第8話 魔法刻印と秘密の部屋

 ボルト家別邸に入ってすぐ「お掃除しなきゃ」と思った。

 数年分の埃が積もっていたから、というのは勿論そのとおりで。

 新しい主を迎える儀式がしたい、というのが秘めた理由で。

「やっぱり猫は、自分本位なのですよ」

 止まっている過去を直視して、深くこころの奥へ仕舞って……まっさらに切り替えよう。

(この館を、マーガレット様のものとするために)

 ハタキを手にしたマオが、まず向かったのは、別邸で暮らしていた令嬢の部屋。そっと扉を開けば、置き去りにされていた生活感を伴い、見慣れた景色が飛び込んでくる。間取りや調度品はアンペイア邸のそれと大差なく、うっすら埃を纏って灰色がかっている。

「帰ってきた。ついに」

 記憶はフルカラーで鮮明に蘇る。

 あの日、満身創痍で駆けてきたひとりのメイドが、館のエントランスで倒れ伏した。ボルト家の本邸に仕えているメイドで、乱暴されたのかウサ耳が半ばで千切れている。

 彼女は「ボルト家のお取り潰しが決まりました」と告げ、令嬢であるリーゼロッテ・ボルトの出頭を求めた。四摂家の長から要請されたのだと。遣いを寄越されたのは、館のまわりを迷いの森が囲っているからだろう。

 出頭することは、すなわち死を意味する。リーゼロッテは「そう」と素っ気なく答え、遣いのメイドに国外へ逃げるよう指示した。長らくお付きのメイドである、猫耳の彼女にも。

「……」

 ウサ耳のあの子は、傷が深く、館を離れること叶わず。

 ほどなく息を引き取り、館の裏手に埋葬された。――埋葬した。リーゼロッテと付き人のメイドが、ふたりでスコップを握り、泥まみれになって。

『ねえマオ』

『はい、リズお嬢様』

『もしも貴女が逃げ延びて、次のご主人様を見つけたら……いつか、この館に連れてきて』

 そして、今度こそ幸せになってほしい。リーゼロッテはいつもの澄まし顔をあらため、この時ばかりは両の眼をしっかり開いて、まっすぐに付き人のメイドを見つめた。

(――終の棲家、ね)

 サスペンスな意味合いで飛び出した、マーガレットのことばをマオは反芻する。

 祈るように閉じていた視界を開き「よしっ」ハタキを大仰に構える。マオVS鱗の館、誇りをかけた……否、埃を払うメイドの戦いが始まった。コロシアムで魅せた俊敏さをもって、てきぱきとクリーニングをマオは実施していく。

 わーお、と傍観するしかない(邪魔になるので)ご主人様を尻目に、四半刻もせず応急処置のお掃除が完了。さすがに生活するには不十分だが、お目汚しがない程度には埃を処した。

「お待たせしました。いざ〝秘密の部屋〟に参りましょう」

 マオは再びカンテラに火を入れ、二階への階段……の裏にある質素なドアを開く。途端に内側から冷気が零れて、地下へと続く階段が露わになる。

「わーお」

「さっきから反応そればっかですね、マーガレット様」

「人間、本当にビックリしたら、至極つまんない反応しかできないもんよ」

 寒そうだからくっついていい? と、くっつきながら言うのでマオはKOする。ではなくOKする。防寒着を用意して来なかったのはメイドの落ち度だ。鱗の館に残されているそれも、洗濯なしで使わせるわけにはいかない。

 団子になって階段を下りた先には、また扉があり。真鍮製のノブを回して開けば、王立図書館もかくやという大書庫が――ふたりの目の前に広がった。

「……」

「わーお、はないんですか」

「超越ビックリマンだと、ことばを失うのよ」

 よくわからない表現で返しながら、マーガレットの目には好奇心の獣が宿る。もう手近な書架から一冊を手に取り、ぺらぺらとページをめくっている。元の場所に返してまた一冊、ざっと目を通して、今度は机の上に積み始める。山ができるまでそう時間はかかるまい。

「すごいよマオ、魔法刻印に関する書物がびっしり! 殆ど禁書クラスの!」

 そこではたとマーガレットは呆け顔になり。

「あれ? 炎雷魔法の試験と、あんまり関係はないような……」

「そろそろ核心に触れるタイミングですね」

 カンテラを机に置き、マオはおもむろにマーガレットのスカートをめくる。ごく自然な所作で。東方の文化でいうなら暖簾を潜るような、ちょっと失礼しますよ的な。

「えっっち!」

 マーガレット渾身の手刀が、マオの脳天に落とされる。ダメージ軽微。

「毎日いっしょにお風呂入ってて今さらでしょう」

「それとこれとは話が違うのっ!」

 ぷんすこ頬を上気させ、めちゃくちゃ距離をとられる。さっきまでべったりくっついていたのに、乙女心は秋の空である。すでに冬だった。

「あー、つまりですね、話が違うようで関係するのです。炎雷魔法の試験と!」

「話を逸らそうとしてる」

「脱線したのを戻そうとしてるんですよ」

 こほんと咳払いしてマオは続ける。

「マーガレット様の太腿にある刻印……先ほどは、それを確認しようと」

「言ってくれたら見せてあげたのに」

 マーガレットはぷくっと頬を膨らませて、自らスカートをめくる。

「なんで、ぼくがめくるのはダメで、ご自身で痴女されるのはいいんですか」

「痴女って言わないで」

 まったく気難しい人ですね。マオは頭痛を我慢して説明をリスタートする。

「刻印された経緯は存じ上げません。――ですが、ぼくの知る限り、それは魔力を空回りさせるものです。炎雷魔法を行使したときだけ」

「……炎雷魔法だけ……?」

 マオは鷹揚に頷く。

「迷いの森で、木々が微弱な電気を、炎雷魔法を発していたのはご覧になりましたね」

「うん。マオには相殺する魔法刻印が施されていて――」

 さすがは自称・天才美少女魔法士、ハッとした様子で、早くも感づいたようだ。

「マーガレット様に施されているのは、魔法が行使された際に〝自身へ向けて〟相殺する炎雷魔法が発動するもの」

 カンテラの明かりだけがぼんやり照らす、秘密の部屋で。

 マーガレットをまっすぐ見つめて、マオは核心に触れる。

「ご自身の魔力を触媒に自動発動するので、水魔法や風魔法でも発動しています。別種の魔法ゆえ相殺とならないだけで」

 炎雷魔法だからこそ成立する、自己阻害の魔法刻印だ。水魔法・風魔法が、術者の周囲にあるモノに干渉する方法であるのに対し、炎雷魔法は、動植物の内に流れている電気を増幅させて撃ち出す――すなわち内側で完結している。

 術者の内側で相殺が発生するからこそ、マーガレットが語っていた〝スカ〟るような感覚を伴い、失敗へと導かれるのだ。火花を出せていただけでも奇跡である。

「この刻印ね、物心ついた時からあるんだ」

 マオの告知を受けてマーガレットが漏らす。

「だから、この刻印に手を加えることは、きっとお父様に逆らうということ」

 淡い光の中、碧い瞳を潤ませて、乞うような視線がマオを捕える。

「いっしょに逆らってくれる?」

「トーゼンです」

 マオは即答した。メイド冥利に尽きるお願いごとだった。

 たとえ火の中、水の中、とは言わない。主人に火の粉が降りかかるなら払う。波濤が打ち寄せるなら拳で砕く。館に案内すると決めた時から、こころに誓っている。

 たとえ相手が魔王であろうと、マーガレット様を不幸にする全てから、お守りすると。

「マオはやさしいね」

 どうして、そこまでしてくれるの? ふわりと軽い調子で問いかけをもらう。

 まるで、分かっているけど、ことばで聞きたいとねだっているよう。

「かんたんですよ」

 マオは小さな胸をめいっぱい張る。

「炎雷魔法が苦手だって言う、マーガレット様のお顔が寂しげだったから」

 メイドが頑張る理由としては十分です。我ながら花マル満点の回答に、マーガレットの大輪が咲くのだった。

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