第3話 夢と遅刻とランニング
「お嬢様の髪は、とても素敵ですね」
窓から陽光が射す、薄明りの寝室にあって……少女の長い黒髪を、同い年くらいのメイドが手入れしている。うっとりとブラシで髪を梳かすメイドを、少女は三面鏡越しに見ている。
「あなたの髪だって綺麗よ」
少女はどこか眠たげな表情のまま、か細い声で褒め返す。メイドは頭の猫耳をピンと立てて「えへへ」自身のショートボブの黒髪を指で梳き、はにかむ。
「ぼくなんて、お嬢様に比べたら、とてもとても――」
「それは違うわ」
少女はアルカイックスマイルを浮かべ、鏡の中にいるふたりを見つめる。
「お父様があなたを雇ったのは、わたしによく似ているから」
自信を持ちなさい。励ます主のことばにメイドは恐縮して肩を竦める。少女は小さく嘆息して立ち上がり、メイドの手からヘアブラシを奪う。
「次は、わたしがマオをお手入れする番ね。とびっきり艶々にしてあげる」
メイドを化粧台の椅子に座らせ、少女は少し鼻息荒く、猫っかわいがりを始める。
ゆったりと幸せな時間が流れている。
(――これは夢だ――)
まるで活動写真を観ている心地で、マーガレットは主従のやりとりを眺めている。
明晰夢、けれど知らない誰かの夢。まあ夢だからわけわかんなくてフツーか。現実と空想がごっちゃになって仕上がったやつね。だから、このお嬢様もどこかで会った、本で読んだ……あるいは、まんま活動写真で観たことのあるキャラクターなのかも。
(誰だろう。うーん。思い出せない)
もーちょいで閃きそうなんだけど……。
こい、こい、こい……。
「――ット様。マーガレット様!」
降り注ぐ声がマーガレットの意識をサルベージさせていく。
(きたあ。きちゃった。起きろと揺するマオの声が!)
平坦なようで感情の機微に富んだ愛おしい声色、汲み取れるにはあたしだけ。
呆れ半分、あとの半分は……やさしさかな(ドヤ)
「おはよ、マオマオ」
まぶたを開けば、ピントのぼやけた視界に、制服姿のマイステディ。制服といっても屋敷のそれではなく、いっしょに通っている魔法学院のブレザーだ。
「だから、ぼくはマオマオではないと……それはさておき遅刻しますよ」
浅葱色のジャケットには学院の紋章がワンポイントで刺繍され、胸元から覗くブラウスには赤いリボンのタイ、それからチェック柄のミニスカートもばっちり可愛い。
「かわいい」
「会話してください」
もっさりしたメイド服もミスマッチの可愛さがあるけれど~、マオは身軽な格好のほうがピッタシくるのよね。――そうそう、身軽がいちばん。もっと身軽になろう。実はこっそりスカート丈をちょ~~っとずつ短くしていってるのだ。あたしのスカートもいっしょに短くしてるから気づくまい。いやあ~~マオに隠れて裁縫するの難儀してるのよ。エライぞ、あたし。
「マーガレット様、さっきからジロジロと、バレてますからねスカートの件は」
「知ってて着てくれるマオマオしゅき」
「はあ。べつに何でも着てあげますから、さっさと起きてください」
とうとうマオにおふとんをひっぺがされ、マーガレットは寝巻姿で「ううっ」と縮こまる。
寒い。寒すぎる。北国であるナルマージの冬は厳しい。さすがにシーツの上で凍死はごめんなので、しょうがなくマーガレットは起床する。下半身をベッドの天蓋へ向けて逆立ちさせ、さらにエビのようにオーバーヘッドさせてから、勢いをつけてピョン! と寝床を飛び出す。着地成功。十点満点。
「よしっ、世界記録まちがいなし」
「よしっ、じゃありません。遅刻してます」
マオに要介護者よろしく誘導され、マーガレットは化粧台へと座らされる。
(あれれ? このシチュエーションって、さっき……)
そっか。夢だった。まだあたし起き抜けだった。
「どうしたんですか、やけに大人しいですね。こわっ」
「失礼ねえ。こうやってブラシで髪を梳かされるの、夢でも見た気がして」
「毎日やってあげてますからね。とうとう夢の中でもこき使われているのか、ぼくは」
「そうじゃなくて~~、むうん」
内なるモヤモヤをことばにできず、しかめ面になる。
「あっ、コラッ! からだを振り子みたいに揺すらないでください!」
両肩をつかまれピタッと止められた。
(ま、いっかあ)
マーガレットは大人しく、朝の幸せな時間に身を委ねる。
顔を洗って、マオとおんなじ制服に着替えて、食堂で朝食を。
「……お父様は今日も?」
「はい、後ほど朝食をお摂りになると」
食堂で控えていたメイドと短く問答し「そう」とひとり食卓に着く。さすがに朝食はマオといっしょではなく、先に屋敷の門前で待ってくれている。黙々とスープを啜りパンを千切る、なんとも侘しい朝餉だとマーガレットは思う。息苦しささえ感じる。
手早く済ませて「行ってきます」と駆け出せば、屋敷の使用人たちが深々と頭を下げて見送ってくれる。そして、屋敷の正門では、待ち合わせした幼馴染のようにマオが立っていて……なんだかホッとする。
「肩パンしていい?」
「馬鹿を仰ってないで急ぎますよ」
「ダイジョブ、ダイジョブ~~。いざとなったらマオを抱えて飛翔魔法でっ……」
「魔法を使って登校するのは校則違反です」
それはそう。数百人いる生徒が毎朝びゅんびゅん空を飛んでたら、ザ・はしたない。蝗害か! ってなるよ。スカートの中まる見えだし。
「そこで透明になる魔法も使う」
「どうして悪知恵を働かせる方向なんですか」
マオに背中を押されて、魔法学院へ向けて再びスタートする。ちなみに(混み合うと地獄になるので)馬車通学も禁止であり、己の脚だけが頼りだ。
「うう、じゃあマオがあたしを抱えて走ってえ」
「いざとなったらそうします」
「……」
「あからさまにペース落とそうとすな」
鬼コーチあらためマオに急かされ、ナルマージの城下町を走れや走れ。
「近道っ! するわよ!」
マーガレットは直角に曲がって路地へ入る。人ひとり通るのがやっとの小道を抜けると、賑わい十割増しの市場へと出る。屋根代わりのカラフルな布が軒を連ねる、露店の集まりだ。果物が木箱に入ったまま山盛りで置かれ、他にも昆虫の佃煮から怪しい異国のランプまで何でもござれ。ここは「ゼロ番地区」と呼ばれているナルマージのスラムである。
「おっ、メグちゃん! ここ通るってこたあ、遅刻だな!」
バンダナを巻いた筋骨隆々のおじさんが、欠けた前歯を露わにして笑う。
「メグぅ~、ちゃんと食ってるかあ! 持ってきな!」
長い髭を蓄えたまた別のおじさんは、自分の露店の商品であるリンゴをひょいと投げて寄越し、マーガレットは「さんきゅーっ」と走りを止めずにキャッチする。
ゼロ番地区で暮らしているのは、かつて奴隷の身分だった亡国の民たち。ナルマージに滅ぼされ併合された国の民は、悉くが奴隷に身を落とすが……〝人ならざる〟獣人の国サンゲツが併合された折、獣人以外を奴隷解放とする宣言がなされた。
「ごめんね、マオ……ゼロ番地区はイヤだった?」
「いいえ。活気があって、ぼくは好きですよ」
地区の面々からマオがスルーされているのは気のせいではない。マーガレットの付き人ゆえに危害を加えられることはないが、獣人を良く思っていないゼロ番の民は少なくない。
「これっ」
マーガレットは、さっきもらったリンゴを併走するマオに渡す。
「マオが食べて! あのおじさん、蜜たっぷりのやつくれるから!」
「一口齧った跡があるのが証左ですね」
「えへへ。美味しかったです」
ゼロ番地区を横断し、ふたりは丘の上に聳える魔法学院を目指す。丘をのぼる道中で他の生徒を見かけないあたり、タイムリミットはお察しである。
「見えてきた! まだ門は閉まってない! セーフ!」
「なあにがセーフですかっ……閉まりかけてるじゃないですか!」
黒い槍を束ねたような厳かな校門は、魔法のちからで門限ぴったりに閉まる。つまり遅刻寸前である。けれどもマーガレットは余裕の色を消さずマオに説く。
「セーフにすればいいのよ!」
乾いた唇をぺろりと一嘗め、指先を銃口に見立てて門へと構える。
「万象包みし風のちからよ、汝、槍となり力を示せ――」
マーガレットの詠唱に応じて、周囲の風が指先へ集束、圧縮され、風の弾丸と化す。まさに発射せんとする直前、マオの跳ね上げた手刀により射線は蒼穹へ。
「なんでえっ!」
「魔法を使って登校するのは校則違反、と申したはずです」
風魔法で門をこじ開けるのもダメですよ、想定してないと思いますけど。呆れた調子でマオが言って、マーガレットの身体を軽々と抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこであるが、タッパの関係で耽美さとかはない。傍目には。
「いきます」
マオが呟いた瞬間、岩盤がめくれる勢いで地面が爆ぜる。ソニックブームが発生して枯れた木々を揺らし、マーガレットの視界が飴細工のようにぐんっと伸び――たかと思えば、校庭にワープしてしまっている。眼前には校舎の入口、背後で校門の閉まる音がする。
「マオってば、健脚だねえ」
「鍛えてますから」
「……」
やった。お姫様抱っこだ。えへへ。ずっとこうしてたい。
「マーガレット様、お顔が赤いですよ」
「な、なんでもないわよう」
校庭に下ろしてもらったところで、針山めいた校舎の陰から「コラァーッ!」と金切り声が近づいてくる。ソフトクリームみたいに渦巻いた白髪、三角レンズの眼鏡、ババくさい臙脂色のワンピースとくれば教頭先生に他ならない。逃げよう。
「また貴女ですかアンペイアさん! 先ほどの《フロウメル・バレット》、敵国からの宣戦布告かと騒ぎになりかけましたよ! 貴女は一年生の首席生徒として自覚がクドクドクド……」
「ありがとう教頭先生。身に沁みます。ごきげんよう」
「っ! まだ話は終わっていませんよ!」
クドられてるうち出席がとられてしまいそう。なのでマオと脱兎のごとく駆け出す。
魔法でピカピカにコーティングされた廊下を抜け、階段を二段飛ばし、そして一年生のクラスへと至る。
「あー、次はあ……ホントは最初に呼ぶべきアンペイア、いるかあ、いないかあ?」
すり鉢を半分に割ったような教室の底、教壇に立つ担任教師の気だるげ点呼に、マーガレットは入室と同時に答える。
「おはようございます!」
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