3.私が彼女を記録する前のこと
彼女の「ひ・み・つ」とされている本名だが、これがかなり有名で、人間の学校の学習テキストなんかにも普通に載っている。
彼女が元「アイドル」でなくなった(本人曰くアイドル活動を休止した)後で進学し、戦前のVR黎明期において大学在籍時代に成し遂げた、あるいはかの「戦争」中において従軍時代に成し遂げた、それとも戦後の退役後に事業を行っていて最終的にVRPを完成させるまでに成し遂げた、数々の偉業はとりあえず置いておいて――どうしてAIの私が人間の学校の教科書の内容を知っているかというと、もちろん通っていたからだ。学校に。
以前の私は、高校生だった。
当時の私の機体は、当然、旧式の軍用機を改造した「暮空アオイ」ではなかった。新造されたばかりのぴっかぴかの最新鋭の日常用の人型機体であり、ありきたりの名前と綿密な家庭背景を与えられ、とある有名なリアルスクールの私立学園に通う普通の少女の姿をしていた。
いや。
実際には普通の少女とは少し違っていて、私の容姿や性格は「ちょっとした実験」のために最適化されていた。学園に通っていたのもそのためだ。私は、その「ちょっと実験」のために生まれたAIだったのだ。
ちょっとした実験。
私が通っていた、少しばかり先進的だったリアルスクールの私立学園と、とある大学のちょっとばかり前衛的過ぎた研究者と、とある大企業のちょっと未来に生きてたプロジェクトチームと、難しいことはよくわからないけれど革新的なことは良いことだと思った政府のお偉いさんの後押しで、その実験は秘密裏に行われた。
「いじめ」被害者を無くす実験だ。
比較的保守的で、普及が遅れていると言われてたこの島国でも、今ではネットスクールを選択する学生の数はすでに三割を超えており、一昔前と違い、学費の面でも教育力の面でも、従来の学校と遜色ないものになっている。昔はあった他人とのコミュニケーションの機会が減少することによる弊害も、VR技術の発展によってそのほとんどが解消されている。
逆に言えば、伝統的なリアルスクールは少しずつ数を減らし始めていて、その最大のネックとなっているのは「いじめ」問題だ。
「いじめ」という言葉は今やリアルスクールの関係者の間でだけ細々と使われ続けている専門用語なので説明しておくと、学校内で行われるハラスメント行為、ないし犯罪行為のことを指す。
何かと隠蔽できた大昔とは違って、今、その手の問題が起こったら確実に露呈するし、それはその学校にとっての致命傷になる。翌年の定員割れは確実だ。
ネット全般についての法的な整備が整っていなかった昔とは違って、現代ではAIによるネット空間の監視は容易となっているのだが、現実空間でのAIの運用や監視にはどうしたって制限が出るし(例え非知性型のAIにしか情報が行かないと言われても、更衣室やトイレに監視設備を設置することはまず不可能だ。まあ普通に考えて)、そもそもリアルスクールに通わせる親は、その手のAIや監視システムに対して否定的な考えを持っている場合が多い。
そのため、もっとも頼りにされるのは教師たちのマンパワーとなるわけだが、人間の力に限度があるってことは、ずっと前から誰もが分かっていたことだ。そうじゃなければ私たちAIは生まれていないし、そもそも道具だって発展していない。そして教師の仕事はトイレや更衣室を監視することではない。
だから「いじめ」専用の道具を導入した。
それが私だ。
もっとも、私は生徒の「いじめ」を監視するためにリアルスクールに導入されたわけではない。そんなことをしたら親御さんが黙っていない。まあそりゃそうだ。それでは更衣室やトイレに監視設備を入れるのとさして変わらない。私の「ちょっとした実験」を行った人々は幾らなんでもそこまで馬鹿じゃない。そこはちゃんと捻った。
導入したのは人為的な「いじめ」の対象。
それが私だ。
当時の私の表層人格と機体はセミ・ビッグデータの分析結果によって、同年代の少年少女たちから極めて「いじめ」られやすく作られていた。その結果出来上がったのが、思ったよりも平凡な容姿で平凡な性格であることは、開発者たちにとっても意外だったらしい。
とはいえ、結果は見事だった。
私が編入して数日後に「いじめ」は発生し、私はその「いじめ」の対象になった。私はとっても優秀な道具だった。
こう言い変えることもできる。
私は編入して数日で意図的に「いじめ」を発生させ、意図的に「いじめ」の対象となり、意図的に「いじめ」の加害者を作り上げた。私はやっぱり優秀な道具だった。
勘の良い人ならばもうお分かりだろう。
この秘密の実験は露見し、その内容は世間に広く知られることとなり、もちろん大問題になった。理由は、まあ常識的に考えれば分かると思われる。っていうか、私を製造し実験を推し進めている人間たちがどうして気づけなかったのかが不思議だ。私にだって「あ、この実験やべーよな」と分かっていた。最初から。
分かっていながらやったわけなのだが。
私が通っていたリアルスクールは閉校して、とある大学の一学部が丸ごと閉鎖され、プロジェクトリーダーの懲戒解雇と係長と課長と部長の辞職と社長の辞任&土下座も虚しくとある大企業が倒産し、お偉いさんは政界から蹴り出されてただの無職のおっさんになった。
でも、その元凶である私は保護された。
私はあくまで実験の犠牲者らしかった。
そんなわけで、私はAI専門のカウンセラーから丁寧なカウンセリングを受けて、新しい機体を与えられ、新しい職場に配備され、新しい仕事を与えられた。詳細は省くが、ごく良識的な職場で仕事だった。
けれども、私はそこでAI鬱になった。
カウンセリングも拒否し出した私は、もう道具としてはどうしようもなく使い物にならなくなって、使い物にならなくなった道具らしく廃棄処分になることを待っていて――そこで彼女に拾われた。
「ねえ、貴方」
カメラとマイクを通し、保養用のコンピュータ内で走っている私に彼女は言った。
「『アイドル』になってみない?」
そして私の彼女についての記録が始まった。
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