第6話 猫耳メイドと深い森

 眼前に広がるは、鬱蒼として異世界めいた森。

 歪曲した枝を伸ばす常緑樹がひしめき合っており、まるで侵入を拒むかのよう。

(てゆーか、張られてるよね、規制線!)

 バッテンを重ねるように張られた黄色いテープからは、風雨に曝され掠れた文字でキープアウトが読み取れる。さらにサバンナ効果もあり入りづらい、まっくら森の入口を、カンテラを手にした猫耳メイドが事も無げに潜る。そして振り返って手招き。マーガレットはごくりと生唾を呑んで意を決す。猫耳メイド・マオに続き、先の見えない深い森へと踏み入る。

 魔法学院の制服から着替えて来るべきだったかなあ。なるべく目立たないやつ。エプロンドレスのマオを連れてる時点でアウトだわ。

「ナルマージにこんな場所があるなんて、ぜんぜん知らなかった」

「貴い身分の方は、番号の振られた地区を出ませんからね」

 さほど離れた場所ではありませんよ。言って、マオはカンテラの火を灯し、ずんずん奥へ進んでいく。まったく迷いがない。何度か訪れたことがあるのかな……。

「行き先は〝秘密の部屋〟じゃなかったんだねえ」

 小さく溜息をつくと、先を往くマオから胡乱げな眼差しが返ってくる。

「なんですかソレ」

「アンペイア邸の地下にある、秘密の魔法書を収めた、秘密の部屋!」

「……そんな部屋があるか存じ上げませんが、お館様が許さないでしょう」

「まあ、そうだよねえ」

 物心ついた頃から、そうだった。

 アンペイアの屋敷はお父様お抱えのメイドたちに管理され、玄関から自室、食堂、厠を除いたコースは常時とおせんぼ。お父様のメイドは頑としてあたしを通さない。

 獣人である彼女らにフィジカルで敵うはずないけど、図書館の禁書エリアに忍び込んだ要領で透過魔法を使えば……と思いつつ未遂なのは、メイドが必ず「お館様のご指示です」と口にして立ち塞がるからだ。

(あたしは、あたしの家を知らない)

 アンダーグラウンド、なんてマオが言うから、てっきり屋敷の地下室だと思ってた。

 マオは唯一、あたしがスカウトしたメイドで、いちおう侍従長の面接をクリアして正式採用されてる。メイドどうしの横のつながりを持つマオなら、あたしより屋敷のことを知っているだろうから。

(マオとふたりなら、お父様に逆らうのも恐くない)

 いっしょに大目玉を食らうんだ。なんてね。思ってた。

「ご期待に沿うか分からないですが」

 カンテラの明かりを纏って進むマオが、前置きして続ける。

「目指す場所が〝秘密の部屋〟というのは、あながち間違いではありませんよ」

「そーゆって慰めてくれるマオすき」

「うにゃあっ、後ろから抱きつかないでくださいっ」

 カンテラ落としたらどうすンですか! と歩みを止めたマオは、マーガレットを背負ったまま、ミニマムに掲げていたその光源を近くの樹へ向ける。

「こちら、ご覧ください。何が見えますか」

「樹の幹に……刻印?」

 鋭利なモノで抉るように彫られているのは、魔法文字を孕んだ小さな円陣。淡い闇色の光を放っていて、マーガレットはすぐに魔法刻印だと理解する。

(でも、刻印の意味するところまでは、分かんない)

 発動している魔法まで知識が及ばない。少なくとも王立図書館の蔵書では見たことない。あたしの太腿にある刻印もそう。――きっと禁書に載ってるやつなんだ。

「樹の一本一本に同じ刻印が施されています。そして同じ魔法を発動し続けている」

 刻印した魔法陣に魔力を注ぎ込んでおき、必要なときに魔法を放つ……それ自体は古くからある手法だ。円陣の内に記された魔法文字は詠唱そのもので、一つの魔法にしか対応しない反面、口頭での詠唱をすっ飛ばして魔法行使できる。十分な魔力さえチャージされていれば。

 使用例としては、たとえばペンダントの宝石に刻印し、自身の魔力が尽きた撤退戦で懐刀として重宝する。たとえば入れ墨して身体に仕込み、ノータイムで魔力を増幅させる補助魔法(バフ)として使う。などなど。マオが言う、森全体に施す(?)やり方は初耳である。

「とても微弱な電気を発する炎雷魔法です。魔法と気づけないほどの。人体には無害……なようで、実は致命的な効果があり」

「えっ。チメイテキって言った?」

 マオが口走った信じられないワードに、マーガレットは青ざめる。

「落ち着いてください。結果として致命的になるという話で、ただちには」

「ただちには――って、もうそれ毒じゃん! 死ぬじゃん!」

「じゃんじゃん五月蠅いですね、もーっ! ぼくの上で暴れないでください!」

 軽くヒップアタックで抱きつきを剥がされ、マオが唇を尖らせて振り返る。

「要するに認識阻害ですよ! 刻印から発生している電気の波は折り重なり、認識阻害を引き起こすんです」

 それで死ぬほど方向音痴になって、森から出られなくなって死にます。カンテラ片手にマオがフル解説する。なあんだ、それなら……って、

「ダメじゃん! 死ぬじゃん!」

「死にませんよ。なぜなら、ぼくに認識阻害の魔法は効きません」

「猫の獣人って、アンチ魔法の能力あったっけ」

 マーガレットは首を傾げる。猫の獣人っていうと森ガールっぽいし、認識阻害を上回る空間認識能力があるとか?

「いいえ。相殺して打ち消す魔法刻印が、ぼくには施されています」

「いつもいっしょにお風呂入ってるけど、そんなの……」

「見たことないですよね。後頭部の髪の下ですから」

 なあるほど。脳に作用する魔法に対抗するなら、合理的な位置ね。じゃーなくて。

「誰がそんな刻印を」

 マーガレットはハッとする。

 あーそっか。分かり切ってる。マオが前に仕えていたご主人様だよ。

 迷いの森はセキュリティーで、マオの刻印は通行手形みたいなもの。

 だったら、森を抜けた先にあるのは。

「お察しのとおりです」

 ナビを再開したマオが、見返り美人で寂しげに微笑む。

「向かう先は、ぼくが勤めていた、とある貴族の別邸――」

 とある貴族、と濁した理由をマーガレットは察する。数年前に大逆罪でお取り潰しになり、一族郎党に至るまで火刑に処された〝口にしてはいけない〟お家。かつて五摂家の一つに数えられた魔法刻印の大家。

「この森で、隠す必要もありませんね」

 小さな背中で先導しながら、もはや振り返らずにマオが続ける。

「ぼくは、悪逆非道のボルト家に連なる者……最後の生き残りです」

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