最終話 人間とタヌキの話

 病院の建物を、朝日が照らす。

 マコトの母は目を覚ました。

 顔を動かし、周囲の様子をうかがう。

 ベットの横では、金髪の少女がお互いに寄り添うように眠っていた。

「マコト……ユリちゃん?」

 母は弱々しく声をかける。

 しかし、その声に反応して少女は目を覚ました。

「おはよう。お母さん」

 その途端、母の表情がフッと和らいだ。

「おかえり。マコト」

「ただいま。お母さんっ!」

 マコトは母に抱き着いた。


 数日後。

 ユリは真っ暗な場所にいた。

「ここは、どこ?」

 周囲はなに一つ見えない闇。そこに、ユリの声だけが響く。

 そのとき、空間いっぱいに声が響く。

『……めろ。認めろ』

 ユリの表情が恐怖に引きつる。

 暗闇の中から、真っ白い手が無数に伸びてくる。

「や、やめて。来ないで」

 ユリは逃げようとするが、体が動かない。

『認めろ。認めろ』

 腕はヌルリとユリの手に、足に、腹に、まとわりつく。

 やがて、腕はユリの服を、皮膚を突き破り腹に潜り込む。

「やめて! 私の中に入らないで! 私を操ろうとしないで!」

 ユリの声を無視して、腕はユリの体に入り込む。

『認めろ。認めろ。我らを認めろ』

「認め……認めない。アンタらがやろうとしている事、絶対に化けダヌキの未来にはつながらない!」

 苦悶の表情を浮かべながら、ユリは叫んだ。


 京都の街はずれ。

 いったい合計で何坪の広さなのか、考えるのも馬鹿らしくなるような豪邸。

 十二畳の和室。

 勉強机や箪笥、そして本棚などが置かれている。どれもいかにも高級そうな大柄の家具だった。それでも、部屋は広々とした印象だ。

 ユリはその真ん中に一つ、敷かれた布団の上でユリは目を覚ました。いつも通りの浴衣姿だ。

 上体をおこして、周囲を見渡す。大きく息を吸う。

「……私の匂いがする」

 全部、夢だった。そう悟った。

 全身、汗でびっしょりだった。

「おはようございます。ご気分はいかがですか?」

 そのとき、一人の男性がやってきた。世話係のシゲルだ。その手にはユリの服が抱えられている。

「最悪よ。戻ってきた途端、百鬼計画の奴ら、攻撃を仕掛けてきた」

 吐き捨てるようにユリはいった。

 百鬼計画。それは、化けダヌキがその呪術によって人間を恐がらせることで、人間より上位の地位を得ようという思想を持つ一団である。化けダヌキの中ではかなり上位の地位にあるユリに、自分たちの正当性を認めるよう攻撃を仕掛けてくるのだ。

 例えば、さっきの夢のように。

「お着替え、もう少し後にしましょうか?」

 シゲルは尋ねるが、ユリは首を横に振った。

「汗が気持ち悪いわ。今、着替える」

 ユリは立ち上がり、浴衣の帯をほどきかけ、手を止めた。

「ねえ、シゲル。ちょっと訊きたいんだけど」

「なんですか? ユリ様」

「私が魂替えをした後、どうしてマコトに私の体のこと、伝えなかったの?」

「体?」

「アレルギーのこと。あなただって知ってるでしょ?」

 ほどけた帯、畳の上に落ちる。

「シゲル。あなたのこと、優秀だと思ってる。私が蕎麦に近付くことがないように、細かいとこまで気にかけてくれている。私が外食するときは、同じ厨房で蕎麦を茹でることがないか、事前に調べてくれるくらい。だから。だからこそ、気になってしまうの」

「何を、おっしゃりたいのですか?」

 ユリとシゲル。二人は同時に動きを止める。

「どうして、私の体を得たマコトに、アレルギーのこと伝えなかったの?」

 沈黙。

 シゲルが口を開かないと悟ったユリは、さらに尋ねる。

「私は二つの可能性を考えている。一つは、あなたが純粋にうっかりしていたという可能性。もう一つは、意図的に黙っていた可能性」

「お嬢様。仮に後者だったとして、なんのメリットが?」

「本物の私がいつまでも見つからなければ、マコトが私として暮らす可能性もあった。そうなれば、やりやすかったでしょうね。タヌキのことを何も知らないマコトは、あなたの言う通りに動いたでしょうから」

「またまた御冗談を。さ、着替えましょう」

 シゲルは誤魔化すように笑顔を浮かべる。


 昼過ぎに客人があった。

 稲荷の呪術師範長、栗駒ミチヨだった。

 和室の客間。縁側から春の終わりの風が吹き込む。

 むかい合って座るユリとミチヨ。シゲルも部屋の隅に建っている。

「元に戻られてから、体に違和感はありませんか?」

 ミチヨは優しい口調で尋ねた。

「はい。なんともないです。来週からは、学校に通うことになってます」

「そうですか。マコトさんとはお会いになられました?」

 ユリは首を横に振る。

「友達として会いたいけど、会ったらまたマコトになりたくなっちゃいそうで。街を歩いてて偶然会えないかな? なんて都合のいいこと考えちゃってます」

 ミチヨは微かに笑みを浮かべ、お茶を一口飲んだ。そして、真剣な表情になる。

「さて、それでですね。今日、こちらに来させていただいたのは、ユリさん、あなたの助けになればと思いまして」

「私の……助け?」

 ミチヨはうなずく。

「はい。ユリさんは、呪術による精神攻撃を受けている。あなたを政治的に利用しようとするタヌキから。それで間違いないですか?」

 ユリはうなずくと、腹部をなでた。

「今朝も、内臓をこねくり回される夢を見せられた。まだ感覚が残ってる」

 ミチヨは小さくうなずく。

「精神に干渉できるということは、攻撃を仕掛けてきた者と、ユリさんの間に魂の繋がりができているということです。その道を使い、逆に相手に攻撃できるんです」

「そんなことが出来るんですか?」

「私は稲荷の呪術師範長ですよ。そのくらい出来ますよ」

 ユリは少し考え、ゆっくりと言った。

「じゃあ、お願いします。あいつらには、きっちり復讐をしてやりたい」

 そこで、ずっと黙っていたシゲルが口を開く。

「待ってください。なんでそんなことを!」

 ユリはゆっくりと、シゲルに顔をむけた。

「どうして? なぜ、反撃したら困るの?」

 ユリの表情はとても悲しそうだった。

「あ、あの……それは……。復讐なんて、ユ、ユリ様には似合いません。恨みを忘れて、静かに暮らすべきです」

 シゲルは明らかに動揺していた。

 ユリは落胆の表情を浮かべ、静かに言う。

「西条シゲル。この部屋を出なさい。命令よ」

「ユリ様!」

「命令!」

 シゲルは小さく「はい」と言うと、縁側に出ていった。

「いいんですか? ユリさん」

 ミチヨはそっとユリの手を取る。

「私、学校の男子たちに着替え見られるのは絶対に嫌だし、お父様にだって見られたくない。でも、シゲルには毎日着替えを手伝ってもらってた。最近はちょっと恥ずかしいかなって、思わなくはないけど、二人っきりになれるあの時間を気に入ってた。そのくらい好きだった。でも、シゲルは私を探してくれなかった。私になったマコトを利用することを考えていた」

 ユリはミチヨに笑顔をむけた。

「じゃあ、お願いします」

「はい」

 ミチヨの手が微かに光る。

 そして、縁側の方からパァンという鋭い破裂音がした。

 ユリとミチヨが様子を見に行くと、一匹のタヌキが倒れていた。

 全身の毛がチリチリになっていて、煙が出ていた。毛が焼ける臭いが充満していた。

「やっぱり、シゲルだったんだ」

 ユリは片手でタヌキの首根っこを掴み持ち上げる。

「シゲル。起きなさい」

 ユリが声をかけると、タネキはゆっくりと目を開いた。気を失っていただけのようだ。

「お、お嬢様。あ、あの、これは」

 バタバタと暴れるが、ユリは離さない。

「わかんないだろうけど、あなた達が私にやってきたこと、本当に痛かったし、苦しかった。なんども泣いていたの、あなただって知っているでしょ? でも、やめてくれなかった」

 ユリはタヌキをにらみつける。

「……生きたままタヌキ鍋にしてやりたいくらいよ」

 そこで大きく深呼吸をし、こう続ける。

「でも、あなたには随分長い間、お世話になったそれも事実よ」

「お嬢様……」

「あなた達は人間を化かして、恐がらせたいんでしょ? 私、マコトになっている間に、クラスメイトに殴られて、蹴られて、酷い目に遭ったの。一発やり返してきなさい。それから、二度と私の前に現れないで」

 庭にむかってユリに投げられたタヌキは、かなり不格好な着地をする。

「さっさと行きなさい!」

 ユリの涙ながらの怒鳴り声。タヌキは弾かれたように走り去っていった。

「随分と、お優しいのですね」

 ミチヨが言った。

 ユリは滲んだ涙を指先で拭った。

「私、キツネって嫌いなんです。ただ神の威を借りているだけのくせに、妙にプライドが高くて、自分たちは特別な存在だと思いあがってる。本当に、大っ嫌いよ」

 ユリは「でも」と言葉を繋ぐ。

「礼は言っておく。ありがとう。マコトがあなたに出会ってくれて、本当によかった」

 ミチヨは笑顔で「どういたしまして」と言った。

 ユリはタヌキが走り去った方向を見る。

「バイバイ。好きだったヒト」


 数週間後。

 多くのヒトでごった返した四条通も、ゴールデンウィークが過ぎると落ち着きを取り戻していた。

 マコトと、マコトの母。二人は鴨川の川辺を、四条から三条方面へと歩いていた。

「マコト。学校、楽しい?」

 歩きながら、母は尋ねる。

「うん。チアちゃんといるのは楽しいし、タマキ先輩は色々教えてくれるし、楽しいよ」

「そっか。よかった」

 マコトは少し考えてゆっくりと口を開く。

「お母さん、秘密にしてたけど、実はちょっと前までクラスの女子に嫌がらせ……ううん。そんなレベルじゃなかった。多分、私、イジメられてた」

「大丈夫なの 先生に言った? 言いにくかったら、私が先生と話すけど」

 母は早口で尋ねるが、マコトは穏やかな表情で首を横に振る。

「でも、何日かしたら、そのいじめっ子たちがおかしくなりはじめた」

「おかしく?」

「うん。何かにおびえるようになった。ちょっとした物音にビクッてなるようになって、話しを聞くと――」

「聞いてあげたんだ」

「うん。それでね、結局よくわからなかったんだけど、タヌキがどうのこうの言ってて、きっとユリが助けてくれたんだなって。最近はすっかり大人しくなっちゃった」

 母は軽くマコトの頭を叩く。

「もう。次からは、そういうことあったらちゃんと相談しなさいよ。私、必ず力になるから」

 マコトは小さくうなずいた。

「でも、お母さんも、大事なことは隠さないで。会社、クビになったんでしょ?」

 河を流れる水の音。

「知ってたの?」

「うん。最近、仕事に行くって言って、ハローワークに行ってたよね。全部知ってる。でも、なんでクビになっちゃったの? なにか失敗しちゃったの?」

 母はゆっくりと首を横に振った。

「ううん。ほら、この前、一週間くらい入院して、その後も何回か体調悪い日に休んだでしょ? あれが理由」

 その途端、マコトは声を荒らげる。

「そんなことでクビになるの? それって不当解雇じゃないの?」

「うん。そうかもしれない。多分そう」

「じゃあ、どこかに言ったら、なんとかしてもらえないの?」

「マコト。あなたも中学生だから薄々は気付いていると思うけど、正しいことをすれば必ず良い結果になるとは限らないの。解雇を撤回させられるとしても、そこまでにどれほどの労力がいるか? そうやってしがみついた職場で私の居場所はあるのか? そう考えたら、素直に引き下がる方がいいと思った」

 マコトは軽く母の頭を叩く。

「もう。次からは、そういうことあったらちゃんと相談してね。私にできることは、なんでもするから」

 母は小さくうなずいた。

 そのときだ。マコトは気が付いた。

 前から、丸顔の女の子が歩いてくる。

 ユリだった。

「ユリ!」

 マコトは駆け寄り、ジャンプし、飛びつく。

「え、あ、ちょっと」

 ユリはよろけながらも、なんとか踏ん張る。

「久しぶり、ユリ」

 マコトは着地した後も、ユリの手をとりピョンピョン飛び跳ねる。

「マコト……だよね?」

 一方でユリは目をパチクリさせる。

 マコトの外見は、ユリの知っているそれとは違っていた。

 ユリがマコトに入っている間に壊されてしまった眼鏡は新しいものに変わっている。

 だが、それ以上に大きく変わったのは、髪の色だった。

 金色に染めていた髪は、真っ黒になっていた。

 ジッと見られたマコトは次第に恥ずかしそうな表情になり、指に黒い前髪をクルクルと巻き付ける。

「ちょっとイメチェンしたから」

「えー。私、頑張って、金髪で学校通うの認めてもらったのにぃ~」

「ありがとう。でも、もうこだわらないでいいかなって思ったから」

 ユリは大きくため息をついて「まあ、マコトがいいならそれでいっか」と言った。

「はじめまして、になるのかな? 久しぶり、かな? ユリちゃん」

 母がやってきた。

「お母さん。体、大丈夫なの?」

 ユリは心配そうな表情を浮かべる。

「ありがと。大丈夫。ユリちゃん、そっちの体も可愛いね。これからどこか行くの?」

 ユリは首を横に振る。

「お世話係がどうも苦手で、逃げてきた」

「お世話係って、シゲルさん?」

 マコトが尋ねる。

「別のヒト。シゲルは、辞めたというか、辞めさせたというか」

「そうなんだ」

「うん。それで次のヒトを募集してるんだけど、誰も来ないの。で、今、日替わりで仮のお世話係が来てくれてるんだけど、どうにもやり辛くって」

「ユリ。それ、どういう条件なの?」

 突然、マコトが食いついた。

 ユリは一寸、驚きの表情を浮かべた。

「えっと。私のスケジュールの管理とか、部屋の掃除とか、日用品の補充とかが仕事の内容。二十四時間、私の近くにいてもらうことになるから、うちの離れに住んでもらうことになるわ」

 マコトは母を見た。


 数日後。

「行ってきまーす」

「行ってきます」

 マコトとユリは二人一緒にユリの家を出た。

「いってらっしゃい。気をつけてね」

 手を振り見送るのは、マコトの母だった。

 マコトとユリ。

 着ている制服は違う。

 通っている学校も違う。

 だけど、一緒に歩く。

 地下鉄の駅、二人で同じ列車に乗り込む。

 二人はずっとおしゃべりしていた。

 そして、数駅先でユリは降りる。マコトはさらに数駅先まで乗る。

「じゃあ、また放課後」

 ホームからユリが手を振る。

「うん。また放課後」

 マコトも手を振り返す。

 ドアが閉まり、地下鉄は走り出した。

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ポンと狸と魂替え物語(コンと狐とSeason6) 千曲 春生 @chikuma_haruo

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