第7話 善意の一環の話 後編

 ユリはアパートに戻ると、さっそく買ってきた本を開く。

 いろいろなレシピを見て『キャベツの煮びたし』をつくってみることにした。キャベツと油揚げを煮るだけなので簡単そうだ。

 しかし。

「ざく切りってなに?」

「油ぬきって、なに?」

「小さじってどのくらい?」

 一つの手順ごとに手は止まり、首を傾げる。

 それでもなんとか、それらしいものは完成した。


 続いて、米を炊く。

 これは簡単だ。炊飯器もある。家庭科の授業でもやった。

 キッチンの隅の大きな袋に米と軽量カップが入っていた。

 計量カップで計り、二合の米をザルに入れて研ぐ。

 それから、炊飯器に米と水をいれる。

 水は炊飯器の釜の内側に目盛が引いてあり、それを使って量を計ればいいというわけだ。

 だが、そこで手が止まった。

 目盛は白米用、炊込みご飯用、などいくつもあるのだ。

 ユリはしばらく考える。

「えっと、お粥じゃないし、炊込みご飯でもないし、玄米……かな? うん、玄米ってよく聞く言葉だし、普通のお米のことだよね」

 玄米二合の目盛に合わせて水を入れた。

 あとは、スイッチを入れるだけ。


 二十時くらいに、マコトの母が帰ってきた。

「ただいま。今日は、はやく帰れた」

 母はそういって、はにかむように笑った。そして六畳の真ん中に置かれた、足のたためるテーブルに目をむける。

 ユリがつくった、精一杯つくった料理だ。

「これ、マコトがつくってくれたの?」

「うん。おばさ……お母さんに喜んでほしくて」

 母は、そっとユリを抱きしめた。

「とっても美味しそうだよ。ありがとう」

 そこで、母はなにかに気付く。

「マコト、シャンプー替えた? ちょっと匂いが違う気がするけど」

「へ、そのままだけど……」

 ユリは自分の手の匂いを嗅ぐ。微かに醤油の匂いがする。

「まあいいや。食べましょうか。お腹すいたでしょ」

 母はそういいながら畳に座る。ユリもそれに続いた。


 料理はどれもこれも、あまり美味しいとはいえなかった。最も自信のあった白米でさえ、お粥のようにベチョベチョだった。

「あんまり、美味しくないね。ごめんなさい」

 ユリは力なくいった。

「ううん。マコトがつくってくれた。それだけで美味しいよ」

 母はキッチンに目をむける。二冊の料理本が積まれていた。

「あの本、マコトが買ったの?」

 ユリはうなずく。

 母は、箸を置くとまっすぐな視線をユリにむけた。

「高かったでしょ? お小遣い、使ったの?」

 これも、ユリはうなずく。

「よかったの? 小銭入れに貯めてたのに。全部使っちゃたんじゃない?」

「貯めてた?」

 ユリは思わず聞き返した。

「あれ、違った? 精一杯お洒落するんだって、頑張ってたじゃない」

 ユリは少し間をおいて「うん。でも、いいの」と小さな声でいった。

「ごめんね。もっとお小遣い増やせるように、お母さん頑張るから」

 母は申し訳なさそうにいった。


 布団を二つ、並べて敷いて、ユリと母は横になる。

 母はすぐに眠りについた。疲れていたようだ。

 一方でユリは眠れずに天井を見つめていた。

 元のタヌキの体だと、天井の木目を数えることもできただろうが、今はただ真っ暗闇しか見えない。

「あれ、マコトの大事なお金だったんだ」

 小銭入れに入っていた千円ちょっと。

 マコトにとってはコツコツ貯めた大事なお金。

 ユリは、それを全部使ってしまった。

 はじめから、多少の罪悪感はあった。

 だけど、マコトのささやかな夢が詰まった全財産だとは思わなかった。

 毎月貰っているお小遣いのほんの一部だとしか思わなかった。

 きっとどこか別に、財布か貯金箱があると思っていた。

 それが、ユリが培ってきた金銭感覚だった。

「マコト。必ず、返すから」

 天井にむかってつぶやいた。


 次の日、昼下がりにユリはアパートを出た。

 キョロキョロと周囲を見ながら歩く。

 やがて、コンビニの前に差し掛かった。ドアに『アルバイト募集 学生可』の張り紙がある。

 ユリは嬉しそうな表情で店内に入る。

 そして、悲しそうな表情で出てきた。

「学生可でも、中学生はダメなんだ」

 力なくつぶやく。

 それから街を歩きながら『アルバイト募集』のポスターが張ってある店や建物に入ってみるが、いずれも年齢を告げると話しにならないとばかりに追い出された。

 ユリは大きなため息をついた。

「どしたん? バイトでも探してんの?」

 そこに、声をかけてきたヒトがいた。

「あなたは……」

 それは、昨日、本屋で会った少女だった。

「よっ。ご飯、上手につくれた?」

 少女は軽い調子で声をかけた。


 近くの公園でブランコに並んで座り、ユリは大方の事情を少女に話した。

「なるほどね。つまり、昨日のあのお金、お友達のお小遣いだったわけやね」

 ユリはうなずく。

「知らなかったとはいえ、勝手に使っちゃって、なんとか返したいんですし。でも、お母さんに美味しご飯もつくってあげたいから、本を返品するのも嫌で」

「お小遣いを貯めて返すっていうのはダメなん?」

「はい。その……いろいろあって、それじゃダメなんです」

 現在、ユリはマコトになっている。母からもらうお小遣いはユリのものではなく、マコトのものだ。

「それでバイトを探してたんか」

 ユリはうなずく。

「でも、高校生以上じゃないと駄目って」

「まあ、そうやろなぁ。っていうか、あなた何歳なん?」

「十二です。今度から中学生」

「名前は?」

「中……志度マコトです」

 少女はちょっと考える。

「マコトちゃん、よかったらうちの本屋で働かへん? バイトは無理やけど、お手伝いってことなら、なんとかなるかもしれん」

 ユリは思わず立ち上がり、少女につめ寄る。

「いいんですか!」

「まあ、お父さんとお母さんに訊いてみんとあかんけど、ホンマに困ってるんやったら助けてくれるはずやで」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げるユリに、少女は笑顔をむける。

「私、武田タマキ。今度から中学三年生。よろしくな」

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