第10話 兎耳メイドと侍従長
その日、リッカー家のメイドである彼女は困憊していた。
仕えているパルネ・リッカー嬢に毎夜、空が白むまで付き合わされて睡眠不足なのだ。
というのも、炎雷魔法の試験が近づいているからに他ならない。親愛なる「お姉様」のアドバイスのもと、魔法学院から帰宅してもパルネは特訓に没頭している。
令嬢付きのお役目がある彼女――ファニは、眠らぬ主のスケジュールに付き合うしかないのであった。
「にしてもですよ」
リッカー邸内、やたらと豪奢な厠の前にて。エプロンドレスに身を包んだファニは、お手拭きタオルを準備して佇み、糸が緩んだマリオネットよろしく肩を落とす。ウサ耳も萎れる。
「さすがに、わたしを的にするのはやめてほしいな~……なんて」
ぼそっと口にした独白は、厠で用を足している主に聞こえているだろうか。
聞こえていてほしいような、ほしくないような……。
「まあ、フレフレ、パルネさま~~とは思ってますよ?」
〝炎雷のアンペイア〟を凌ぐ、まったく新しい炎雷魔法を編み出すべく、奮闘されているパルネ様の情熱は理解できる。がんばって、と思う。
(わたしの睡眠と生命を脅かさない範囲で)
付き人メイドのつらいところだ。広大なお屋敷のお掃除や、来客時における調理場での戦場めいたお料理――といった役を免除されるのは確かにメリット。代わりに、お嬢様の我儘にはすべて付き合わなければならないのがデメリット。
(ま、わたしに選択肢はないんだけどね)
立っているのも疲れてきたので、ファニはその場で足踏みを始める。興が乗ってタップダンスのまねごとをしてみる。ちょっと楽しくなってきた。
「ほっ、ふっ、ほっ!」
厠の前、主のお小水が終わるのを待つ時間しか解放されないとは、ぐっすんおよよ。
それにしても長いな、パルネ様。こりゃ大きいほうかもしれない。
な~んて徒然なるままに想いを馳せていると、別のメイドが通りかかる。
「なんとも魔力を減少させそうな踊りですね、ファニ」
「ゲッ、侍従長」
「ゲッとは何ですか、ゲッとは」
侍従長アイシャは銀縁眼鏡のテンプルをくいと押し上げ、レンズの奥で光る切れ長の目をさらに鋭くさせる。やっっべ折檻待ったし。言い訳構築、今すぐっ!
「いやあ~、げっ歯類じゃないですね侍従長は~~っと」
「当たり前でしょう。私は、誇り高き狼の血族なのですから」
あーね。侍従長の親世代……サンゲツ国が滅びる前は、狼の獣人って位の高い血族だったらしいけど。もう等しく奴隷の身分なんだから誇っても仕方ないよね。とはぜったい言わない。拳骨では済まなそうだから。
なんて顔に出てたみたい、誤魔化しきれず侍従長が話題を戻してくる。
「手錠をかけられた囚人が、ダンスと偽って編み出した格闘術があると聞きます……もしやファニ、貴女は……パルネ様への忠誠に翻意ありですか?」
「そそそそんなわけないでしょう!」
慌てて否定する身振り手振りが、まさに不思議な踊りとなってしまう。だばだば。
「まあ、そうですね。貴女にそのような度胸がないことは承知しています」
「クッ…」
ソ上司~っ! 弄ぶなや! こちとら、ただでさえパルネ様に振り回されてんだよ!
「正直なところ、私は嫉妬しているのかもしれない」
へあっ? 思いもよらない台詞がクソ上司から零れ出た。ぽかんと馬鹿みたいに見上げていると、侍従長は焦がれるような視線を返してくる。
「羨ましいのです。パルネ様の一番お傍にいられる貴女が」
それが皮肉ではなく本心であるようファニには思えた。侍従長は、生真面目なぶん、感情を偽ることが下手だ。――やばっ、初めて可愛いと思ったかも、上司が。
「いやあ、でも、パルネ様には嫌われてるかもですよ……わたしってば」
「嫌いな者を付き人にしておきますか」
じゃ、ちょうどいい家具くらいにしか思われてないかも。よく椅子にされるし。うーむ。
「閑話休題――ファニ、侍従長として命じます。パルネ様の近況について報告なさい」
「えーと、今は厠でがんばっておられます」
見れば分かります。と、ぴしゃり窘められる。
神殿めいた厠のほうを見つめて心配げに侍従長が続ける。
「パルネ様は、ここ最近オーバーワークをされているご様子……胃腸にも影響が」
「炎雷魔法の試験に向けて、新しい術式を開発中なんですよ」
「なるほど。それで進捗のほどは」
「日暮れまで『お姉様』が~~じゃなかった、リフィリア・ドラシル様が屋敷にいらっしゃり、付きっ切りで指導くださっていますので、あと少しかと」
「そうですか……リフィリア様は先週から毎晩、当屋敷で夕食を共にされています」
侍従長の眼鏡の奥に、憂いのようなものが過ぎった気がして。
「? 四摂家どうし、仲が良いのは喜ばしいですよね」
ましてや「お姉様」はパルネとは血縁で、幼い頃にドラシル家へ養子に出された実の姉である。情が移ってしかるべき関係だろう。
「……杞憂であれば良いのですが……」
あからさまに侍従長が声のトーンを落とす。
「パルネ様は、リフィリア様に心酔し過ぎています。主の将来を見据えたとき、心配が――」
「あら、珍しいじゃない」
その時、ようやくパルネが厠から出てくる。
「アイシャがファニと話し込むなんて」
わりと明るい表情なのはスッキリしたからか、毎日「お姉様」との時間を堪能しているからか。目の下に隈をつくっているあたり、ヤバみのあるファイターズ・ハイを感じる。
(あっ、そうだった……お仕事しなくっちゃあ!)
ファニは一テンポ遅れて、お手拭きタオルを主に差し出す。普段であれば「判断が遅くってよ」と叱責されるところ、特段お小言なくタオルは受け取られる。ラッキぃー!
「ふうん、あなたたち、仲良しだったかしら?」
「はい。私とファニは仲良しです。先ほどはファニに踊りのコツを教えてもらっていました」
「へぇ、面白いわね……ファニ、わたくしにも見せてごらんなさい」
「は、はあい!」
まさかパルネの前でタップダンスを披露するハメになるとは、夢にも思わなかったファニであった。――例によって不思議な踊りとなってしまうが、主の爆笑を買ってゴキゲンになってもらえたので、結果オーライ。
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