ポンと狸と魂替え物語(コンと狐とSeason6)
千曲 春生
第1話 魔女はタヌキだった話 前編
部屋の壁際に、制服がかかっていた。
私立中学校のものだ。可愛いジャンパースカート。
はじめて見たときからずっと憧れていた。
詳しく調べてみるとその学校は自由な校風らしく、アクセサリーをつけていたり、髪を染めたりしていてもうるさくいわれないのだという。
夢は膨らむ。
マコトはどちらかといえば勉強はよくできる方だ。しかしそれでも合格ラインには届かず、必死に努力した。
そして、試験に合格したのだった。
春からはあの制服を着て、電車で中学校に通う。
そう思うだけで口元がゆるんだ。
ふと、下の階から物音がした。そんな気がした。
マコトは私室を出て、階段を下る。
ダイニングに、見知らぬ少女がいた。
小学校高学年から中学生くらいの、丸顔の少女だった。
「こんにちは。少し、お邪魔してます」
少女はソファに腰かけ、くつろいだ様子で笑顔を浮かべる。イントネーションに少し関西なまりがあった。
「……あなた、誰?」
マコトは、なんとかその一言を絞り出した。
「とってもええ家だね。あったかい気持ちがあふれてる」
女の子はマコトの問いに答えず、そういった。
途端、マコトの目から涙が零れ落ちた。
そして、目覚まし時計の音。
目を覚ましてから、夢を見ていたことに気付いた。
目元に涙の痕の感触がある。
さっきまでのは夢だったとわかりつつ、周囲を見渡す。
六畳一間、築四十年近いアパート。
ここが、現在のマコトの家だ。
壁際にかかっているのは、この近所の公立中学校の制服。
「おはよう。マコト」
お母さんは仕事にいく準備をしていた。
「うん。いってらっしゃい」
マコトは布団を出ると、流し台で顔を洗う。洗面所はない。
そして百円ショップで買った小さな鏡を見ながら髪を整える。
前の学校に通っていた頃に染めた髪。気に入っていたが、きっと、伸びてきたら再び染めることはできない。
鏡のすみに、お母さんの申し訳なさそうな顔がうつる。
「マコト、ごめんね。今日いってあげられなくて」
「ううん。気にしないで」
マコトは短く返す。
母親は少し言葉を探すように視線を泳がせ、こういった。
「おめでとう。マコト」
「うん。ありがと」
マコトは短くこたえた。
「じゃあ、仕事いってくるね」
お母さんは部屋の隅っこに置かれた、小さな手作りの『お仏壇』に手を合わせると出口へむかう。
「お母さん」
マコトはその背中へ言葉を投げかける。
「いってらっしゃい。お仕事、頑張ってね」
お母さんは笑顔を浮かべた。
「うん。いってきます」
それからマコトは、朝ご飯――一昨日のカレーを温め直して食べると、学校へいく準備を始めた。
お母さんは今日の為に新しい服を買ってくれようとしていたけど、マコトは断った。なんの思い入れもない今日の為にお金を使うのは勿体ない。
いつも通りの服を着て、『お仏壇』に手を合わせると、筆箱しか入っていないランドセルを背負ってアパートを出た。
通学路はいつもと雰囲気が違った。
上等な服を着て、親と共に学校へ向かう子供たち。
学校の校門には『卒業証書授与式』の文字があった。
下駄箱の前で靴を履き替え、教室へむかう。六年四組。そこがマコトのクラスだ。
黒板には、大きく『卒業おめでとう』の文字と、色とりどりのチョークで楽し気なイラストが描かれていた。
クラスメイト達は皆、興奮気味にこれまでの思い出なんかを語っている。
すでに寂しそうな表情を浮かべてるあの子。きっと、式で泣くんだろうな。
マコトはぼんやりと周囲を見ながら、はやくこの時間が終わることを願った。
式が終わり、教室で担任が涙ながらに「これからの皆さんの活躍に期待します」という内容の話しをした。マコトの心にはなに一つ響かない。
話しが終わると、マコトは静かに教室を出た。他のヒトたちは、記念撮影や思い出話しに興じている。
胸につけていた花のブローチは、適当なゴミ箱に捨てた。
アパートに戻ってきたのは、昼前だった。
「ただいま」
返事はかえってこない。
お腹が空いた。
カレーがあるけど、さすがに飽きた。
冷蔵庫からひなびたキャベツを取り出し、千切りにする。千切りのつもりだったが、短冊切りみたいになった。
次に卵焼きをつくる。ボウルに卵を割ると、大量の殻が入った。箸でチマチマと取り除き、かき混ぜて熱したフライパンに流し込む。
オムレツや卵巻きはつくれない。マコトの技量でつくれるのはスクランブルエッグだけだ。
あとは、冷凍ご飯を解凍して昼食の完成だ。
一人でモソモソと食べた。
それからはずっとテレビを見て過ごした。夕方のワイドショーはマコトにとって興味を引く内容ではない。しかし、他にやることがなかった。
ぼんやりと、昨夜の夢を思い返す。
あれは、以前住んでいた家だった。
しかし、あの丸顔の少女は心当たりがない。
テレビでは、首都圏の街中に出没したタヌキについて報じていた。
夜、夕食をつくる。
カレーは飽きたけど、余っているから食べないといけない。カレーうどんにしよう。
マコトは近所のコンビニへいって、うどんの麺を買ってきた。お母さんの分もつくっておこうと、二玉買ってきた。
これをそのままカレーに入れて茹でればいいんだよね。
そして、完成したのはベチャっとしたなにか別の食べ物だった。
麺を入れて茹でるだけだと思ったのに。
つくった以上は食べるしかない。
マコトはカレーうどんもどきをモソモソと食べた。
お母さんの分もつくってしまった。気を利かせたつもりだったけど、逆に悪いことをしてしまったかもしれない。
夕食後は、やることがないので、さっさとお風呂に入った。
お風呂から上がると、お母さんが帰ってきていた。
「卒業おめでとう。マコト。あと、晩ご飯ありがとね」
お母さんは小さなケーキを買ってきてくれていた。ちょっと嬉しかった。
でも「ありがとね」はお世辞だということはわかった。
それから、布団を敷いて眠りについた。
明日からは春休み。学校へいかなくていいのは、少し、いや、かなり気楽だった。
まただ。
また、マコトは大きな家のダイニングにいた。
夢に中で夢だということに気付いていた。
「こんにちは。また来ちゃた」
マコトは椅子に座っていて、テーブルをはさんだ正面には、あの丸顔の女の子が座っていた。
「あなたは、誰?」
マコトは尋ねる。
「私はユリ。中村ユリっていいマス。化けタヌキなの」
少女――ユリはそういって、コロコロと笑顔を浮かべた。
「化け……タヌキ?」
マコトは一瞬ユリから目をそらし、また目をむけた。
ユリの頭には、丸くて黒い耳が生えていた。
なんで、と思ったがここは夢の中だった。
「私ね、昨日卒業式だったの。小学校の。それで暇になったから、前から試してみたかった呪術を使ってみたの。どこかの誰かの夢に入り込める術。そしたら偶然、あなたと波長が合ったからここに来たんだ」
ユリは楽しそうにコロコロと笑った。
「卒業式……同い年なんだ」
マコトはつぶやくようにいった。その途端、ユリの丸い耳がピクリと動いた。
「そっか。卒業おめでとぅ」
ユリはテーブルに肘をつき、腕に頭をのせた。
「うん。ありがと」
マコトはそっけなくこたえる。それを聞いたユリは不思議そうな表情を浮かべる。
「浮かないね。なにかあったのかな?」
「学校に馴染めてなかったから」
マコトは目線をそらしながら、短くこたえた。
二人の間に、沈黙が流れる。
「ここは、あなたの家?」
先に沈黙に耐えられなくなったのは、ユリの方だった。
マコトは周囲を見渡す。そうだ、ここはマコトが前に暮らしていた家。間違いない。
「前に暮らしていた家。今は、別のとこに引っ越して……」
そこまでいって、ここが夢の中だと思い出した。
見た目も、匂いも、全て懐かしく、愛おしい。
一滴、涙が零れ落ちた。
ユリは立ち上がると、マコトの後ろに立ち、そっと抱きしめる。
「望まないお引越しだったんだね。ねぇ、あなたの名前は?」
まるで、心を直接あっためてもらっているような気分で、とても心地よい気分になった。
「マコト……志度マコト」
「辛いなら、話してみて。大丈夫。ここは夢の中だから、ためらうことなんてないよ」
耳元で囁くようにユリはいった。
そうだ。ここは夢の中。どんな秘密を打ち明けても、誰に聞かれるというものではない。
「私は……私は」
マコトが話し始めると、ユリは「夜は長い。ゆっくり聞くからね」といった。
「お父さんが交通事故で死んで、お父さんの親戚だってヒトたちがいっぱい来て、お金になりそうなものを全部持っていった。それで、一か月前、私とお母さんは今の場所に引っ越してきた。卒業式の一ヶ月前だよ! それでクラスに馴染むなんて、できるわけないじゃない!」
マコトは思わず叫んだ。そして、一気に冷静になる。
「ごめん。叫んじゃった」
「いいよ。叫んでも、わめいても、わがままをいってもいいんだよ。だって、ここはマコトの夢の中だもん。今まで、辛かったんだね」
ユリは優しくいった。
目覚まし時計の音。マコトは目を覚ました。
時間はお昼前。
随分と、ゆっくり眠っていた。
お母さんはもう、仕事にいった後だった。
夢を思い出す。
泣いてわめいて、我ながら情けない。
だけど、すっきりとした穏やかな気分だった。
――また、ユリに会いたいな。
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