第11話 親子の食卓の話
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ミツバを混ぜた卵が、玉子焼き器の中でジュゥと音をたてる。
「気泡をつぶして、平らにして」
タマキの声。
ユリは真剣な表情で玉子焼き器を見ながら、箸の先で気泡をつぶしていく。
ここは、タマキの家でもある『武田書店』の台所。
今日のお手伝いを終えたユリは、タマキに料理を教えてもらっているのだ。
「じゃあ、そろそろ巻いていこか」
タマキは後ろからユリの手を取ると、卵を巻いていく。
こうして、ミツバ入りの出汁巻きが完成した。
多少焦げたが、十分な出来だ。匂いがそれを表している。
「これ、持って帰ってお母さんに食べさせてあげたら?」
タマキはそういって、出汁巻きをタッパーに入れるとユリに渡す。
「はい。ありがとうございます」
ユリはそっと胸にタッパーを抱える。
「いい匂いしてるなぁ」
そういいながらやって来たのはタマキの母だった。なんでもなかなか子供ができず、やっと授かったのがタマキだったとかで、中学生の娘を持つにしては高齢だ。タマキが積極的に店を手伝ったり、家事をこなしているのはそういう事情もあるらしい。
「いつもありがとうな」
タマキの母はそういってユリに百円硬貨を一枚手渡した。
「ありがとうございます」
一日一時間店番や棚の整理をして百円のお駄賃をもらう。これが武田書店のルールで、ユリもタマキもそれに従っていた。
「そういえば明日、入学式やけど準備大丈夫?」
タマキが尋ねる。
実はユリは忘れていた。明日から中学生になるということを。
「だ、大丈夫。準備ばっちり、です」
ユリは引きつった笑顔でいった。
タッパーを抱えてアパートに帰ってきたのは夕方だった。
玄関の鍵が開いていた。
出かけるときにかけわすれたのだろうか? と不安になったが違った。
「おかえり」
マコトのお母さんが帰ってきていたのだ。
「ただいま……仕事、どうしたの?」
普段、母はこんな時間には帰ってこない。
「今日だけ、はやく抜けさせてもらったの。ギリギリになってごめんね。これ、中学で使うでしょ?」
母はリサイクルショップの袋を差し出す。
ユリが中を見ると、リュックサックが入っていた。横長で口が大きく広がるタイプのものだ。
「これって……」
「ごめんね。筆記用具は学校のときの、そのまま使ってもらうことになるけど、さすがにランドセルで中学校に通わすわけにはいかないから。明日から使って」
「ありがとう……お母さん」
母は小さくうなずく。
「今日は、なにをつくってきたの?」
「出汁巻き。きっとおいしいよ」
ユリは、満面の笑みを浮かべた。
白米を炊いて、出汁巻きと、あとはインスタントのみそ汁をつくって夕食にした。
ユリと母は小さなちゃぶ台をはさんで座る。
「じゃあ、いただきます」
こうして、ユリと母は食事をはじめた。
母は丁寧な手つきで箸を使い、出汁巻きを切り取り口に運んだ。
「おいしい。上手になったね」
「全部、タマキ先輩のおかげ、かな」
口ではそういいつつも、ユリは得意げだった。
「ねえ、あなたに一つ聞きたいことがあるの」
母は出汁巻きを飲み込むと、尋ねた。
「あなたは、誰?」
ユリの心臓が、トクンと跳ねた。
「な、なにいってるの? マコトだよ。お母さんの娘の」
ユリは慌ててそういったが、母は落ち着いた様子で首を横に振った。
「いいえ。あなたは見た目はマコトだけど、中身は違うわ。そうでしょ?」
ユリは何度か視線を左右に泳がせたあと、観念したようにいった。
「いつから、気付いていたの?」
母はさらに出汁巻きを一口食べる。
「あなたがお小遣いを使ってお料理の本を買ってきたとき、なんとなく違和感があった」
「なんだ。それ、初日じゃないですか」
「決め手はあれ」
母が指差したのは、部屋のすみに飾られた封筒と、手作りのお仏壇だった。
「そもそもアレをつくったのはマコトだった。それで『いってきます』の前には必ず手を合わせて、『ただいま』の後にも必ず手を合わせていた。でも、あなたはそれをしなかったから」
ユリは話しを聞きながら、出汁巻きを一口食べた。そして尋ねる。
「誰のお仏壇なんですか?」
「お父さんと、妹の」
ユリはしばらくお仏壇を見つめて、視線を母に戻す。
「確かに、私はマコトじゃないです。化けダヌキの、中村ユリと申します」
ユリはゆっくりと、頭を下げた。
母の口から、ポロリと白米が落ちる。
アパートの前を、前を、マフラーを改造したやかましいバイクが走り抜けていく。
そして、母は笑い出した。
呆気にとられ、言葉を失うユリ。
母は目元の涙をぬぐった。
「実は、半信半疑だったの。様子がおかしいけど、まあ、そんな年ごろだから、そういう設定なのかなっておもったりもした。だけど。タヌキはないわ。あの子、絶対にそんな可愛らしいこといい出さないもの。本当に、別人なのね」
「魂替えという、体はそのままに魂を入れ替える術を使いました。なので、この体は間違いなくマコトのものです」
母はみそ汁を一口飲み、尋ねる。
「それで、マコトはどこ? 無事なの」
ユリはうなずく。
「マコトの魂は、私の体に入っています。おそらく、私の術に巻き込まれた可哀想な被害者として、丁重に保護されているでしょう。私がいつも術の研究をしていたことは、みんな知っていますから」
いい終わると、ユリは出汁巻きを口に運んだ。
「あなたの目的は?」
母は空になった茶碗を差し出し、ユリはご飯をよそう。
「少し、休憩したかったんです」
「ありがと。休憩?」
母は茶碗を受け取る。
ユリはうなずき、みそ汁を飲んだ。
「私は、化けダヌキの中でもかなり上位の家系に生まれました。西日本の化けダヌキは全て、私の家の配下にあります」
「すごいわね」
ユリは首を横に振った。
「私は将来、家を背負う立場になるでしょう。だから、みんな私にすり寄ってきます。例えば、私が『チョコレートを食べたいわ』と呟けば、会ったこともないタヌキから、山盛りのチョコレートが送られてくるような、そんな生活」
味噌汁の表面にうつる
「でも、一番助けてほしいことは、誰も助けてくれない」
「それはなに?」
「わたしは、呪術で攻撃を受けていたの。突然、謎の痛みに襲われたり、恐い夢にうなされたり
その途端、母が身を乗り出す。
「どうして、そんなことに?」
「タヌキも一枚岩ではないの。様々な思想を持つ者がいて、沢山の派閥がある。そして、その者たちは自分たちが正しいというお墨付きを欲しがっている」
「つまり、あなたに認めて欲しいと。お前たちが正義だって。それで嫌がらせってわけね」
ユリはうなずき、味噌汁を飲み干した。
「そう。だから、絶対に殺されることはない。でも、だからこそ誰も助けてくれない。お父様も、お母様も、付き人のシゲルも、誰も助けてくれない。呪術のことはわからない、とか、むやみに事を大きくするべきではない、とかいって」
「それで、休憩というわけね」
ユリはうなずく。
「マコトは保護されているのね?」
「中身が私でないことは、すぐにバレるでしょう。間違いなく、守ってもらえているはずです。繰り返しになりますが、マコトは私のわがままに巻き込まれた被害者ですから」
母は一度、大きく深呼吸した。
「安いのだけど、ケーキを買ってきたの。ここを片付けて、食べましょうか」
母は空になった食器を片付けはじめる。
「マコトを返せ、とはいわないんですか?」
ユリは驚きの表情を浮かべた。
「もうとっくに気付いているでしょうけど、この家はお金がないの。今後、改善する見込みもないし、むしろ、ジリジリ状況が悪くなっていくことが目に見えているわ。ここで暮らしている限り、マコトに幸せな人生を送らせてあげることはできない」
シンクで食器を洗いながら、母は語る。
「マコトがお金に困らない人生を送ってくれるなら、たとえ誰かと入れ替わっていても、私はそれでいいと思う。むしろ、元に戻らないで欲しいと」
「手伝います」
ユリは洗い終わった食器を、布巾で拭いていった。
「あの、マコトのこと、いろいろ教えてもらえませんか?」
「うん。もちろん」
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