4.「アイドル」を保存するには
「よく見てて」
そして彼女が踊る。
足元には、やたらと透き通った水面。その水面が揺らいで波紋が広がっていく。
ぱしゃん、ぱしゃん、と。
踊る度に足元の水飛沫が舞い散って、早朝の光を浴びて煌めくけれども、彼女の着ているジャージ(赤くない)や、履いている靴は別に濡れたりしない。
ここは事務所の近所の、小さな公園だ。
足元の水面は、公園で使用されているVRPだ。素朴に綺麗なだけの環境を作り出す――ずっと昔には流行っていた、今ではいささか時代遅れの環境VRP。
彼女が踊り終えた。
動きを止めるなり、波紋も水飛沫もすぐにぴたりと止まった。その際に、ほんの少し遅延が起こってラグが走った。随分とちゃちな演算能力だ。水飛沫の物理演算も透過する設定になっているようだし、このタイプの環境VRPとしてもだいぶ旧式だ。たぶん、ずっと前に作られたまま放置されているのだろう。この手の小さな公園ではよくあることだ。
そんなVRP環境の中、近くに置かれたベンチの上、ジャージ(青くない)の膝を抱えるようにして座っていた私は立ち上がる。
ぱしゃ、と。
おそらく画像認識型のVRPが私の動きを拾い上げて反応し、私の足元でも水が散る。さして人気もない小さな公園に作られた、嘘みたいに綺麗な偽物の水面に、私を中心とした波紋が広がっていく。
そして、私は踊る。
彼女と同じように。
私は文化保存用に調整され直されているAIであり、同じように踊ることは決して難しくない。「暮空アオイ」の機体は彼女の体格とはまるで違って作られてはいるものの、私のクラスのAIなら、それを修正して動くことはさほど難しくない。
ぱしゃん、ぱしゃん、と。
そうやって踊る私を、私が持ってきたアウトドア用の折り畳み椅子に、だらり、と身を預けながら見ていた彼女は、一言。
「違げーよ」
「動きは同じはずですが」
「同じじゃ困るんだって」
「私は保存用なんですが」
彼女は告げる。
「踊りじゃなく『アイドル』を保存しろ」
難しい注文だ。
技術でなく「心」や「魂」を保存しろ、と言われているような感がある。
だが。
実のところ、私たち保存AIが文化を保存するためには、そんな「心」や「魂」みたいな代物が、実は本当に必要だったりする。
□□□
文化保存事業が始まったのは戦後のこと。
「レッドデータ・カルチャー・ノート」と「文化絶滅」は当時、かつての環境問題同様に、世界的な問題になっていて、どの国も何らかの対応に追われていたのだが、発端はこの島国だ。
もちろん、例の「新世代党」が原因だ。
今では「二十一世紀において最悪」とも称される政党が行った「新世代化運動」で、この島国にかつてあったありとあらゆる古い慣例が片っ端から破壊されていったことは、みなさんご存じのことと思われる。
そして、その煽りを食らって、この島国の様々な文化が「ジェノサイド」されたこともよく知られている歴史だ。
かつて「クール」と呼んでいた懐かしの文化が八つ裂きにされていくのを黙って見ていられなかった国際社会の有志の手によって、「レッドデータ・クール・カルチャー・ノート」が作成された。
その後、それが世界レベルへと拡大した結果が「レッドデータ・カルチャー・ノート」の作成で、「文化絶滅」を防ぐための文化保存事業の始まりとなる。
さて。
ここで話を元に戻すと、当初、文化の保存は、保存用に調整された高性能なAIと人体の動きを限りなく再現可能な機体を使えばそれほど難しいことではないだろうと考えられていた。
例えば、普通の人間が、ある伝統工芸品の最高峰の職人と同じ技術を身に付けるためには数年、あるいは数十年の時間が掛かる。
だがAIならば、初見でその技術を記録し、保存し、完全再現することができる。
理論上は。
実際にやってみたら、話はそう簡単でないことがわかった。
まず、その道数十年の職人の技術をAIに見せて、それを記録させ、保存させた。
そしてそれを再現させてみた。
なぜか失敗した。
もしや超一流の職人の技術はAIですらコピーできないのかすげえ、とそのプロジェクトチーム(全員「クール」が大好きな世代だった)ははむしろテンションを上げたらしいが、AIの作業を見ていた当の職人がそれを否定した。
実際、AIは初見で職人の技術を完璧に記録し、完璧に保存し、それを完璧に再現していた。そこには一切の不備はなかった。たった一度見ただけの、その道数十年の職人の技術を完全にコピーしていた。
ではなぜ失敗するのか、やはり「心」なのか、「魂」なのか、というプロジェクトチームのちょっと興奮ぎみの質問に対し、
『いや、別にそういうんじゃなくてよ』
と、その職人はごく理性的に答えた。
『前の日は晴れてて、今日は雨だろ?』
さらには、職人はこうも続けた。
『材料も、材料ごとに全部違うしなあ』
そしてこう尋ねた。
『こいつ微調整とか補正とかできる?』
もちろんできない。
何たって、AIは見たまま完璧にそのときの職人の技術をコピーしただけなので。
まあ、科学の実験の基本だ。
条件が違えば結果は変わる。
だから、条件は揃えること。
当時の気温湿度光量埃の舞い方本人の体調はどうだったかその他諸々の条件をまったく同じにして、その上でまったく同じ材料(仮に木材だったら、寸分違わずまったく同じ木材)を用意してやれば、まったく同じものを作れるということになる。
まあ、理論上は。
現実的ではない。
それでも一応、やってはみたらしく、色々苦心した結果、五回に一回成功するようにはなったが、それで出来上がったものは何かやっぱり本物とは微妙に違う代物だったし、そもそもこれで「文化」を保存したと言えるのだろうかという疑問が芽生え始めたプロジェクトチームに、なあ、と職人は言ったらしい。
『こいつ俺に預けてくれねえか?』
そう言ってその職人は、ちょうど失敗作を作り上げたばかりの保存用AIへと視線を向けて、そいつに言ったらしい。
『たぶん普通に教えた方が早いだろ。お前』
というわけで、保存用AIはその職人に普通に弟子入りして、普通に一から技術を教わって、一流の職人になってプロジェクトチームのところに戻ってきた。
五年ほど掛かったらしい。
遅いとみるか早いとみるかはかなり微妙なところだったが、その五年の間、他の成功例が結局出なかったため、このスマートとはちょっと言い難い伝統的な方式が「とりあえず」で文化保護事業において採用されることになった。
そして現在、未だに「とりあえず」採用され続けている。
□□□
私たち保存AIが「心」だの「魂」だのを保存できるかどうかを、そもそもそんなものがあるのかどうかも、私は知らない。
でも。
私が「アイドル」を保存するためには、それに近い何かを、彼女を通して記録していく必要があるのだと思う。その記録は、きっとスマートとは言い難いものになる。
ぱしゃん、と。
彼女が椅子から立ち上がり、私のところまでやってくる。一歩ごとに広がる波紋。
「アオ」
彼女は私を見上げる。
私は彼女を見下ろす。
「あんたは『アイドル』なんだから」
と、私を見上げる彼女は、ぺったんこな胸を思いっきり張って、私に告げる。
「単なる私のコピーじゃ困るわけ――私と同じダンスを私に合わせて一緒に踊って、それでも、あんたはやっぱりあんたじゃなきゃいけないの」
「矛盾してません?」
「してない」
彼女は断言して、私の手を取る。
「ほら」
ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、と。
「一緒に踊るよ」
足元で、電子の水面がはねる。
「はい。今日も、」
と、私は頷く。
「よろしく。BBA」
「BBAって言うな」
彼女が私の手を引くようにして。
私が彼女に導かれるようにして。
踊る。
私たちを中心にして、誰もいない小さな公園の水面に、波紋が広がっていく。
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