第5話 タヌキになった話 その3

 ミチヨに支えられながら物陰に移動して、しばらく休憩すると息苦しさは徐々に収まった。

「ごめんなさい。もう、大丈夫です」

 マコトはゆっくりと立ち上がる。

「どうしたのですか? 大丈夫ですか?」

 ミチヨは心配そうにマコトを見つめる。

「名前をいおうとしたら、急に息苦しくなって……」

 そこで、マコトは気が付いた。

「ユリはいってたんです。名前をいったら魔法が解けてしまうと。もしかしたら、私に名前をいわせない為に、なにか呪いみたいなものをかけたんじゃ……」

 ミチヨは少し考える。

「特定の内容をしゃべろうとすれば体調を崩す、ですか。あまり聞いたことがありませんが、そういう術があっても不思議ではないですね」

 それからミチヨはぶつぶつとしばらく独り言をつぶやき、考えに浸る。

 そして。

「そうですね。確かなことはわかりませんが、可能性がある以上、お名前は口になさらない方がいいかもしれませんね。万に一つ、命を奪う類いの術だった場合、取り返しのつかないことになりますから」

 マコトはうなずいた。


 もう少しマコトが回復するのを待って、電車に乗った。

 いくつか進んだ先、伏見稲荷駅だった。

 そこで降りて、数分歩き、見えてきたのは千本鳥居で有名な大社の姿だった。

「はじめて来た……」

 マコトはおもわずつぶやいた。

「ここが、私たち稲荷のキツネの本部です」

 ミチヨは少し得意げだった。


 社務所の休憩室。

 やや狭苦しい空間に、脚がたためる机やパイプ椅子、冷蔵庫などがある。

「ユリさんというタヌキについて調べてみますので、少しお待ちください」

 この部屋に案内してくれたミチヨがそういって部屋を出ていったのは一時間ほど前だ。

 何度か巫女さんがやってきては、なにかの用事を済ませて出ていった。

 さすがに時間を持て余す。

 マコトはぼんやりと窓の外を見る。

 夕日が差し込む境内に、観光客がいきかう。

 大きなため息が出た。

 そのときだ。ドアが開き、一人の少女が入ってきた。

 外見は高校生くらい。染めたとわかる金髪に、派手な化粧。各爪には丁寧にネイルアートが施されている。

 簡単にいえばギャルっぽい格好だ。

 神社で働くヒト、というイメージからは程遠い外見だが、休憩室に来たということは、このヒトも巫女さんかなにかなのだろうか。

 考えるマコトをよそに、少女はテーブルをはさんだ正面の席に座る。

 マコトは元の体のときは髪を染めて、丁度この目の前の少女のような恰好を目指していた。

「あ~、つかれぇたぁ~」

 少女はそういいながらテーブルの上に頭を伏せる。

 地毛ではなく、染めたとわかる金髪。

 しかし、どんな手入れをすればこうなるのかというほど艶があり、まるで光り輝いているように見える。

 まるで、黄金の稲穂のようだった。

「ん? どうかした?」

 少女は顔をあげる。

 マコトは思わず少女の髪にみとれていた。

「あ、あの、ごめんなさい。綺麗に染めているだなって、思って」

「あなた、わかるの!」

 少女は身を乗り出すと、マコトの手を掴む。

「あ、えっと、はい。私も、前は髪染めてたので」

 勢いに押されながらもマコトは返事をする。

「聞いてよぉ。私ね、仕事柄いろいろなヒトの悩みを聞くからさぁ、ちょっとでもフレンドリーな雰囲気を出そうと思って、この格好をしてるんだけど、もちょっと神社の雰囲気を考えた格好をしてください、っていわれるのよ」

 マコトは思わず「あ、わかります」といって身を乗り出した。

「私も、学校で黒くしろってよくいわれてて、おかしくないですか? 生まれつき色の薄いヒトや、水泳やってて塩素で色が抜けたヒトが黒く染めるのはいいのに、私が金髪にするのはダメってなんでなんだろ」

 少女はうなずくと、立ち上がり、冷蔵庫の中をあさる。

「あなたとは気が合いそうだから、どっちかあげる」

 取り出したのは、『きのこの共和国』と『たけのこの帝国』というチョコレート菓子だった。

「えっと、じゃあタケノコで」

「両方開けて二人で食べよ」

 マコトの言葉を聞かず、少女は両方を開封すると、テーブルの中央に置く。そしてすかさずタケノコを一つ指でつまみ、口に放り込んだ。

 マコトもタケノコを口に入れる。

 サクサクとしたクッキー生地をチョコレートがコーティングしている。

「マコトちゃん。なりたい自分、捨てないでね」

 おもむろに少女がいった。とても優しい口調だった。

「私の名前……どうして……」

 驚くマコト。対して少女は優しい笑みでこう続けた。

「山に登るとき、ずっと前ばかり見ているとね、いつまでも景色が変わり映えしなくて、いつまでこんなことをつづればいいんだ。永遠に頂上に着かないんじゃないかって、気分になってくる。でもね、そんなときに立ち止まって、振り返ってみるとね、自分が歩いてきた道が見えるの」

 少女はテーブルに両方の肘をつき、腕に顎をのせた。

「たまには立ち止まって振り返ってみることも大事だと思うな。もしかしたら、大事な落とし物に気付いていないかもしれないし」

 そのとき、ノックに続いて部屋の扉が開き、ミチヨが入ってきた。

「あれ? ウカ様こんなところにいらしたのですか。お菓子ばかり食べていると太りますよ」

 ミチヨは少女とテーブルの上のお菓子を見つけるといった。少女の名前は『ウカ』というらしい。

「このと楽しくガールズトークしてただけだもんっ」

 ウカは軽い調子で返した。

 ミチヨは小さな声で「まあ、いいや」といってから、視線をマコトにむける。

「ユリ様の家と連絡がとれまして、付き人だという方がいらっしゃっています。これから、今後のことについて話し合いをしたいと思うのですが、よろしいですか?」

 マコトは少し考えて、首を縦に振った。

「では、お呼びしてきますね」

 ミチヨは一旦、部屋を出ていくとすぐに男性と一緒に戻ってきた。

 それは、朝、マコトの服を脱がそうとしてきたあの男性だった。

 マコトは思わず身をこわばらせる。

「申し訳ございませんでした!」

 男性はマコトの横まで来ると、突然、土下座した。

「へ、あの、えっと……」

 戸惑うマコト。

 男性は床に額をこすりつけながら叫ぶ。

「私、毎朝お嬢様のお着換えのお手伝いをしておりましたもので、別の方とは知らず、お召し物を脱がしてしまおうとするとは、大変申し訳ございませんでした」

 そうか。ユリは毎朝、この男性に着替えさせてもらっていたのだ。別に変質者でもなんでもなかったのだ。

 そう思うと、朝、大騒ぎしてユリの家を飛び出したことが無性に恥ずかしくなってきた。

「も、もう、いいですから。頭をあげてください」

「本当に、申し訳ございませんでした!」

「ほ、本当にもういいですから。今の私がユリの体なのは間違いないので」

 マコトがいっても、男性は頭を上げる気配がない。

「とりあえず、今後のことを話しあいましょう。西条さん、顔をあげてください」

 ミチヨがいった。


 マコトとミチヨは並んで座り、テーブルをはさんだ正面に男性が座る。ウカは部屋の隅のパイプ椅子に移動した。

 それぞれの前に置かれた湯飲みからは、微かに湯気が上がっている。

「ご紹介しますね。こちら、ユリ様の付き人をなさっている西条シゲル様」

 ミチヨに紹介され、男性――シゲルは深々と頭を下げる。

「えっと、私は……」

 マコトは名前をいいかけて、さっき息苦しくなったことを思い出した。

「あ、大丈夫です。お名前を口に出せないという事情はうかがっていますので。ユリ様がご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」

 シゲルはマコトの言葉を遮りいった。

「それで、ユリ様が魂替たまかえをなさった理由、心当たりはありませんか?」

 ミチヨが尋ねるが、シゲルは首を横に振った。

「ユリお嬢様の付き人として大変オ恥ずかしながら、全く心当たりがないのです。昨日もお嬢様は普段となにもお変わりなく」

 部屋に、沈黙が流れる。

「そもそも、ユリってどういうヒトだったんですか? 私、夢で数回会っただけだから、ユリがすごいお嬢様ってこともしらなくて」

 沈黙を破ったのはマコトだった。

「私たち化けダヌキは現在、大きく東西二つの勢力に分かれています。その西側を取りまとめているのが中村家で、その時期当主がユリ様です」

「つまり、日本のタヌキの半分は、ユリの家来になるってことですか?」

 マコトの問いに、シゲルはうなずく。

「家来、と呼べるほどの強い主従関係ではありませんが、概ねその理解で間違いありません」

「お金持ちなんだとは思っていましたけど、ユリってそんなにすごかったんですね」

 マコトは少しだけ、ユリをうらやましく思った。

「あなた様にこれ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきませんし、私たちとしてもユリお嬢様を失うわけにはいきません。なにがなんでもお嬢様を見つけ出し、もう一度魂替たまかえを行います。なので、少しだけ、私たちに時間をいただけないでしょうか?」

 シゲルは座ったまま、深く頭を下げる。

 マコトには選択肢などない。自力で現状をどうにかできない以上、タヌキ達がどうにかしてくれるのを待つしかないのだ。

「よろしくおねがいします」

 マコトも、頭を下げた。

 シゲルはミチヨに視線をむける。

「ありがとうございます。それで、ユリ様を見つけるまでの間なのですが、おキツネ様のところで、この子をかくまっていただけないでしょうか?」

「理由をうかがってもよろしいですか? 預かるではなくかくまう、という部分も気になります」

 ミチヨは穏やかな口調でいった。

「ユリお嬢様は、呪術的な攻撃を頻繁にうけているのです。百鬼計画のタヌキ達に」

「百鬼計画?」

 ミチヨが聞き返すと、シゲルはうなずく。

「東の若いタヌキ達を中心にした勢力で、術を用いて妖怪の大行列をおこない、タヌキの恐怖を再び人間に知らしめるというものです」

「なんのためにそんなことを?」

 ミチヨはさらに尋ねる。

「古来、化けダヌキは呪術を用いて人間を化かし、恐れられる存在でした」

 どちらかといえば、タヌキが人間を化かした話は怪談より喜劇的なものが多いように感じたが、マコトはそれを口にしなかった。

「しかし近年は人間を化かしたところで、精神科の病院がにぎわうだけになってしまい、タヌキを恐れる者などいません。私たちは人間に化け、人間の中で暮らしていくことを選びました。かつて私たちが持っていた呪術も、今やほとんど失われました」

 シゲルは一度、言葉を切り、息を吸い直してから続きを話す。

「しかし彼らは、独自に失われた術を復活させ、再び人間を恐れさせる存在としてのタヌキを取り戻そうとしているのです。タヌキとして生れたにもかかわらず、人間として生きていくのは屈辱だと。化けタヌらしい生き方をまっとうすると」

 ミチヨがゆっくりと口を開く。

「令和狸合戦、ですか。くだらないですね。タヌキが人間を脅かすと知らしめたところで、狩られるのがオチですよ」

 マコトは昔見たアニメ映画を思い出した。人間に住みかを追われそうになったタヌキたちが、怪奇現象をおこして人間を追い出そうとする映画。

 シゲルはお茶を一口飲み、こういった。

「彼らの主張も全く理解できないわけではありません。我々は人間でなく、タヌキなのですから。しかし、その手段には賛同できませんし、ましてやお嬢様に危害をくわえようなど、言語道断」

 マコトはそっと手を上げる。

「あの、ちょっと疑問なんですけど、どうしてそのヒト達は、ユリを狙うんですか? そのヒト達にとって、タヌキは味方じゃないんですか?」

「ユリお嬢様が『百鬼計画』を認める発言をなされば、西のタヌキたちも多くが計画に加わるでしょうし、なにより彼らは『正義』を得ることとなります。その為に彼かは幾度となく、ユリお嬢様に接触してきたのです。あるときは甘い誘惑で、あるときは巧妙な罠で、またあるときは痛みと苦痛を与える方法で」

 シゲルはそこで一度、息を吐く。

「ユリお嬢様は幼い頃から呪術に興味を持たれ、独自に研究なさっていました。それが幸いして、自力で攻撃から身を守ってこられたのですが……」

魂替たまかえで、術からの防御が一切できなくなった」

 ミチヨが言葉を引き継ぐと、シゲルはうなずいた。

「今、百鬼計画の者たちがユリ様……ユリ様のお体に入られているこの方に迫った場合、完全な無防備となってしまうのです。なので、手を打たねばなりません。よもや、ユリお嬢様がおキツネ様に匿われているとは思わないでしょう」

 シゲルはテーブルに額が触れるほど、頭を下げた。

「お願いします。ユリお嬢様は必ず見つけ出します。もちろん、相応の謝礼もさせていただきます。なので、どうかお願いします」

 部屋に、沈黙が流れる。

「私は引き受けてもいいと思うよ。若桜町でかくまってもらおうよ。あそこなら、まず見つかることはないはずだし、万一のときでもある程度対応できるし」

 そういったのは、ずっと部屋の隅で様子を見守っていたウカだった。

「若桜町……ノノ様のところですか?」

 ミチヨが聞き返すと、ウカはうなずき立ち上がり、マコトの横に移動する。

「と、いうわけでしばらくの間、鳥取の田舎町で暮らしてほしいんだけどいいかな? 大丈夫。あなたのこと、必ず救ってあげるから」

 ウカはマコトの耳元でささやくようにいった。


「だから、私を信じて」


 その言葉は、心の深いところまでしみ込んでくるような不思議な感覚があった。

 マコトは、小さくうなずく。

「ありがとうございます。必ずや、早期にユリお嬢様を見つけてみせますので、それまでよろしくお願いします」

 シゲルは再び、深々と頭を下げた。

「お任せください。必ず、この子を守り抜きます」

 ミチヨもはっきりといった。

「ところでさァ、あなた、とかこの子、とかいう呼び方を続けるのも、アレだしさ、仮の名前をつけるべきだと思うんだけど、『ポン』がいいと思う。タヌキだし。ポンにしよ。ねっ」

 ウカはそういって、マコトの肩を叩く。

「いや、ウカ様。いくらなんでもそれは……」

 ミチヨが反論し、しばらく議論が続いたがウカは頑なに譲らず、結局マコトが了承したため、マコトは『中村ポン』という名前でこれからの日々をすごすことになった。


 ときは遡り、今朝のこと。

 京都の繁華街から外れた場所にある、六畳一間の小さなアパート。

 その一室に、布団が二つ並べて、窮屈そうに敷いてあった。

 一つは誰かが寝ていた痕跡があるが、現在は空。

 もう一つはには、金髪に染めた髪を持つ少女が寝ていた。

 少女はゆっくりと目を覚ますと、上体をおこし、周囲の様子をうかがう。

 そして、確かめるように自分の体を触る。

「大成功」

 不敵な笑みを浮かべた。

 少女は、昨日までは『志度マコト』と呼ばれていたそのヒトだった。

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