6.彼女の写真①

 新世代党。


 あまり知られていないが、教科書にも載っているその名称はただの通称であって、本来の政党名は別にある――当時、離散集合を繰り返していた野党なんかにも稀によくあった、やたらと長ったらしく具体的なようで抽象的な変な名称。

 っていうか、本人たちもほぼ正式名称を使っていなかった。だから熱心な研究者くらいしか本来の名称は覚えていない。教科書にも通称の方で掲載され、正式名称は()として併記されている。


 あるいは単に、その長ったらしい正式名称の中に含まれている、今となっては公的に使うことがタブーになっている言葉が問題なのかもしれない。


 かつて「『御国』の為に」という言葉が、ずっと昔の戦争で使われていたらしい。

 なかなか使い勝手が良かったらしく、当時の軍部は、その言葉を使って無茶な徴兵をしたり、民衆を統制したり、憂さ晴らしで誰かを殴ったりしていた。

 末期になると、その憂さ晴らしの延長のつもりだったのか何なのか、なぜか自国の若者を「特攻隊」と称するやたらと非効率的なやり方で虐殺したりしたらしい。


 それに近い。


 研究者なら歴史は繰り返す、とでも言うのだろうか――あるいは、そういう過去があるこの島国であるからこそ、例の言葉はあれほど強力に作用し、この島国の全てを破壊し尽くし、「戦争」を引き起こすに至ったのだ、と言うかもしれない。


 もしそうなら、あまりに皮肉な話だが。


      □□□


 事務所の掃除は、もちろん私の仕事だ。


 いつも通りソファで寝転がっていた彼女が、そのまま寝落ちしている隙を見計らって、抱っこして、BBAだが、めっちゃ可愛いその寝顔をガン見しつつ、睡眠室のベッドにそっと放り込む。

 ジャージの姿の上から、エプロンと三角巾をまずは装備、それから武装として用意したハタキと箒とちり取りとモップとバケツとエトセトラエトセトラ。彼女の清掃方針のせいか掃除機はない。当然、自動掃除機もいない。だが代わりに私がいる。


 ばあん、と。

 勢い良く窓を開け放ち、朝の光を期待。

 曇っていた。

 少しがっかりしつつ事務所を掃除する。


 もっとも、彼女はキャスターの付いていない年代物のトランクケース(昔は自分で運んでいたらしいが、今、それを運ぶのは私だ。もちろん)一つに入る分の私物しか持たない主義らしく、家具の類は全てハウスパッケージのサブスクで用意された品物で、それも必要最小限以下のものしかない。ソファやクッションが、必要最小限のものかどうかはちょっと微妙だが。


 何にせよ、それほど物が多いわけではないこの事務所の掃除はそこまで大変ではない。清掃技術に関しては、かつて通っていた高校で習った――学生に清掃させる文化はなぜか未だに残っていた――だけでしかない私でも、掃除機という文明の利器を必要とせずに、二時間ほど掛ければ呆気なくに終わった。


 ちょうどそのとき、曇り空の切れ目をくぐり抜けた一筋の光がそっと入り込んできて、部屋の一点を照らした。


 とりあえず、という感じで置いてはみたものの、結局、使われることはなくただのインテリアと化して、窓際に追いやられているデスク。


 そこには今時珍しい本物の(つまりはモニター式で画像データを表示しているわけではない)写真立てが二つ、無造作に置かれている。いかにもぞんざいな扱いをしているようで、写真立てはおそらく特注の極めて高度な劣化防止が施された頑丈なもので、たぶん銃弾でも傷一つ付かない代物である。何よりそれは、彼女のトランクケースの中身の一つだ。


 収められているのは「写真」が一枚ずつ。


 写真。


 私はその、ほぼデッドメディアと化している代物が好きだ。絶滅危惧文化として登録され保護されている道具と媒体を使い、物理的実体として保存される画像データ。


 見るのも好きだし、撮られるのも。


 最近ようやく増え始めた私の「ファン」たちとの「撮影会」で写真を撮ってもらうことがあって、そういうときの私は「すげー良い笑顔をしてる」と彼女は言う。その後で「何でその笑顔がいつもは出ない」と彼女の愚痴が続く。


 彼女がいないとき、私はその写真を眺める。


 片方の写真に、三人の少女が映っている。

 彼女や私がステージで着るようなひらひらの服を着ている美少女たち。左から赤色、黒色、白色。


 一番左の赤い少女は言うまでもなく彼女だ。まだ普通の美少女だった頃の彼女。今と違って黒髪。照れたように微妙にそっぽを向きながらも笑っている。

 可愛い。

 まだ可愛いだけだった頃の、彼女。


 真ん中にいる黒い少女が、そんな彼女と、もう一人の少女を両手で抱きかかえるようにして笑っている。

 これが何だか奇妙な少女だった。

 ぶっちゃけて言うと、他の二人より微妙に可愛くない。着ている黒い衣装も微妙に似合っていない。けれども、その「微妙」なところに奇妙な魅力があって、三人の美少女の中で一番の「本物」の美少女に見える。

 たぶん何を言っているのかわからないだろうが、私にだってわからない。

 そういうヘンテコな美少女なのだ。


 そんな真ん中の美少女に比べると、最後の白い少女は、ただの美少女だった。

 ちょっと私に似ているかもしれない。

 控え目でおとなしそうな雰囲気。真っ白でふわふわな衣装がよく似合っていて、何だかちょっと眠たそうな笑みを浮かべている。

 全身で感情を表現しているような彼女と比べても、表情が薄くリアクションも薄そうなその少女は、三人の中では一番地味な普通の美少女に見える。


 けれども。


 この白い少女が誰なのかを、私は知っている――もちろん、調べたわけではなく、ただの偶然だ。そうでなければ、彼女だってこんな風に無造作にこの写真を置いたりはしてないはずだ。


 なんせ、この白い少女の画像は、ネット上で検索しても出てこないから。


 仮に誰かがこの少女の画像をアップしようとしても何故か「アップロードできない画像です」とセキュリティに弾かれる。何らかの手段でそれを掻い潜ったとして、おそらく法的な権限を持たされ四六時中ネットをパトロールしている無数のAIたちの一機がその画像を見つけて、強制削除措置を行うだろう。 


 だから、私がその白い少女を知っているのは、本当にただの偶然でしかない。


 私が「実験中」に通っていた学校には、「本」と呼ばれる紙の記録媒体を集積した場所があった。かつては「図書室」と呼ばれていた場所で、古い「本」が大量に残されたままになっていて、何より、まず誰もこない場所だった。


 なので私は、自分が「いじめ」を受ける際の場所としてそこを選んだ。


 私は、私によって「いじめ」行為を誘発された生徒がやってくるのを待つ間の暇潰しに、単なる興味本位で棚に収められた「本」を引っ張り出しては眺めていた。

 そして、その中の一つに、その白い少女の画像が印刷されていたのだった。どうやら戦前の古い本だったようだ。その後、調べてみたが電子化はされていない。


 たぶん、これからもされることはない。


 私は以前、それとなく彼女に聞いてみたことがある。この白い少女について。


「そいつは」


 それに対する彼女の答えはこうだった。


「私が、この世で一番嫌いな奴」


      □□□


「さあ、これから戦いましょう――」


 議員の「成り手不足」を解消しようとの素朴な考えから被選挙者の年齢が大幅に引き下げられた直後に唐突に出現し――大方の人間の予想を裏切って当時の与党から議席を奪い取った、全員が二十代以下で構成されている、後に「新世代党」の通称で呼ばれることになる新党。


 その党首であり、女性として初めての――そしてぶっちぎりで歴代最年少の総理大臣になった彼女が就任時に告げたのは、今ではタブーとなっている例の言葉。


 それから、10年ちょっと。


 その僅かな期間の間に、この島国の内部を徹底的に破壊し尽くし、当時はまだ近隣に複数存在できていた軍事政権や独裁政権を「自衛行為」によって恐怖のどん底に叩き落し、間接的にとはいえ世界最大の大国二つを相手取って「戦争」をやってのけ――その結果、世界の秩序の3分の1を崩壊させたとすら言われる、


 独裁政権より遥かに独裁的で、

 軍事政権よりずっと暴力的で、

 分断政策より極めて破壊的な、


 二十一世紀最凶最悪の「怪物」とまで言われる政党――その最初で最後の党首は、


 真っ白でふわふわな服に身を包み、

 何だかちょっと眠たそうな笑みで、

 控え目でおとなしそうな雰囲気の、

 就任当時まだ十八歳だった少女は、


 その時点ではまだ、その少女のことを何かの間違いでそこにいる「だけ」の、ただの「子供」だと思っていた大人たちに向かって、


 まるで、


 何も知らない子供に言い聞かせるような、穏やかで優しい、囁くような声色で、


 後に、何度も何度も何度も何度も繰り返し続ける、例の言葉を、初めて告げた。


「――私たちの『平和』の為に」


 「平和」という言葉が、かつては「戦争」の対義語としてごく普通に使われていた言葉だったことは、今ではもうあまり知られていない、単なる豆知識だ。

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