第16話 お戯れのデュエリスト

 ざぶん――と急転直下。マーガレットに抱きつかれたマオは、豊満な胸にプレスされて湯の中へ、潜っていくよ、どこまでも。

 やがて浴槽の底が抜けたように、まっくらな地底世界へと至る。

(ちがう、あの後……)

 ふつうにお風呂から上がり、身体を拭いて寝巻に着替え、マーガレット様を寝かしつけた。それが真実だ。危うく記憶が混濁しかけたものの、明晰夢という認識でマオは了解する。

 抱き合っていたマーガレットのやわらかさは、別の感触にすり替わっており、モフモフした何かであると分かる。

(マーガレット様が、獣人に?)

 夢世界なら何でもアリ。楽しまなければ損だ。マーガレット様に似合う獣耳は……。

 イメージを膨らませているうち、暗闇に目が慣れてくる。じぶんが抱いているのはテディベアのようだ。――クマ耳という発想はなかった、と思いつつ周囲を見回せば、やけに散らかっている。おもちゃ箱をひっくり返したというよりは、雑然とした倉庫のような。

(誘拐でもされてる状況かな)

 壁沿いにぐうるり部屋を一周してみる。ドアに行き着いてノブを回す。あっさり開いて脱出することができた。けれどもドアの先には似たような汚部屋。いちおうダイニングのようではある。きゅるるとお腹が鳴った。

 このあたりで、ようやくマオは、夢世界における主導権がないと気づく。たまたま五感を共有している「誰か」と行動が一致していただけで、最初の部屋を出てからはオートマチック。ゆえにマオの意思ではない……近くを走っていた油虫をつかまえ咀嚼したことも、トイレの便器に張った水を飲もうとしたことも。

(……幼い女の子だ。マーガレット様に似ている)

 便器の水面に映る「誰か」は、どこか主の面影がある気がして。

 そこで夢世界はぶっつり途切れ、マオはベッドの上で目覚めた。カーテンの隙間から射す朝陽が、ピンポイントにマオの顔へと注がれている。隣を見遣れば、寝巻姿のマーガレットが苦しげに呻きを漏らしていて。

「先ほどの、悪夢の続きを見ておられるのですか」

 呟いて主の頬を撫でると、心なしか表情の険しさが和らいだよう思える。

 脳のはたらきは炎雷――電気信号でしかなく、夢もまた然り。いっしょに寝た夜は、感電するように夢がシンクロしてもおかしくない。

 まったく、B級ホラーの活動写真を好き好んで観たりするから、ああいう悪夢を見たりするんですよ。もしやカーマ・ウィーゼルと観たやつはホラーだったとか?

 喚起させた要因があるのだろう、と思った反面、マーガレット様のことだから「買い食いした焼き芋を喉に詰まらせてヤバイ」みたいな関係ない夢を見ているかも、とも思えてくる。

「どうなんですか、マーガレット様」

 起こさない程度に囁き、主のほっぺを指先でつつく。なんというもち肌。

「うう~~、トイレから焼き芋が湧いてくるう……」

「……」

 寝言から察して不憫になったので、頬をつんつんするのは中断してさしあげた。その夢を共有するのはゴメンなので、イチヌケさせてもらいますね。

 マオは二度寝せずにベッドを脱け出し、登校する準備を始める。

 タイミングをはかって主を起床させ、慌ただしく魔法学院へと向かう。

「どうして! もっと早く起こしてくれないの!」

 アンペイア邸のある十三番地区を駆けながら、マーガレットがマオを咎める。

「おかげで悪夢をず~~っと見ちゃったじゃない!」

「起こそうとしても、なかなか起きないのは、いつもでしょう」

 というか遅刻しかけてるのはいいんですね。さすが遅刻魔の女です。

「今朝もゼロ番地区を通りますか」

「じゃないと遅刻しちゃうし!」

 ギリギリになってから遅刻を回避しようとするプライドはあるんですよね。アレですか、ギリギリのスリルを愉しもうとするタイプですか。めちゃくちゃタチ悪い。

 ドブネズミのように路地を抜け、ゼロ番地区をふたりで疾走する。

「おう、メグちゃん! 聞いたぞ! 応援してっからな!」

 いつもの筋骨隆々おじさんが檄を飛ばしてくる。

「応援っ? 何なにっ? わかんないケド、ありがと!」

「負けんなよメグぅ~!」

「遅刻には負けないよー!」

 なんとなく噛み合わないやりとりをしてゼロ番地区を抜け、魔法学院へ。

 滑り込みセーフで校門を通過し、待ち構えていた教頭先生のお小言をスルーし、二年生の教室に到着する。休日明けのスクールライフが始まる。

 しかし、悪夢というのは再来するもので……放課後のお茶会でこんにちは。

「けけけ決闘、ですかっ?」

「うん。うちのトウリがどうしても、ときかなくてね」

 お茶会の席でカーマから提案されたのは、場違いに物騒な「決闘」という貴族のならわし。面食らうマーガレットに、カーマがやさしい声色で続ける。

「あくまで戯れ、エンターテイメントとしての決闘だ」

「はあ、エンタメ……」

「わたくしは戯れとは思ってませんけど!」

 テーブルを挟んで座るパルネが、口も挟んでややこしくする。

「いけませんよパルネちゃん。今回のテーマを認識しなくては」

「はいっ、お姉様!」

 すぐに妹を窘めたリフィリアが、わさわさファーの付いた扇で口もとを隠し、どこか妖艶に双眸を細める。

「わたくしたち四摂家の息女が、世間に対して存在感をアピールする、よい機会ですわ」

「リフィリアは研究費が尽きて困っているからだろう」

「あらカーマちゃんたら、手厳しいわね」

 研究費を稼ぐ。名家のお小遣いでもカバーしきれないのか。コロシアムで入場料をとって、盛大にやる気だな。マオは状況を理解する。

「お姉様は、人工生命……ホムンクルスの研究をされていて、そちらで御髪をお持ちになっている付き人のマッキナも、なんとホムンクルスなのですわよ!」

「パルネちゃん、お口チャック」

「はいっ、お姉様!」

「というわけで勝手ながら、トウリ発案、リフィリア主導で企画を進めてしまっている」

 マーガレット君も、どうか乗ってはくれないか。上級生のカーマに深々頭を下げられては、マーガレットも拒みづらい。マオのほうに「どうしよう」と困った視線をくれる。

 マオも内心とても困っていた。〝あの〟トウリが発案者なのだ、きっとロクデモナイ思惑がある。かといって四息女の輪を崩すわけにもいかない。

 悩んだ末、マオは、マーガレットに頷きで返した。

 お茶会を終えて帰り道、夕焼け空の下、マーガレットが「ごめんね」とマオに話しかける。

「また、危ない目に遭わせちゃう」

「大丈夫ですよ。お戯れの決闘ということですし」

 と答えたものの。前回の決闘でアイシャのヘイトを買っているだろうし、狂人トウリが手加減するとは思えない。マーガレットの言うとおり、危ない目に遭うだろう。それでも。

「メイドは主のために舞うのです」

「マオ……」

「そこは軽めに『マオマオ』でもいいんですよ」

 なんとか場を和ませようとしていたところ、ゼロ番地区へと続く路地の入口で、ふだん露天商をやってるターバンおじさんが手招いている。

「メグちゃん、メグちゃん、こっちこっち!」

 マオとマーガレットは顔を見合わせ、まあ悪い人じゃないし、と後に続く。

 おじさんに案内されたのはゼロ番地区の酒場だった。日が落ちる前からおじさんが集結し、小さい樽みたいなジョッキで酒盛りしている。

「主役を連れてきたぞおっ!」

 ターバンおじさんが万歳し、店で待っていたおじさんズが「うおおおっ!」と歓声を上げる。

「いったい何事なんですか?」

「おうよメグちゃん、こいつよぉ!」

 丸太のような腕でビンッと伸ばしたビラには「四摂家ノ息女タチ、決闘ス!」とアオリ文句が躍り、日時と入場料等が記載されている。

「俺たちゃ、メグちゃんのビッグマッチを応援したいのさ!」

「ばあか、お前はトトカルチョで儲けたいだけだろっ!」

「うるせえっ! ああ、すまねえメグちゃん、もちろんメグちゃんに全ツッパしてるぜ!」

 こんな酒場で賭博が成立するのか? 何しろゼロ番地区の連中は、揃いも揃ってマーガレット推し。賭け事にならない。マオは首を捻る。

「今回の決闘は特別でよお、主催側が公式に『誰が勝つか』の賭けをやらせてくれんだ」

 なるほど。ゼロ番地区に止まらない、国全体でやる規模の賭け事か。

 当然、手数料をとる気だな。リフィリア・ドラシル、強かに企画を進めている。

「つーわけで、今夜は壮行会といかせてもらうぜ!」

 マーガレットにも樽ジョッキが渡される。中身は麦酒でなくミルクだ。

「……ほらよ、アンタにも」

 意外にも、マオにも同じく杯が渡ってきた。獣人に対して厳しく、マーガレットの付き人であってもガン無視を決めていた方々から。

「じっさい戦うのはアンタだ。負けるんじゃねえぞ」

「言われるまでもく、ぜったい負けません」

 マーガレット様に勝利を。マオの宣言が音頭となり、酒場は、おそらく何度目かの乾杯コールに包まれる。マーガレットの持つ樽ジョッキに、次々と男たちのそれが豪快にぶつけられていく。荒くれどもの杯を受け止め、撒き散らされた麦酒とミルクまみれになったマーガレットが、最後にマオへとはにかんで「乾杯っ♪」と求めてくる。

「よろこんで、マーガレット様」

 ミルクで交わした杯は、マオにとっても特別なものとなった。

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