彼女が所属していた「ぷろだくしょん」とやらも、こんな小さな雑居ビルの、小さな事務所を事業所としていたのだろう。
知識としては知っている。
その頃は、VRすらまだまだ黎明期で、サインペンもあのテープもまだコンビニで普通に売っていて、カッターナイフのような他愛のない工作刃物の使用に免許が必要なんてこともなかったってことは。
だからたぶん。
この事務所のものと同じような看板が、そこにも掛かっていたのだろう。
そして、扉を開けた先に置かれたソファーの上に、たぶん、今みたいに用意したクッションに埋もれるようにしてそこにいたであろう、
そのときはただの美少女だった彼女を、
肩書きもただのアイドルだった彼女を、
ただ夢を追いかける少女だった彼女を、
ほとんど100年前の、
本人曰く、83年前の、
十七歳の彼女のことを、私は想像する。
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