第15話 メイドさえいればいい
貸切なんだ、と気づいたのは、照明が消えてスクリーンが際立ってからだった。
巷で人気の恋愛活動写真、さらに休日となればハコ入りは満員御礼でもおかしくない。にも拘らず、七番シアターにはマーガレットとカーマふたりきりだ。
(カーマ先輩が、あたしのために?)
だだっ広いシアターのど真ん中、隣のシートに座っているカーマをチラ見すれば、慈しむような微笑みで返される。俄然緊張してきたマーガレットは、身体をカチコチに強張らせてスクリーンと向き合あう。映写機によって投影されたモノクロの活動写真では、恋物語の序章が始まり、行きずりの恋に落ちるヒロインがアップで映されている。
(ストーリーは知ってるのよね)
すでに原作の小説を読んでいるから。全知なら緊張することもないんだけど、あたしは知らない……あたしと先輩のストーリーがどうなるのかを。
「マーガレット君は、これの原作を知っているかな」
貸切だからか、気兼ねなくカーマが話しかけてくる。
「著者は、辺境貴族のバーンスタイン卿ですよね。何十年も前に亡くなった――」
活動写真にされたのは最近だが、原作小説は古い。ナルマージ国のエンタメ業界はネタ切れを起こしており、リバイバル手法の新作が増えてきている。
「うん。そうだね。それは正しいとも言えるし、正しくないとも言える」
「もしかしてバーンスタイン卿って、不老不死!」
「違う違う。原作者は誰かってこと」
ゴーストライターが? と驚くマーガレットに、スクリーンを見つめカーマが答える。
「卿は、食客として住まわせていた男から物語を聞き、小説を執筆したんだ」
「じゃあ、その食客さんが真の原作者」
カーマが、マーガレットの反応を愉しむように首を横に振る。
「食客の男もまた、源流となる物語を享受した側に過ぎない」
「他国の小説のパクリ……くうっ」
がっかりするマーガレットに、カーマが「実は模倣だらけさ」と上半身を捻る。映写機の光が伸びている根本へと視線を向ける。
「あの映写機も、外にあるガス灯も、魔法以外の何もかも……ナルマージの〝今〟をつくっているものの多くは、卿の時代に、そうした食客からもたらされた」
『……どこから、いらしたんですか?』
活動写真の中でヒロインが、恋人となる男に尋ねる。音がない代わり字幕が出る。スクリーンと会話するようにカーマが続ける。活動写真の男と同じ台詞で。
「〝東方〟だよ」
「あっ、よく耳にします、『それは東方の文化で~』とか『東方でいうところの~』とか」
実はマオもよく東方に例えた言い回しをする。
「でも、この物語は――東方っぽくない話ですよね」
バーンスタイン卿がナルマージに合わせた味付けをしたのかな?
「東方の人たちもまた、西方の影響を受けていたということだね」
「??? ナルマージは北寄りですけど、それより西ってなるともう――」
砂漠の民にしろ、森の民にしろ、ナルマージを超える文明国が西にあるなんて話は聞いたことがない。ましてや数十年前である。ありえない。
「ありえるのさ。東方や西方は、この世界の概念じゃない」
異世界だとカーマは語る。冗談めかしておらず、いたって真剣な眼差しで。
「そもそも〝東方〟からして何処にある。今は亡きサンゲツ国の東には、広大な海洋が広がっているばかり。サンゲツの文化は東方のそれに似ているが、文明レベルは天と地だ」
そして、核心に触れる。
「異世界転移者である〝東方〟の者たちが、バーンスタイン卿の時代から現れ始め、一足飛びに文明を進歩させたんだ」
スクリーン上では、ヒロインと東方の男が、恋に落ちてデートを楽しんでいる。それが暗示であるかのようにマーガレットには思えた。
「……ウィーゼルの家は代々、ナルマージにおいて外交の任に着いているからね……異世界を含めた、外の事情に詳しいんだ」
「それって秘密の情報なんじゃ――」
慌てて口を開いたマーガレットは、しかし、カーマの指先を唇に添えられる。
「知っておいてほしかった、君に」
どういう意味だろう。ウィーゼル家に嫁入りしてほしいってこと? そそそんなっ!
「異世界転移者は、かつて良き隣人だった。けれども近頃は違う。転移と同時に、神の加護としか思えないほどの――無尽蔵の魔力を手にし、世界のパワーバランスを崩している」
シートの手すりに置いたマーガレットの左手に、カーマの右手が重ねられる。
「脅威に対抗するには、四摂家の未来を担う私たちが、結束しなければ」
そういうことか、とマーガレットは思う。きっとカーマも異世界転移者について聞かされたのは最近で、危機感を覚えたのだろう。
(一生懸命なんだ。ウィーゼル家の跡取りとして)
あらためてカーマのことを尊敬するマーガレット。――不意に、重ねた指先が絡められ、顔の前まで持ち上げられる。かち合った先輩の視線は情熱的で。
「ついては、マーガレット君……君と『姉妹の契り』を交わしたい」
――かあ~。ぶくぶく。
数時間前にカーマから言われた申し出を反芻し、マーガレットは湯船に沈む。
ここはアンペイア邸の令嬢専用浴場。件のシアターと同じく貸切で、違うのはカーマとではなくマオとってこと。蟹よろしく泡を噴いている主に、エプロンドレスを脱いだ付き人メイドは冷ややかだ。やけに口調が冷ややか。
「それで、マーガレット様は受けるんですか」
「何をお(ぶくぶく…)」
「姉妹の契りをですよ」
それは、ミューズ魔法学院では一般的な慣習である。味気なく「ブラザーシスター制度」なんて教師は言っているが、つまるところ先輩と後輩とがワンオンワンで親密な関係になり、年長者が強力サポートで若輩を導く、合理の産物だ。
しかし、当事者たちの認識は合理に止まらない。恋仲に発展してしまう確率、実に九割超と噂されている。ミューズ魔法学院・新聞部調べ。
「マオは、どうしたらいいと思う?」
「ご自身で考えてください」
「もしかして、マオチャン、嫉妬してるのカナ?」
「ぶちますよ」
すぐマオマオぶとうとする。こわ。
「ぼくとしては心配です」
冷ややかトーンが弱弱しく変わり、マオも湯船に沈みかけている。
「マーガレット様が、パルネ・リッカーと同じく『お姉様、お姉様』と……わんこのように振る舞う、イエスマンになってしまわれるのが……」
「じゃあ、マオがあたしと姉妹の契り、交わしちゃう?」
「んなっ……!」
「こう見えて、あたし、お姉様としても素質あると思うんだよねえ」
L字にした指を顎に当て、ざぱっと立ち上がれば、年相応以上の双丘がたゆっと揺れる。
蔑みキャッツアイになったマオが、嘆息して対抗するように立ち上がる。身体に巻いたタオルは貼りつき、彼女の幼児体形を鮮明にするが……マオはヤケクソめいて胸を張る。
「こう見えて、ぼく、マーガレット様より年上です」
「マジ? ちょっとそんな気はしてたケド、なんとなく」
「ですので……っ! 頼れるお姉様の役も、できるハズなんです!」
カーマ・ウィーゼルには負けない。ことばにしないが、マオの顔にそう書いてある。
「姉妹の契りは、恐れ多く、結ぶことは適いませんが――」
いつになく熱の篭った口調で、マオが続ける。
「メイドさえいればいい、とマーガレット様に言わせてみせます!」
「メイドさえいればいいっ!」
「早ぁっつ!」
両腕を広げてハグを敢行したマーガレットにより、主とメイドは仲良く、盛大に飛沫を上げて湯船へと沈む。浴場に立つ、水瓶を担いだ石像だけが彼女たちを見つめていた。
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