第6話 善意の一環の話 前編
朝。
ユリは目を覚ました。
上体をおこして周囲を見回す。
六畳一間のアパート。
無理やり押し込んだように家財道具が置かれていて、その中のかろうじてつくられた場所に布団が二つ並べて敷いてあった。
片方の布団はさっきまでユリが寝ていた布団。
もう一つは、さっきまで誰かが使っていた痕跡があるが、今はだれもいない。
ユリは確かめるように自分の体を触る。
「よし。上手くいった」
ユリの体。それは、昨日まで志度マコトと呼ばれていた少女のそれだった。ユリが行った『魂替えの術』により、マコトと入れ替わったのだ。
もう一度、周囲を見まわす。
どうも、視界がぼやけてはっきりしない。
何度か目をこすってみたが、改善しない。
そういえば、夢で会ったマコトは眼鏡をかけていた。
慎重に周囲を探ると、枕元に赤い眼鏡が置かれていた。
ユリは前の体だとすこぶる視力がよかった。
「眼鏡でよかった。コンタクトはちょっと怖い」
ユリはそういいながら、眼鏡をかける。
すこし異物感があったが、すぐに慣れるだろうと気にしないことにした。
はっきりと見えるようになった視界に、壁にかけられた制服が見えた。
マコトがいっていた。
私立学校に進学する予定だったが、急な引っ越しで着たかった制服を着られなくなったと。
近付いて、校章を見てみるとこの地域の公立中学校のものだった。
「これもこれで可愛いと思うけどなぁ」
続いて部屋の隅に、雑に畳まれた服が積まれていた。どうやらマコト私服らしい。
ユリは着替える。「普通に一人で着替えできるし」とつぶやきながら。
黄色いノースリーブのタンクトップに、デニム生地のホットパンツ。上からカーディガンを羽織る。
「なんか、恥ずかしいな。マコトこんなん着てるんだ」
ホットパンツのポケットに財布というか小銭入れと、玄関のものと思われる鍵が入っていた。
とりあえず、空腹を感じたので台所をあさると袋に入った食パンがあった。
ユリは栄養価をじっと見る。
「もちょっと聞いとけばよかった」
袋から一枚取り出すと、小さく一口食べた。
それからしばらく、様子を見るようにじっと動かない。
「とりあえず、小麦と牛乳は大丈夫か。そういえば卵を料理したっていってたから、それも大丈夫か」
ユリは呟くと、残りを全て食べた。
食パンは、フワリとした食感がやや失われ、味も若干落ちている。
「こんな味でも食パンなんだ」
袋を見返すと『お勤め品』のシールが貼られていた。
「おつとめ品ってなんだろ」
ユリは言葉の意味を調べるため、ポケットからスマートフォンを取り出そうとした。そして、無いということを思い出す。今のユリはマコトだから。
それから、家のいろいろな場所を探り、マコトがどのような生活を送っていたか、情報を集めた。
あっという間に時間は流れ、昼食時となる。
「お腹すいた」
冷蔵庫の中に、卵とひなびたキャベツ。それからタッパーに入った冷やご飯。
ユリはそれを食べることにした。
キャベツを千切りにする。誰が見ても包丁を扱いなれていないことがわかる手つきで、千切りのつもりだったがざく切りになってしまった。
次に卵焼きをつくろうと思ったが、割り方がわからない。
なんとか記憶をたよりに見よう見まねで割ってみたが、卵は着地点として定めていたはずのボウルを大きく外れ、床に落ちる。ついでに、殻の大部分も床に落ちる。
ユリは
結局、卵はあきらめ、冷やご飯とざく切りキャベツで昼食にした。
箸が折れるんじゃないかと思うくらい固くなった冷やご飯をモソモソと食べる。
「……まずい」
ドレッシングが見つからなかったので、塩を振って食べる。ひなびている。
「…………まずい」
ユリは時間をかけて、空腹を満たす意外の意味を一切持たない食事を終えた。
「マコト、お母様にご飯をつくるっていってたっけ」
ユリは天井を見上げて、つぶやく。
こんなものをマコトのお母さんに食べさせるのは申し訳ない。
食事と後片付けが終わると、ユリは小銭入れの中を見た。
入っているのは千円ちょっと。
「ごめん、マコト。私のお小遣い好きに使っていいから」
鍵と小銭入れだけを持って部屋を出た。
外に出て、住宅街を歩く。
電信柱に書かれた住所を見ると、京都市内だった。
ユリも、元々は市内の出身だが、ここからは随分距離がある。
「ふーん。マコトはこんなところに住んでたんだ。このへん、あんまり来たことなかったなぁ」
ユリは周囲をキョロキョロと見ながら歩く。
やがて、本屋の前にたどり着いた。
チェーン店ではなく、個人経営の本屋だ。店名は『武田書店』に
ユリは店内に入る。
本棚が並ぶものの、明るく、開放感のある店内。
しかし、客はユリだけだった。
ユリは並ぶ背表紙を目で追いながら店の奥へと進んでいく。
そして、見つけた。
料理のレシピ本だ。
何冊か立ち読みをして、比較的簡単そうなものを二冊選び会計へ。
レジのところに座っていたのは、ユリよりちょっとだけ年上、中学生か高校生か迷うくらいの少女だった。
少女はレジスターの機械は使わず、慣れた手つきで電卓をたたいて値段を出した。
合計2640円(税込み)
ユリは、小銭入れの中身を見る。
千円ちょっと。
中身を全て手に出して数えてみる。
1132円。
ユリはその場で固まってしまった。
店員の少女は立ち上がり、ユリの手の中を覗き込む。
「それだけしか持ってへんの?」
ユリはうなずく。
少女は順に本の値段を確認する。
「ごめんやけど、そのお金で買える本はないわ。一冊1200円やから」
「……そうですか。ごめんなさい。棚に戻してきます」
ユリは今まで、物の値段を確かめて買う、ということをやったことがなかった。
少女はユリの悲しそうな顔を見て、そして。
「誰かにお料理つくったげんの?」
と、声をかけた。
ユリは小さくうなずく。
「マコトの……私のお母様に、ご飯をつくってあげたくて」
少女は静かに考え込む。そして。
「しょうがなないなぁ。今回だけやし。出せる分、全部出して」
ユリはお金を全て少女に渡した。
「このこと、絶対に秘密やで。みんなに同じことしたら私、破産しちゃんやから」
少女は自分の財布を取り出すと、不足分の1508円をレジに入れた。
それから、二冊の料理本を袋に入れてユリにわたす。
「いいの?」
「うん。わからないところがあったら、訊きにおいで。私、料理得意やから」
少女は優しくいった。
「ありがとうございます。このご恩は、一生忘れません」
ユリは深々と頭を下げると、本の入った袋を抱えて店を飛び出した。
客が誰もいなくなった店内。
少女はつぶやく。
「これでいいよね。コンちゃん」
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