第19話 過去に向き合う話 あったかもしれない未来の話
「あなたの記憶にお邪魔したのは、見せたいものがあったからなの」
ウカがいった。
「見せたいもの?」
場面がかわる。
そこは、イマの家のお風呂だった。
イマとミキが二人でお風呂に入っていた。
ミキがゆっくりと語る。
「いい機会だから、話しておくわ。
イマが小さくうなずくのを見て、ミキは話しを続ける。
「
「それって、どうやったらいいんですか?」
不安げなイマと対照的に、ミキは笑顔を浮かべた。
「毎日、いっぱい遊んで、嫌なことがあったら信頼できるヒトに話して、おいしものを食べて、お風呂に入って、今日もいい一日だったなって、生きていることを感じられる毎日を送るの。簡単そうで難しいけど、簡単よ」
イマは小さくうなずいた。
イマの自室。
イマは布団の中でじっと画面を見る。
「ねぇ、先輩」
「なに? イマ」
「もしもですけど、また私がなにか危ない目に遭ったら、先輩は助けてくれますか?」
ミキはため息をついた。
「アンタね、さっき
とっても、優しい口調だった。
イマはスマートフォンを操作する。
ポンとウカはその画面を覗き込む。
それはメッセージアプリだった。
『私はあなたがどこのだれか知りません。
でも、もしもそれであなたが楽になれるなら、あなたのこと、話してくれませんか。
私、なんにもできませんが、お話を聞くくらいはできます。』
何度も読み返して、送信した。既読マークはすぐについた。
『本当に、いいんですか?』
『もちろんです』
ウカが、ゆっくりと口を開いた。
「ポンちゃんのお母さんね、イマちゃんに色々アドバイス貰ってたのよ。元々はバグで繋がっちゃったんだけど、イマちゃん優しいから」
ポンはハッとする。
「お母さん、いきなり赤ちゃんのお仏壇つくって、洋服とかぬいぐるみとかをお供えして、手紙を送って、返事が来たって喜んでて……」
言葉を詰まらせながら、ポンは語り続ける。
「お母さん、おかしくなっちゃったのかと、思ってた……」
「イマちゃんと、ミキちゃんが、色々アドバイスしていたのよ。お母さんが、前に進んで生けるように」
「そうだったんだ……」
「もう一つ、見てもらいたいものがあるの」
また、場面が変わった。
そこは、若桜町の農道。
夕日が差す道をコンは歩く。
背中には、女の子をおぶっている。女の子は眠っていても、ぬいぐるみをしっかりと手に持っていた。
コンは静かに子守唄を歌う。
「だんだん、わかってきたんです。私は、生まれる前に死んでしまったんです」
おぼろ気な女の子の声が聞こえた。コンの背中の女の子はいつの間にか目を覚ましていた。
「うん、そうらしいな。イクに聞いた」
子守唄を中断し、コンはそっとこたえた。
「ねぇ、コンさん。私はお母さんのお腹の中で、間違いなく生きていました。本当に短い間でしたが、生きていました。私が生きていたことに、意味はあったんでしょうか?」
「そやねぇ。なかったんちゃう?」
予想外の回答に、女の子は驚く。
「へ?」
「あなただけちゃう。私も、他のみんなも、生きる意味、命に意味なんてない。ただの自然現象の一環として生まれてきて、偶然、死に至る出来事に出会うことがなかったヒトだけが生きてる。たったそれだけのこと。まぁ、この前読んだ本の受け売りなんやけどな」
女の子の腕に力が入る。
「でも、それじゃあまりにも寂しいです」
コンは小さくうなずく。
「うん。まだこの話には続きがあって、だから、なぜ生きるのかじゃなくて、どう生きるのかを考えなさい、ってその本には書いてあった」
「どっちにしても、私たちは死んじゃいましたね」
「歩いた意味はなくても、歩いたという事実があれば足跡はのこっているはずやで」
しばらく間をおいてから、女の子の「はい」といってうなずいた。
「コンさん、降ります」
「ええよ。もうすぐ家やし、おぶっていったげる」
ポンとウカは遠巻きにその様子を見ていた。
「あれ……アイ」
ポンは呟く。
「うん。そうだよ。生まれてくるはずだった、あなたの妹、アイちゃん」
「どうして、コンさんと一緒に……」
「コンちゃんのお店には、死んでしまったヒトが来るのは知っているでしょ? あいちゃんも、来たのよ。アイちゃんが」
「そっか……アイは、ここに来てたんだ。何か、いってました?」
ポンは去っていくコンと、それから妹の背中を見ながら尋ねた。
「アイって名前、とっても気に入ってた」
ポンの目から、涙がこぼれた。
「私、アイに会いたかった。アイのお姉ちゃんになりたかった」
ポン――マコトとアイは十三も年が離れている。
アイが小学校に入学する年、マコトは二十歳になる。
大学生、専門学校生で、アルバイトしているだろうか。もしかしたら、就職して社会人になっているかもしれない。誕生日プレゼント、とってもすごいものを買ってあげたいな。
アイが中学校に入学する年、マコトは二十六歳になる。
お互いに、それぞれ意中の相手がいて、お父さんとお母さんに内緒で恋バナしちゃって。
アイが高校に入学する年、マコトは二十九歳になる。
結婚しているだろうか。もしかしたら、子供が生まれているかもしれない。あいのことを「叔母さん」と呼んでからかってみたい。
でも。
でも。
でも。
全部存在しないミライ。
マコトは、目の前が真っ暗になり、その場にしゃがみ込む。
苦しい。
胸が苦しい。
息ができない。
マコトは胸元を押さえながら、荒い呼吸を繰り返す。
「……ちゃん。お姉ちゃん」
小さな手が、マコトの頭に触れた。
顔をあげると、そこにアイがいた。
「……アイ」
「お姉ちゃん。ナゾナゾだよ。アイが持っていなくて、お姉ちゃんが持ってるもの、なーんだ?」
「アイになくて、私にあるもの」
「未来、だよ」
「未来?」
「そう。あり得たかもしれない未来は、アイもお姉ちゃんも持ってる。だけど、あり得る未来はお姉ちゃんしか持ってないんだよ。だから、前に進んで。私のことは……忘れられちゃったら寂しいけど、だけど、いつも想ってくれなくても、アイは大丈夫だから」
「それで、いいの?」
「いいよ。お母さんのこと、よろしくね」
「うん。わかった」
「じゃあね、お姉ちゃん。またいつか」
「また……いつか」
目が覚めると、真っ白な天井だった。
頭を動かし、周囲の様子を見てみると病室のようだった。
「ポンちゃん。目が覚めた? 気分はどう?」
ベット脇の丸椅子に、コンが座っていた。
「私、イマちゃんの家にいたのに、ここは?」
ポンは上体を起こしながら尋ねる。
「覚えてない?」
コンに尋ねられ、マコトはうなずく。
「昨晩、イマちゃんの家で急に体調崩して、救急車で運ばれてん。ここ、表向きは普通の病院なんやけど、化けギツネとか、化けダヌキとかも診てはんねんて」
マコトは違和感を感じて、頭に手をあてる。
丸いタヌキの耳が出ていた。
「私、なんにも覚えてないんです。ずっと、夢を見ていたみたいで。ユリの体、どこか悪いんですか?」
「アレルギー、やって」
「アレルギー?」
マコトが聞き返すと、コンはうなずく。
「蕎麦アレルギーやって。イマちゃんの家の枕、蕎麦殻やってん。それで、夜中に息苦しくなったんやね」
マコトの脳裏に、一つの記憶がよみがえる。
タヌキになった日、混乱のあまりユリの家を飛び出し京都の街をさまよっていた。それを助けてくれたのは、化けギツネのミチヨだった。
その後、ミチヨと食事をし、『マコト』という名前を告げようとしたときに息が出来なくなった。
あのとき食べていたのは、蕎麦だった。
「もしかして、名前をいえなくする術なんてなかったんじゃ……」
名前を告げてはいけない。それは、ただの思い込みだったんじゃないだろうか。
もしも、もしも、本当にそうだったら、コンに本当の名前を知ってもらいたい。
マコトは大きく深呼吸した。
「あの、コンさん。聞いてくれませんか? 私の、本当の名前」
コンは優しい笑顔でうなずく。
――私、志度マコトっていうんです。
やった。いえた。
大丈夫だった。
全部、思い込みだったんだ。
その日の夕方にはマコトは退院できた。
「本当にごめんなさい。私、アレルギーだって知らなくて」
イマはそういって、泣きそうな顔で頭を下げる。
「ううん。ありがと。おかげで、ちょっとだけ前に進めたから」
マコトはそういって、笑顔を浮かべた。
若桜町。
マコトがお世話になっていたサナの家。
サナの母は、固定電話の受話器を置いた。
「ミチヨさん、明日、むかえに来るって」
マコトはうなずく。
「でもよかったのか? ずっとタヌキとして暮らすことだって、できないわけじゃないんだぞ」
サナが尋ねるが、マコトは首を横にふった。
「妹に『お母さんをよろしく』っていわれたから、帰らないと」
マコトの返事に、サナは不思議そうに首をかしげた。
コンとマコト。二人並んで台所に立つ。
大鍋から、真っ白な湯気がモクモク。
「マコトちゃんって、京都のどこ住んでんの?」
コンはネギを斜めに切りながら尋ねる。
マコトは住所を伝えた。すると、コンの顔に驚きの表情が浮かんだ。
「そのアパート、私がママと住んでたとこや!」
「へ、そうなんですか? 部屋は204号室なんですけど」
「部屋まで一緒やん。凄い偶然やな!」
そのとき、鍋が吹き出しそうになり、マコトは慌てて差し水をした。
「ほんと、凄い偶然ですね」
「中学、地元の公立ってゆうてたよな。元の体に戻っても、そこ通うん?」
「はい。そのつもりです。色々大変かもだけど、きっとやっていけると思います」
マコトは火を止め、鍋の中身をシンクに置いたザルにあける。
茹でていたのは、真っ白なうどんだった。
その様子を見守りながら、コンはゆっくりといった。
「中学校、三年生の先輩で武田タマキって女の子がいるから、困ったことがあったら相談し。『コンの知り合いです』ってゆうたら、どんなことでも必ず助けてくれるから」
「はい。わかりました」
マコトは他人の名前を覚えるのが得意ではない。だから、何度も頭の中で『タマキ』の名前を繰り返し唱えて覚えた。
完成した夕食は、たぬきうどんだった。
たぬきうどんは地域によってまるで違う食べ物になるそうだ。
マコトの知っているたぬきうどんは、具が天かすだけのやつだ。しかし目の前にあるのは、油揚げとネギをあんかけにしたうどんだ。京都ではこうらしい。
美味しかった。
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