第4話 パルネ嬢とファニバニ

 その日、パルネ・リッカーは苛立っていた。

 いつもしかめ面の彼女であるが、今回はスペシャルな苛立ちぶりだ。付き人のメイド・ファニは、背中に乗せた小ぶりな尻が震動するのを感じ、そんなことを思う。四つん這いした低い視界の端ではパンプスの踵が床を打ち、タンタンタンと貧乏な音を響かせている。時おり興奮した牛のような鼻息も聞こえてくる。あと歯ぎしりも。

「パルネ様ぁ、そろそろ登校される時間ですが……」

 床に転がった懐中時計を一瞥し、ファニは頭上の主へ進言する。すでにファニも主と同様、魔法学院の制服に着替えているが、主はいっこうに動かざること山のごとしである。

 もとい、活火山のごとく震動している。

「椅子がしゃべらないの!」

 ハイトーンな横暴が返ってきた。

「ファニ、あなたのウサ耳は目障りよ! すぐに畳みなさい!」

 逆鱗に触れてしまったことで余計な注文がつく。そんなにウサ耳が嫌なら、別の獣人に付き人をさせればいいのに――。

(とは言えるはずもなく)

 リッカー家のメイドは、侍従長のアイシャをはじめ長身、年配のメイドが多い。身長の低さをコンプレックスとするパルネの付き人は、小柄なファニ以外に務まらない。

 パルネの格別な不機嫌を一身に受ける破目になっているのは、昨日の決闘で、侍従長がアンペイア家のメイドに負けたからだ。

(ぢつに情けない。ぜんぶ侍従長のせい。ゆるさん)

 と、侍従長に意見できるはずもない。ウサギの獣人がオオカミの獣人(アイシャ)に楯突くとか、もはや自殺行為である。――侍従長ってば、背骨が逝くような負け方して、今朝からバリバリ働いているもの。バケモンだよ、あの人。

 などと考えながらスルーし続けていた主のお小言、というか暴言がファニの尻尾に及んだところで、おずおずとファニは〝ひっさつのじゅもん〟を口にする。すなわち、

「このまま遅刻寸前まで粘ってると、アンペイア様と通学路で遭っちゃいますよ」

「うっ……」

 マーガレット・アンペイアの遅刻癖は有名だ。もう一押し。

「学院に行かないと、愛しの『お姉様』とも逢えません」

「くやしいですが、ファニの言うとおりですわ」

 パルネはようやく重い腰を上げ、くるりとターンをきめる。ドリルな巻き髪がわさっと揺れて、艶やかなデコに反射した朝陽が眩しく光る。

 そして、ぐっと拳を握り締める。

「とっとと通学して、お姉様に慰めてもらいましょう!」

 そうと決まれば善は急げですわ! もたもたしてると屠殺しましてよ! いきなりエンジン全開の主にファニはげんなり苦笑しつつ、懐中時計を拾って立ち上がる。

 なんとか今朝も腰痛を免れることができた。

 ウサギは強かに生きていく。

(つもり、なんだけどなあ……)

 付き人として魔法学院に通い、つつがなく午前の授業を終えて。だだっ広い食堂で昼食を摂り。「お姉様」のおかげでパルネ様の機嫌も回復してきたというのに……。

 午後の授業で教室移動した際、とうとう廊下で鉢合わせしてしまった。マーガレット・アンペイアとそのメイドに。くじけそう。

(まあ、いつかは避けられぬ事態ではあった)

 別のクラスとはいえ同じ学年だ。クラス合同の授業だってある。でも、まさに今日、ここまで接近を許してしまうとは。ついてない。わたしの前を往くパルネ様の表情ぜったいヤバイ。

「や、やほ~~っ、パルネ、元気?」

 なあにおどけた調子で挨拶くれてんだ、この脳みそお花畑お嬢様は。名誉とか矜持ボコボコにされてから時計の短針二周してないっつーの。

「アンペイアさん!」

 ああ噴火するぞ、パルネ火山が。なんまんだぶ、なんまんだぶ……。

「昨日は貴女のメイドにしてやられましたわ」

 おや? 思ったより憤りが含まれてない。お昼休みの「お姉様」が効いたか?

「し・か・しッ! わたくしが負けたわけではありません!」

「……いや、そもそも……決闘をふっかけてきたの、マーガレット様に水魔法の試験で負けたからでは」

「ごほんっ! ごほんごほんっ! ごほおっん!」

 余計なことを言うなアンペイア家のメイド~~っ! パルネ様が咳き込んでるでしょ、わざとらしく!

「魔法の試験は、まだ終わっておりません。炎雷魔法の試験が残っています」

 マーガレットをビシッと指差し、パルネ・リッカーは宣言する。

「この最後の試験で、貴女を上回り、わたくしの実力を証明してみせますわ!」

 ごきげんよう! 大見得を切って大股で立ち去らんとするパルネに、ファニは慌てて追い縋る。そして耳打ちする。

「あ、あの……炎雷魔法はアンペイア家の……」

「言わないでファニ、お家芸というのは重々承知ですわ」

 だからこそ勝つことに意味がある。と、パルネは鋭いナイフのような声色で続ける。

「目にもの見せてさしあげますわ。さっそくお姉様に特訓をお願いして――」

「あの……」

「まだ何かっ?」

「教室移動、こっちです」

 振り返ったパルネに対してファニは控えめに、進行方向から右九十度を指差す。途端にパルネは顔を真っ赤にして、ドリルの金髪をぶわあっと怒りに浮かせる。

 あ~~、理不尽に怒られる三秒前。

 ファニは諦観と共に覚悟をきめるのであった。

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