第9話 若桜町へやって来た」というお話 後編

 ポンはゆっくりと店に入る。

 カウンターテーブルの内側に、作務衣を着た少女がいた。この店の店員らしい。

「いらっしゃいませ」

 少女は笑みを浮かべた。その左頬には、大きな火傷の痕があった。

 一瞬、ポンはその火傷の痕を不気味に感じたが、表情に現れないようにした。

 ポンは店内を見回す。

 古風な店内だが、不潔感はない。よく掃除されているようだ。

 一ヶ所、木製の床に大きく焦げた跡のようなものがある。いったいなにをすればああなるのだろうか。

 席はカウンターとテーブルがある。ポンはカウンター席に座った。その横に、ミチヨ、サナが座る。

「はじめまして。八重垣コンです。ここで、料理つくってます」

 火傷の少女、コンはまた優しい表情を浮かべた。

 ふと、ポンの中に疑問が浮かんだ。しかしそれをコンにぶつけるか迷い、視線を泳がせる。

「どしたん?」

 コンの方から、尋ねてきた。

「コンさんも、やっぱりキツネなんですか? コンって名前だし」

 すると、コンはコロコロと笑いはじめた。

「私は人間。ううん。元人間やな。今は幽霊」

 幽霊。死んでしまった者。ポンの表情が曇る。

「幽霊って……死んじゃったってことですか?」

 ポンの脳裏に、自分の父親の顔が浮かんだ。顔を知らない妹の顔も。


 大きな家。

 お父さんがいて、お母さんがいて、妹がいて。


 どこかに出かけていたお母さん。

 仕事かな、と思ったら随分やつれて帰ってきて。

「あのね、お母さん、今日ね……」


 思い出すと、胸が締め付けられ、そして、涙がこぼれてくる。

「……ごめん、なさい。いろいろ、思い出しちゃって」

 泣いてる場合じゃない。

 これからお世話になるのだから、しっかり挨拶しなければいけない。

 そう思っても、次から次へと涙があふれてくる。

「私は、ポンちゃんのことよう知らんから、今、慰めてあげられへん。だらか、これからいろいろ教えて」

 コンの声は、優しかった。

 どうして、どうして、みんな優しのだろう。

 ミチヨも、コンも、ウカも、ユリだって魂替えをしたけど、きっとなにか考えがあってのことで、悪意があったわけじゃない。ユリの声と口調。きっとそうだと思える。

 みんな、ポンのことを考えてくれている。

 なのに、どうしてお父さんは死ななければならなかったのだろう。

 どうして、妹とお別れしなければいけなかったのだろう。

 考えてもどうしようもないことはわかっている。

 なのに、頭の中で『どうして』がグルグルと回り続ける。


 気が付くとポンはカウンターテーブルに伏せて寝ていた。

 泣き疲れて眠ってしまっていたみたいだ。まるで、ちっちゃな子供みたいに。

 昔から、泣き虫の自覚はあった。

 そんな自分が、イヤになる。

 目元をこすり、周囲を見渡す。

 和食店の店内。

 窓からは、オレンジ色の夕日が差し込んでいる。

 いくつか席をはさんだ先に、サナが座っていた。彼女は何やらスケッチブックを広げ、絵を描いているようだった。なにを描いているのかは、

 少し体を動かすと、なにかが床に落ちた。毛布だった。誰かが、かけてくれていたのだ。

「おはよう」

 コンは毛布を拾い上げると、やわらかい口調でいった。

「……ごめんなさい。急に泣いて、そのまま寝ちゃうなんて」

「そろそろ、お店閉めて家帰ろか」

 コンは毛布をたたみながらいった。

「ここに、住んでいるんじゃないんですか?」

 ポンは尋ねる。

「ううん。サナちゃんの家が別にあんねん。このお店も二階に部屋があって、私も前はそっちで暮らしててんけど、今はサナちゃんの家で暮らしてる。ポンちゃんも、そっちで暮らしてもらう予定なんやけどいいかな?」

 ポンは無言でうなずいた。


 夕日が差し込む町を歩く。

 昔ながらの建物が並ぶ。

「コンさんって、ほんとうに幽霊なんですか?」

 歩きながら、ポンは尋ねる。

「うん、そやで」

 コンはそう答えたが、その見た目は、生きている人間となんら変わりがない。

「ほら」

 コンは太陽に手のひらをかざした。微かに透けて、夕日が見える。

 ポンは気が付いた。

 今、足元に伸びる影はポンとサナの二つだけだ。

 サナが解説をはさむ。

「ポンは、今は化けタヌキの体だから、コンが見えているんだ。大半の人間にはその姿は見えていないし、声も聞こえない。お店とか、家とかの結界が張られた場所以外では、周りのものに触れることもできない」

 コンは夕日に手をかざしたまま、ゆっくりといった。

「ポンちゃんって、いくつやっけ?」

「えっと……元の体は、十二歳。もうすぐ中学生です」

「じゃあ、年近いな。私が死んだのは、十三歳の誕生日のすぐ後やったから」

 コンはゆっくりと、ポンに視線をむける。

「これから、よろしくな。私のこと、呼び捨てで呼んでくれたら嬉しいな」

 コンはどこか嬉しそうだった。その理由が、ポンにはわからなかった。


 やがて、広い庭を持つ、古く大きな家が見えてきた。

「あれが、私とコンの家だ」

 サナがいった。

 家の玄関の前に、一人の女性が立っていた。

「ただいま、お母さん」

 サナがいった。このヒトがサナの母親らしい。

「おかえり。サナ、コンちゃん。それから、いらっしゃい、ポンちゃん」

 母はそういった。


 母に案内されたのは、六畳の和室だった。

「ここ、自分の部屋だと思って好きに使ってね」

 母はそういった。

「ありがとう……ございます」

 前に住んでいたアパート。それと同じ広さの部屋が、自分用に割り当てられたということになる。

 そこでポンは思い出す。

「そういえば、栗駒さんは」

「ああ。ミチヨは、あなたが寝ちゃったすぐ後に京都に帰ったわ。いろいろ仕事があるんだって。私としても会えて嬉しい相手だから、一泊していけばっていったのにね」

 母は本当に残念そうにいった。

「じゃあ、ゆっくりしてて」

 母はそういって出ていった。

 残されたポンは部屋を見渡す。あるのは、布団と、机と、椅子だけ。

 アパートはせまく感じたのに、ここは広く感じる。

「あ、ちょっといい?」

 そのとき、コンがやって来た。

「あ、コンさん……じゃなくてコン。大丈夫」

 ポンが答えると、コンは手に持っていたそれを見せた。

 それは、お皿。その上には、パンパンに膨らんだ三角形の油揚げが二つ。

「これ、稲荷寿司?」

 ポンが尋ねると、コンは首を横に振る。

「ううん。『いただき』っていう鳥取の郷土料理。お稲荷さんは味をつけたお揚げさんに具を詰めるんやけど、これは具を詰めてから炊くねん。ポンちゃん来るし思ってお昼につくってたんやけど寝てたから。お腹、空いてんのちゃう?」

 いわれてはじめて、ポンは自分の空腹に気付いた。昼ご飯を食べていなかったから。

 自覚した途端、グルルとお腹が音を立てる。

「ありがとう。でも、二つは多いから、一つでいい。一緒に食べよ」

 ポン……いや、マコトの母親は働いていた。だから、ご飯は一人で食べることが多かった。美味しいも、不味いも、誰とも共有できなかった。

「うん。じゃあ、一個貰うな」

 ポンとコンは畳の上に座り『いただき』を食べる。

 一口食べる。

 口の中でやわらかい油揚げの袋が破れ、詰まっていた米と、ニンジン、ゴボウが甘辛い出汁の波に乗って溢れ出てくる。

「……美味しい」

 ゆっくりと味わって食べるつもりだったのに、ガツガツと一気にたいらげてしまった。

「これ、コンがつくったの?」

「うん、そやで」

 いつも、仕事でクタクタになって、アパートに帰ってくるお母さん。せめて、お母さんに美味しいものを食べてほしい。

 だけど、ポンは料理が苦手だ。ずっとやってこなかったから。

 だから。

 ポンは身を乗り出し、いった。

「コン。私に料理、教えて!」

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