第20話 きっと、死ぬまで覚えている話
朝。
若桜の町は朝日でオレンジに照らされている。
長尾家の庭では、スズメが地面をつついている。
家の前に、一台の自動車が止まっていた。トヨタのアクアだ。この車の持ち主は稲荷神獣呪術師範長という長い肩書を持つ初老の女性、ミチヨだった。
「お世話になりました」
マコトは深々と頭を下げた。
サナの両親と姉、兄、サナと弟、そしてコン。みんな見送りの為、表に出てきてくれていた。
「また、遊びにおいで。マコトちゃんの本当の姿も見てみたいし」
母は笑顔でそう言った。
「はい。ありがとうございました」
マコトはもう一度頭を下げる。
「マコトちゃん。あんまりなんにも教えたげられへんでごめんな」
コンは申し訳なさそうに言ったが、マコトは首を横に振る。
マコトの手には古びたメモ帳が握られていた。表紙はボロボロになっていて、各ページは水分を吸ったあとそれが乾燥しボコボコに波打っている。
それは、コンが生きていた頃に書いていた料理の手順のメモ。基本中の基本から丁寧に書かれている。
コンは「これがあれば、基本的なことはわかるはずやから」と言って、渡してくれた。
「ありがとう。コンさん」
コンは笑顔でうなずく。それを見たマコトは決心したような表情をうかべた。
「じゃあ、私、そろそろ行きます。本当にありがとうございました」
もう一度深々と頭を下げて、車に乗り込もうとしたそのときだ。
「待って!」
声がした。
走ってくる二人の少女。セリカとイマ。両方とも制服を着ている。学校へいく前に寄ってくれたようだ。
「間に合った。はい、これ。受け取って」
セリカが差し出したのは、一枚のメモだった。
そこには、セリカとイマの電話番号とメールアドレス、それから住所が書かれている。
「なんでもいいからさ、また連絡してよ。よかったら、ポンちゃん……じゃなくてマコトちゃんの本当の姿も送ってほしいな」
セリカはそう言った。イマも同じことを思っているようだった。
「わかった。あ、私のも……」
マコトが全てをいいきる前に、スッとペンとメモ帳が差し出された。ミチヨだった。
「使ってください」
「ありがとうございます」
メモに京都の自宅の住所を書く。二枚書いて、セリカとイマにそれぞれ渡した。
「マコトちゃん。前に通っていた小学校って琴平大学付属小学校っていってたよね」
イマが尋ねる。マコトはうなずいた。
「そうだけど、それがどうかしたの?」
「多分、上手くいくと思うから楽しみにしててね」
マコトは首を傾げるが、イマはそれ以上何かを言ってくれる雰囲気ではなかった。
「じゃあ、そろそろ行くね」
マコトは助手席、ミチヨが運転席に座る。
「では、行きましょう」
ミチヨはサナの母に一礼すると、車を発進させた。
高速道路を軽快に走っている途中で、マコトは眠気を感じた。頑張って起きているつもりだったのに、徐々に眠りに落ちていった。
目を覚ますと、車は京都の街はずれをゆっくりと走っていた。
「あ、ごめんなさい。寝てました」
「いいんですよ。朝、はやかったですからね。もうすぐ着きますよ」
ミチヨの言葉通り、外の景色は見覚えのあるものに変わる。
「帰って、来たんですね」
マコトはつぶやいた。
そのとき、ふとその少女が目に入った。
染めたとわかる金髪。
それは、かつてのマコトの姿。そう。ユリだった。
「止めて!」
マコトは思わず叫んだ。
車は急ブレーキで止まる。
「ユリ!」
マコトは窓をあけて、叫ぶように声をかけた。
「マコト……マコト……助けて。助けてマコト!」
ユリは、突然、その場に泣き崩れた。
「ユリ、ユリだよね。どうしたの?」
マコトは車を飛び降りて駆け寄る。
「マコト、助けて! お母さんが、お母さんが死んじゃう!」
「お母さんがどうしたの!」
「お母さん、苦しそうで、スマホもロックがかかってて、タマキ先輩もいなくて……はやく、はやくしないと、お母さんが死んじゃう」
ユリはマコトの服を掴み、涙と鼻水でクシャクシャになった顔で、すがるように叫ぶ。
「落ち着いてください。お母さんは家にいるのですか?」
ミチヨは車から降りてくると、落ち着た様子で尋ねる。
「うん。家、家」
「乗ってください。急ぎましょう」
三人は車に乗り込んだ。
ミチヨは見事なドライビングテクニックでアパートに急行した。
ドアをあけ、部屋に入るとマコトの母が布団の上で苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。
ミチヨは母の額に手をあてると、迷わず自分のスマートフォンを取り出し救急車を呼んだ。
病室。
ベットで眠る母は、穏やかな呼吸に変わっていた。
「相当疲れが溜まってたんじゃないかな。念のため何日か入院してもらうけど、命に別状はないよ」
診察した医師はそう言った。
マコトとユリは二人同時に頭を下げた。
「ユリ、ちょっといい?」
マコトが声をかけると、ユリはうなずいた。
病院の屋上はテラスになっていた。二人はそこにやってきた。
バタバタとしている間に、もう夕方。
オレンジ色の夕日が差していた。
「久しぶりだね。ユリ」
マコトは遠くの景色を見ながら言った。
「ごめんなさい。全部、私のわがままなの。私の身勝手で、勝手に魂替えして、なんにも関係なかったマコトを巻き込んで」
ユリは一度息を吸いなおし、ためらうように言う。
「……すぐに、元に戻すから」
ユリの顔は見ていなかった。だけど、泣きそうな顔をしていることは声でわかった。
マコトは大きく深呼吸した。
「ユリ、私ね、魂替えされた初日に思わず家を飛び出して、それで、キツネに助けてもらったの。それから、鳥取の若桜って町に行って、そこに住んでるキツネの家族のところでお世話になってた」
「キツネのところにいたの? どうして?」
「まあ、いろいろ勘違いとかあったから。でもね、そこで、大事な友達ができた。もしかしたら一年もたたないうちに離れてしまう関係なのかもしれない。でも、もしかしたら一生続いていく関係かもしれない」
マコトはそっと自分の手の中を見た。そこには、セリカにもらったメモがある。
「それから、妹に会った」
「妹って、その……生まれなかったって……」
「ユリも聞いたんだ。そう。その生まれなかった妹。ただの幻覚かもしれない。だけど、夢で会った。『お母さんをよろしくね』っていわれた」
マコトはユリに顔をむけた。その表情は笑顔だった。どこか儚い、そんな笑顔だった。
「ユリ。私、大事なものいっぱいもらったよ。ユリも、そうじゃない?」
ユリ、小さくうなずく。
「じゃあ、元にもどる前に、お別れいっておいでよ」
ユリは驚きの表情を浮かべた。
「いいの? マコト。私、このまま逃げちゃうかもしれないよ」
「うん。ユリはそんなことしないから」
マコトは即答した。
ユリは「ちょっと待ってて」というと、走り出す。
ユリは息を切らせながら、学校まで走ってきた。
授業はもう終わり、部活をやっていない少数の生徒が校門から出てくるところだった。
その中にいた。
「チア!」
同じクラスの気弱な少女、チアリだった。
「志度さん……」
チアリはきまずそうに目をそらす。
「どうだった? 今日は虐められなかった?」
ユリは優しい口調で尋ねた。
「うん。大丈夫だったけど……。でも、マコトは?」
「よかった。ちゃんとマコトって呼んでくれた」
「昨日は、本当に、ごめんなさい」
チアリは昨夜、ユリを襲い財布を奪ったのだった。いじめっ子たちに指示されて。
結局、ユリはいじめっ子たちに自らの財布を差し出し、その代わりに二度とチアリに関わらせないことを約束させたのだった。
「やっとだね」
ユリが言うと、チアリは不思議そうな顔を浮かべた。
「やっと、『マコト』って名前で呼んでくれた。じゃあね」
ユリは軽い調子で手を振りながら、校門をくぐる。
「マコト!」
チアリが呼び止めた。今まで聞いたことないくらい、大きな声だった。
「マコト、また、明日ね」
チアリは手を振っていた。
「うん。また明日」
ユリも、手を振り返した。
校舎に入り、廊下をまっすぐに進む。
突き当りが家庭科室だ。
大きな扉を開ける。
「おや。今日は全員サボりかと思ったんやけど」
そこには一人だけ、料理部部長のタマキだけがいた。
「こんにちは。タマキ先輩」
ユリは頭を下げる。
「聞いたで。今日、学校来うへんだって」
「ちょっと、立て込んでたので」
「部活だけ来てくれたんは、部長としては誉めとくわ」
タマキはそういっていたずらっぽく笑う。
「あの、タマキ先輩。大事な話しがあるんです」
ユリは意を決したように切り出す。
「蕎麦、茹でようと思うんやけど食べる?」
ユリの言葉を無視して、タマキは尋ねる。
ユリはうなずいた。
「具、お揚げしかないわ。キツネでいい?」
「はい。私も一緒につくります」
机の上、二つ置かれたどんぶりばち、湯気を上げるキツネ蕎麦。
「で、大事な話しってなに?」
タマキは丸椅子に座り、尋ねる。
その横で、同じく丸椅子に座るユリは蕎麦をすすった。
「
「こら、口をいっぱいにして喋らへんの」
タマキは苦笑いを浮かべながらたしなめる。
ユリは飲み込む。
「タマキ先輩。もしも、もしもですけどね、明日、私がまるで別人みたいに変わってしまって、先輩のことを何も覚えてなくても、それでも、先輩は今までと同じように私に優しくしてくれますか?」
タマキは鼻を近づけ、出汁の匂いを嗅ぐ。
「それは、質問? それともお願い? どっちかな?」
「……お願いです。どうか、マコトに優しくして、マコトが困っていたら助けてくれませんか?」
「ほんと。マコトちゃんはわがままやな」
タマキはフッと笑った。
「でも、私もお人よしやな。ええで。どういう事情なんかはよくわからんけど、今、話してるマコトちゃんと約束。明日からも、どうしょうもない後輩の面倒見たげる」
「ありがとう。先輩」
ユリにとっては、二度と食べることが出来ないかもしれないキツネ蕎麦。その味は、きっと死ぬまで覚えているだろう。
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