第9話 鉤爪と地獄の番犬

 マーガレットの〝秘密の部屋〟通いは、放課後の日課となった。

 図書館に寄って試験対策をしている、というていで番号のない(ロストナンバー)地区へ向かい、マオと迷いの森を抜けて鱗の館へ。――アンペイア家はメイド任せの放任主義なところがあり、老齢の侍従長さえ誤魔化しておけば門限はない。

「図書館の出禁がバレたら、パルネの家で勉強してることにする」と言ってのけるあたり、マーガレット様は肝が据わっているというか、なんというか……。

 幸い、通いを始めて一週間は何事もなく過ぎ、魔法刻印についてマーガレットの理解度は格段に上がっている。かつてのボルト家令嬢に迫る――とまではいかなくとも、魔法刻印を扱うプロ魔法士と同等以上の知識を身につけたと言えよう。

 ボルト家が有していた蔵書の質と、マーガレット嬢の天才肌による必然だ。

 いよいよ実践フェーズが近いとマオは感じ取り、「もはや大賢者に説法するようなものですが」と前置きしてマーガレットに忠告する。〝秘密の部屋〟の机に山積みされた書物越しに。

「まず、入れ墨によりいったん固定された魔法刻印を消すことは至難です」

「うーん、風魔法で一瞬のうちに肉ごと削げば、あるいは……」

 わりと本気なトーンだったので、やめてくださいと強めに制止しておく。

「消すは至難、かといって台無しワザでいくことも危うく」

「台無しワザ? って、つまりぃ~~刻印された詠唱の魔法文字を一つ潰すとか」

 それは少ぉ~し考えてた、とマーガレットが書物山脈の稜線から顔を覗かせる。

「魔法陣の内にある構文を崩せば、確かに機能不全に陥らせることはできましょう」

 ただし代償として……失敗作と化した魔法刻印が、どのような効果をもたらすか予測がつかない。そしてヤバイことになってしまった場合は、本当に肉ごと削ぐしか選択肢がなくなる。

 リスクの高さをマオは語り、主がギャンブラーになる未来を思いとどまらせる。

「これらを踏まえた上で、マーガレット様が最適解を見つけられると信じています。何せ天才魔法士なのですから」

「美少女が抜けてる。天才・美少女・魔法士だから」

「その意気です」

 マオには確信めいた予感があった。

 じぶんには思いつけない独創的な方法で、マーガレットが難題を突破すると。

 ならば、メイドとしてあるべきは、主の邪魔をせず露払いに徹するのみ。

〝秘密の部屋〟へ通い始めて二週目の某日、鱗の館に到着したところで、マオは「庭のお掃除をしてから向かいます」とマーガレットに告げ、玄関先に居残る。

 エプロンドレスの裾をつまんで一礼、主を見送ってから、ゆっくりとターンする。

「さて……お掃除を始めましょうか」

 冷めた眼差しで広場を見渡せば、森との境界から野獣の眼光が、合計六つ。

 ここ数日、迷いの森へと入る前から野犬に尾行けられている。わざと森の中に誘い込んでから撒いていたので、迷子になって死すだろうと思っていたのだが……なかなかどうして、先日撒いたワンコまで含めてゴールに辿り着いた様子。

(おそらく嗅覚だね)

 認識阻害により方向音痴になった状況でも、ぼくたちの匂いを辿って来れた、というところか。迷いの森のウィークポイントが明らかになった。

 狼の獣人であるアイシャなら同じことできるかな――などと考えつつ、マオはエプロンのポケットから一対の小さな武具を取り出す。ぐるぐる巻きにした包帯をサッと解けば、無骨な鉄の爪が露わになる。

(アイシャとの決闘で使ったら、また毒づかれそうだ)

 メリケンサックの要領でマオは装備し、ぎゃりんぎゃりんと鉤爪どうしを研ぎ合わせる。威嚇のつもりだったが、野犬たちには効果なし。だったので大きく跳躍し、広場の半ばあたりに着地する。ふわりと降り立ったわけではない。ブーツを履いた両足でキックを放ち、クレームブリュレの表面を割ったように踵で地面を抉る。

 さすがにこれを見せたら尻尾を巻いて逃げるだろう、と思いきや、野犬は茂みから駆け出して、三頭でマオを囲う。牙を剥いて低い唸りを上げる臨戦態勢だ。

「妙だな……お前ら、さては訓練されてるだろ」

 思えば、尾行してきている時点でおかしかった。

 マーガレットの趣味は放課後の買い食いであり、甘い匂いを漂わせてるせいで野犬を呼び寄せた、のかもしれないと思っていた。――けれども、お零れを狙うにしては過剰に距離をとり、尾行そのものが目的であるかのようで。

「ぼくはマーガレット様のために舞う。お前は誰がために舞える?」

 マオの問いが、奇しくも野犬たちの攻撃の合図となった。

 たくましい後ろ脚で地を蹴り、鋭い牙の並んだ顎を開けて、三頭同時――覆い被さるように狩りの舞を見せる。何もせず棒立ちでいれば、たちまち餌食となってしまうだろう。

 無論、マオは被捕食者となるつもりはない。ギリギリまで引きつけてから、倒れるように横っとび、低空で大きく開脚して身を翻し、大道芸人顔負けのアクションで死地を脱する。

 野犬チームは仲良く衝突し、受け身もとれずに落下。全身でもがいて地を掻き、大急ぎで態勢を立て直して、また三頭でマオを囲う。しつこい。

「誰の差し金かは知らないけど」

 マオは、初めて鉤爪を構える。野性の捕食者をイメージした形象拳だ。

「もはや一匹たりとも帰さない」

 慈悲を捨てた瞬間だった。三頭のうち一に鉤爪を振り上げて襲い掛かり、途中でぴたりと急停止。隙ありと見て背後から跳んできた一に、振り向きざまの爪撃を見舞う。

 と同時に、最初の標的に馬蹴り(後ろ蹴り)で牽制を入れ、最後の一と真っ向勝負する。

「食らえ、アイシャのまねっ!」

 独楽よろしく回転したマオは、剣舞の要領で鉤爪を振るう。憐れ八つ裂きにされた野犬は、しかし風船が弾けるように散ってしまう。

「――っ!」

 本物の犬ですらなかった。こいつら魔法生物、式神と呼ばれる類だ。

 バレちゃしょうがないという雰囲気で、手負いの二頭は、屠られた一頭の亡骸――紙切れのような――を咥えて身を寄せ合う。というか合体した。合体して三つの頭を持つ巨大な犬となった。地獄の番犬みたいなビジュアルだ。

(……鉤爪じゃ分が悪いな……)

 本音を言えば大槌(ハンマー)が欲しいところ。そんなものはない。

 ぼくがフツーの猫だったら、脚をピンと伸ばして背中をぐーっと曲げて、じぶんを大きく見せようとするだろうね。ふふっ。

「地獄には重量別で戦うルールないの?」

 半ばヤケクソぎみ、マオは形象拳の構えをとる。

 決して使うまいと思っていた〝奥の手〟について検討しかけた、その時。

「クリムゾン・ロア!」

 世界が赤・白・黒にフラッシュし、龍が泳ぐような雷火が、地獄の番犬を射抜く。

 終末を告げるような轟音に次ぎ、焦げ臭さと煙が漂って――ぼろぼろと巨犬の体躯が崩れ始める。真っ黒な炭になって消えていく。

「やっぱり、天才美少女魔法士ですね」

 振り返れば、鱗の館の玄関口にヒロインが立っている。右の太腿から赤い血をつうっと伝わせて、拒絶するように掌を掲げ、金髪碧眼のお嬢様がドヤッ顔を浮かべている。

「お待たせっ! お掃除を手伝いに来たよ!」

 この日、マーガレット・アンペイアは炎雷魔法を調伏した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る