第14話 幸せな日々の話
ユリが中学校に入学して、数日がたった。
ずっと授業は午前中だけだったが、今日から午後の授業もはじまる。この学校は給食はなく、弁当持参だ。
「チアリちゃんのお弁当、自分でつくったの? かわいいね」
ユリは隣の席の気弱そうな女の子――チアリの弁当箱を覗き込みながらいった。
小さな弁当箱に黄色い卵焼き、タコさんウインナー、茹で野菜。それから白ご飯には桜でんぶが散らされている。
「自分で……つくった。お料理……好きだから」
小さな声でチアリは答えた。
「私も自分でつくって来たんだけど、あんまり上手にできなかった」
苦笑いを浮かべながら、ユリは自分の弁当箱を開く。
出汁巻きと、茹でたほうれん草。それから白ご飯。
ユリは自分の出汁巻きと、チアリの卵焼きの見比べる。
焦げて表面が茶色になっているユリの出汁巻きに対して、チアリの卵焼きはまさに黄色一色という感じだ。
「それ、どうやってつくったの? 凄くきれいじゃない!」
ユリは思わず声をあげた。そして、ずれた眼鏡をなおす。
「あの、えっと、小さなタッパーに溶き卵入れて、二,三分温めるだけ。玉子焼き器使うより綺麗で簡単だと思う」
チアリは相変わらず小さな声だったが、心なしか嬉しそうに見えた。
「一口もらっていい?」
ユリが箸を構えて尋ねると、チアリは小さくうなずく。
箸でちょっとだけ切り取り、口に入れる。
それは、フワリとやわらかく、そして、ほんのり甘かった。
「……甘い」
ユリは思わずつぶやく。
「やっぱり、玉子焼きにお砂糖っておかしいかな」
「ううん。美味しいよ。甘い卵焼きってはじめてだったからちょっとビックリしただけ。これはこれでアリだね」
ユリは笑顔を浮かべていった。その表情に嘘はない。
しかしまだチアリは不安そうだ。
「気持ち悪いって、誰かそんなこといったの?」
「私、小三のときに千葉から引っ越してきたんだけど、きてすぐの頃、卵に砂糖を入れるって話しをしたら、気持ち悪いっていわれて……」
「文化の違いだね。関西だと砂糖入れることあんまりないから。まあ、気持ち悪いっていうのはいいすぎだと思うけど」
喋りながらユリはチアリの弁当箱の卵焼きを口に入れる。
「あっ、ごめん。無意識だった」
途端、チアリは「プっ」と噴き出し、そのまま笑った。
「志度さんってなんだかかわいいね」
その様子を、遠巻きに見ている集団があった。太った女の子と、歯並びが悪い女の子と、それからキツネ顔の女の子。
三人とも、特にキツネ顔の子は不機嫌そうな表情をしていた。
昼休み。
「チアリっていい名前だね」
「お母さんがね、昔チアリーディングやってて、私にもやってほしいってこの名前にしたんだって」
「へー、じゃあやってるの? チア」
「ううん。小学校のときにちょっとだけやったんだけど、運動苦手だから全然周りについていけなくて、なにより楽しいって思えなかったから、すぐに辞めちゃった」
「まあ、楽しいのが一番だし、それでいいと思うよ」
「お母さんもそういってた。でも、ちょっと残念そうだった」
「ねえ、チアリのこと、チアって呼んでいい?」
「うん、いいよ」
「かわりに、私のことも『志度さん』じゃなくて名前で呼んでよ」
そんな会話を重ねているうちに、中学生になってはじめての昼休みはあっという間に過ぎていった。
五時限目、数学。
昼休みが終わって最初の授業。ユリははじまる前から大きなあくびをしていた。
「えーっと、授業をはじめる前に、ちょっと話があります」
数学担当で、老いた女性教師はそういいながら、プリントを配る。
それは、入部届だった。
「一年生の部活がはじまるのは来週からだけど、気になる部活があったら自由に見学にいったらいいから」
説明を聞きながら、ユリは部活名の欄にそっと『料理部』と書いた。
放課後。
ユリはチアリに声をかける。チアリは大きな肩掛けカバンに教科書を詰めているところだった。
「ね、ね。チアも。料理部さ、見学にいかない?」
チアリはちょっと迷うように視線を泳がせる。
「ごめん。私、部活入る気ないから」
そして、逃げるように帰っていった。
「まあ、それなら仕方ないか」
ユリは小さくつぶやいた。
ユリは家庭科室やってきた。
ここが、料理部の部室だ。
「お邪魔しまーす」
ユリはゆっくりと扉を開く。
中には、五人ほどの部員、それからタマキがいた。みんな女の子だ。
「いらっしゃい、マコトちゃん」
タマキは優しい笑顔でユリを出迎えた。
「そのヒトがタマちゃん先輩のいってた子ですか?」
二年生が尋ねる。
「うん、そやで。志度マコトちゃん。家の本屋を手伝ってくれてるの」
「えっと、志度マコトです。一応、この部活に入部させてもらうつもりです。よろしくお願いいたします」
ユリはペコリと頭を下げた。周囲から、拍手が巻き起こった。
それからユリは、部活を見学した。
見学のつもりだったけど、結局ガッツリ参加した。
ただ、雑談しながら料理をつくるだけ。言葉にすればそうだけど、にぎやかで楽しかった。
ちなみに、見学に来た一年生はユリだけだった。
部活の後、ユリはタマキと一緒に帰路につく。
「今日は来てくれてありがとう。見ての通り、ウチ部員少ないから、一人でも来てくれると嬉しいわ」
タマキは嬉しそうだった。
「同じクラスで、もう一人来てくれるかなって思ったんですけど、帰っちゃいました」
「そっか。まあ無理強いはできひんからなぁ」
踏切に差し掛かると、ちょうど警報が鳴る。二人は足を止めた。
「ねえ、マコトちゃん今日はお店来るん?」
タマキが尋ねる。
「そのつもりでしたけど、駄目ですか?」
タマキはゆっくりと首を横に振る。
「駄目ちゃうけど、気付いてへん? マコトちゃんが友達に返したいっていってお金、それから私が立て替えてた分、合わせて2640円、今日の分のお手伝いで、達成やで。おめでとう」
「そっか。もう、そんなになるんですね」
「これからも、うちにお手伝いにおいでぇな。マコトちゃんが来てくれると助かるねん」
タマキは軽い調子でいったが、ユリは迷うように視線を伏せる。
「タマキさん」
「ん? なに?」
ユリは一度、深呼吸する。
「私、偽物なんです。本当は、志度マコトじゃなくて、でも、マコトのふりをしているんです」
その途端、電車が通過した。轟音にユリの声はかき消される。
「ん? ごめん、聞こえへんだ」
電車が通り過ぎてから、タマキは尋ねる。
「いえ。なんでもないです。これからもマコトのことをよろしくお願いしますね。タマちゃんセンパイっ」
ユリは、わざとおどけた風にいった。
それからユリは、家に帰らず直接マコトの家『武田書店』にいった。
いつも通り、店内の掃除や商品の整理をした。
そして、終わると一〇〇円を貰う。
「お疲れ様。ユリちゃん」
ユリは手の中の、今貰ったばかりの百円玉を見る。
そして小銭入れを取り出すと、その中身を全部近くのテーブルの上に出した。
「タマキさん、お金貸してくれて、ありがとうございました」
ユリ小銭をつまんでいき、1600円をタマキに渡した。
タマキは少し考えてから、小銭をユリに返した。
「ユリちゃん。これは、自分のために使こて」
「いいん、ですか?」
「うん。お母さんになにかプレゼント、買ってあげたら?」
「ありがとう……ございます」
ユリは小銭を握りしめた。
『武田書店』を出ると、もうすっかり日が暮れて暗くなっていた。
「気ぃつけてかえりやー」
タマキに見送られながら、ユリはアパートへの道を歩く。その口元には自然と笑みがうかんでいた。マコトのお母さんになにをプレゼントしよう。いろいろとアイディアが浮かんでくる。
アパートが見えてきた。そのときだ。
「志度さん、お帰り」
突然、声をかけられた。
「うわぁっ! ってチアリ!」
ユリは驚いて変な声を出したが声をかけたのがチアリだと気付いて、すぐに落ち着く。
「チア、どうしたの? こんな時間に?」
ユリは尋ねる。
チアリは制服姿で、大きな肩掛けカバンを持っている。
「志度さん……あなたが悪いの」
チアリの言葉。ユリがそれを理解する前に、突然衝撃が襲った。チアリが持っていたカバンで顔面を殴ったのだった。
ユリはアスファルトの上に倒れる。
「なにが」
上下の感覚がつかめず、ユリはすぐに起き上がれない。
視界の隅にフレームが歪み、レンズが割れた眼鏡が落ちているのが見えた。さっきまでユリがかけていたものだ。
なにか液体が垂れてきて右目に入る。それは額から流れ出る血だった。
「全部、全部、志度さんが悪いの」
チアリは馬乗りなると、ユリの制服のブレザーのポケットを探り、小銭入れを取り出した。
「私には、これが必要なの」
チアリは隠すように小銭入れを自分のポケットに入れ、足早に立ち去る。
「待って……それは」
ユリは手を伸ばすが、届かない。
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