第19話 過去に向き合う話 あったかもしれない未来の話

「あなたの記憶にお邪魔したのは、見せたいものがあったからなの」

 ウカがいった。

「見せたいもの?」


 場面がかわる。

 そこは、イマの家のお風呂だった。

 イマとミキが二人でお風呂に入っていた。

 ミキがゆっくりと語る。

「いい機会だから、話しておくわ。気枯けがれといって、心が疲れた状態、魂の活力がない状態だとね、ヒトは罪を犯したり、誰かを呪ったりしてしまうの。簡単にいえば、暗い気分になって、自暴自棄になったり、周りの全てが敵に見えたり。そしてそれが、罪へと繋がっていく。イマも多少なりとも経験あるでしょ?」

 イマが小さくうなずくのを見て、ミキは話しを続ける。

気枯けがれに触れると、自分も気枯けがれていくわ。そして、この世には、いたるところに気枯けがれが満ちていて、触れずに生きていくことなんてできないわ。だからね、禊(みそぎ)をして、気枯けがれをはらいなさい」

「それって、どうやったらいいんですか?」

 不安げなイマと対照的に、ミキは笑顔を浮かべた。

「毎日、いっぱい遊んで、嫌なことがあったら信頼できるヒトに話して、おいしものを食べて、お風呂に入って、今日もいい一日だったなって、生きていることを感じられる毎日を送るの。簡単そうで難しいけど、簡単よ」

 イマは小さくうなずいた。


 イマの自室。

 イマは布団の中でじっと画面を見る。

「ねぇ、先輩」

「なに? イマ」

「もしもですけど、また私がなにか危ない目に遭ったら、先輩は助けてくれますか?」

 ミキはため息をついた。

「アンタね、さっき気枯けがれの話をしたばかりでしょうが。自分から触れにいこうなんてバカなの? まあ、アンタがやりたいことなら、好きにしなさい。間違ったことをしそうなときは、叱ってあげる。本当に危ないときは、守ってあげるから」

 とっても、優しい口調だった。

 イマはスマートフォンを操作する。

 ポンとウカはその画面を覗き込む。

 それはメッセージアプリだった。

『私はあなたがどこのだれか知りません。

 でも、もしもそれであなたが楽になれるなら、あなたのこと、話してくれませんか。

 私、なんにもできませんが、お話を聞くくらいはできます。』

 何度も読み返して、送信した。既読マークはすぐについた。

『本当に、いいんですか?』

『もちろんです』

 ウカが、ゆっくりと口を開いた。

「ポンちゃんのお母さんね、イマちゃんに色々アドバイス貰ってたのよ。元々はバグで繋がっちゃったんだけど、イマちゃん優しいから」

 ポンはハッとする。

「お母さん、いきなり赤ちゃんのお仏壇つくって、洋服とかぬいぐるみとかをお供えして、手紙を送って、返事が来たって喜んでて……」

 言葉を詰まらせながら、ポンは語り続ける。

「お母さん、おかしくなっちゃったのかと、思ってた……」

「イマちゃんと、ミキちゃんが、色々アドバイスしていたのよ。お母さんが、前に進んで生けるように」

「そうだったんだ……」

「もう一つ、見てもらいたいものがあるの」


 また、場面が変わった。

 そこは、若桜町の農道。

 夕日が差す道をコンは歩く。

 背中には、女の子をおぶっている。女の子は眠っていても、ぬいぐるみをしっかりと手に持っていた。

 コンは静かに子守唄を歌う。

「だんだん、わかってきたんです。私は、生まれる前に死んでしまったんです」

 おぼろ気な女の子の声が聞こえた。コンの背中の女の子はいつの間にか目を覚ましていた。

「うん、そうらしいな。イクに聞いた」

 子守唄を中断し、コンはそっとこたえた。

「ねぇ、コンさん。私はお母さんのお腹の中で、間違いなく生きていました。本当に短い間でしたが、生きていました。私が生きていたことに、意味はあったんでしょうか?」

「そやねぇ。なかったんちゃう?」

 予想外の回答に、女の子は驚く。

「へ?」

「あなただけちゃう。私も、他のみんなも、生きる意味、命に意味なんてない。ただの自然現象の一環として生まれてきて、偶然、死に至る出来事に出会うことがなかったヒトだけが生きてる。たったそれだけのこと。まぁ、この前読んだ本の受け売りなんやけどな」

 女の子の腕に力が入る。

「でも、それじゃあまりにも寂しいです」

 コンは小さくうなずく。

「うん。まだこの話には続きがあって、だから、なぜ生きるのかじゃなくて、どう生きるのかを考えなさい、ってその本には書いてあった」

「どっちにしても、私たちは死んじゃいましたね」

「歩いた意味はなくても、歩いたという事実があれば足跡はのこっているはずやで」

 しばらく間をおいてから、女の子の「はい」といってうなずいた。

「コンさん、降ります」

「ええよ。もうすぐ家やし、おぶっていったげる」

 ポンとウカは遠巻きにその様子を見ていた。

「あれ……アイ」

 ポンは呟く。

「うん。そうだよ。生まれてくるはずだった、あなたの妹、アイちゃん」

「どうして、コンさんと一緒に……」

「コンちゃんのお店には、死んでしまったヒトが来るのは知っているでしょ? あいちゃんも、来たのよ。アイちゃんが」

「そっか……アイは、ここに来てたんだ。何か、いってました?」

 ポンは去っていくコンと、それから妹の背中を見ながら尋ねた。

「アイって名前、とっても気に入ってた」

 ポンの目から、涙がこぼれた。

「私、アイに会いたかった。アイのお姉ちゃんになりたかった」

 ポン――マコトとアイは十三も年が離れている。

 アイが小学校に入学する年、マコトは二十歳になる。

 大学生、専門学校生で、アルバイトしているだろうか。もしかしたら、就職して社会人になっているかもしれない。誕生日プレゼント、とってもすごいものを買ってあげたいな。

 アイが中学校に入学する年、マコトは二十六歳になる。

 お互いに、それぞれ意中の相手がいて、お父さんとお母さんに内緒で恋バナしちゃって。

 アイが高校に入学する年、マコトは二十九歳になる。

 結婚しているだろうか。もしかしたら、子供が生まれているかもしれない。あいのことを「叔母さん」と呼んでからかってみたい。

 でも。

 でも。

 でも。

 全部存在しないミライ。


 マコトは、目の前が真っ暗になり、その場にしゃがみ込む。

 苦しい。

 胸が苦しい。

 息ができない。

 マコトは胸元を押さえながら、荒い呼吸を繰り返す。

「……ちゃん。お姉ちゃん」

 小さな手が、マコトの頭に触れた。

 顔をあげると、そこにアイがいた。

「……アイ」

「お姉ちゃん。ナゾナゾだよ。アイが持っていなくて、お姉ちゃんが持ってるもの、なーんだ?」

「アイになくて、私にあるもの」

「未来、だよ」

「未来?」

「そう。あり得たかもしれない未来は、アイもお姉ちゃんも持ってる。だけど、あり得る未来はお姉ちゃんしか持ってないんだよ。だから、前に進んで。私のことは……忘れられちゃったら寂しいけど、だけど、いつも想ってくれなくても、アイは大丈夫だから」

「それで、いいの?」

「いいよ。お母さんのこと、よろしくね」

「うん。わかった」

「じゃあね、お姉ちゃん。またいつか」

「また……いつか」


 目が覚めると、真っ白な天井だった。

 頭を動かし、周囲の様子を見てみると病室のようだった。

「ポンちゃん。目が覚めた? 気分はどう?」

 ベット脇の丸椅子に、コンが座っていた。

「私、イマちゃんの家にいたのに、ここは?」

 ポンは上体を起こしながら尋ねる。

「覚えてない?」

 コンに尋ねられ、マコトはうなずく。

「昨晩、イマちゃんの家で急に体調崩して、救急車で運ばれてん。ここ、表向きは普通の病院なんやけど、化けギツネとか、化けダヌキとかも診てはんねんて」

 マコトは違和感を感じて、頭に手をあてる。

 丸いタヌキの耳が出ていた。

「私、なんにも覚えてないんです。ずっと、夢を見ていたみたいで。ユリの体、どこか悪いんですか?」

「アレルギー、やって」

「アレルギー?」

 マコトが聞き返すと、コンはうなずく。

「蕎麦アレルギーやって。イマちゃんの家の枕、蕎麦殻やってん。それで、夜中に息苦しくなったんやね」

 マコトの脳裏に、一つの記憶がよみがえる。

 タヌキになった日、混乱のあまりユリの家を飛び出し京都の街をさまよっていた。それを助けてくれたのは、化けギツネのミチヨだった。

 その後、ミチヨと食事をし、『マコト』という名前を告げようとしたときに息が出来なくなった。

 あのとき食べていたのは、蕎麦だった。

「もしかして、名前をいえなくする術なんてなかったんじゃ……」

 名前を告げてはいけない。それは、ただの思い込みだったんじゃないだろうか。

 もしも、もしも、本当にそうだったら、コンに本当の名前を知ってもらいたい。

 マコトは大きく深呼吸した。

「あの、コンさん。聞いてくれませんか? 私の、本当の名前」

 コンは優しい笑顔でうなずく。


――私、志度マコトっていうんです。


 やった。いえた。

 大丈夫だった。

 全部、思い込みだったんだ。


 その日の夕方にはマコトは退院できた。

「本当にごめんなさい。私、アレルギーだって知らなくて」

 イマはそういって、泣きそうな顔で頭を下げる。

「ううん。ありがと。おかげで、ちょっとだけ前に進めたから」

 マコトはそういって、笑顔を浮かべた。


 若桜町。

 マコトがお世話になっていたサナの家。

 サナの母は、固定電話の受話器を置いた。

「ミチヨさん、明日、むかえに来るって」

 マコトはうなずく。

「でもよかったのか? ずっとタヌキとして暮らすことだって、できないわけじゃないんだぞ」

 サナが尋ねるが、マコトは首を横にふった。

「妹に『お母さんをよろしく』っていわれたから、帰らないと」

 マコトの返事に、サナは不思議そうに首をかしげた。


 コンとマコト。二人並んで台所に立つ。

 大鍋から、真っ白な湯気がモクモク。

「マコトちゃんって、京都のどこ住んでんの?」

 コンはネギを斜めに切りながら尋ねる。

 マコトは住所を伝えた。すると、コンの顔に驚きの表情が浮かんだ。

「そのアパート、私がママと住んでたとこや!」

「へ、そうなんですか? 部屋は204号室なんですけど」

「部屋まで一緒やん。凄い偶然やな!」

 そのとき、鍋が吹き出しそうになり、マコトは慌てて差し水をした。

「ほんと、凄い偶然ですね」

「中学、地元の公立ってゆうてたよな。元の体に戻っても、そこ通うん?」

「はい。そのつもりです。色々大変かもだけど、きっとやっていけると思います」

 マコトは火を止め、鍋の中身をシンクに置いたザルにあける。

 茹でていたのは、真っ白なうどんだった。

 その様子を見守りながら、コンはゆっくりといった。

「中学校、三年生の先輩で武田タマキって女の子がいるから、困ったことがあったら相談し。『コンの知り合いです』ってゆうたら、どんなことでも必ず助けてくれるから」

「はい。わかりました」

 マコトは他人の名前を覚えるのが得意ではない。だから、何度も頭の中で『タマキ』の名前を繰り返し唱えて覚えた。

 完成した夕食は、たぬきうどんだった。

 たぬきうどんは地域によってまるで違う食べ物になるそうだ。

 マコトの知っているたぬきうどんは、具が天かすだけのやつだ。しかし目の前にあるのは、油揚げとネギをあんかけにしたうどんだ。京都ではこうらしい。

 美味しかった。

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