第17話 やきもちバレンタイン
バレンタインというのは、私からすると正直少し面倒くさい。
昔は女性から男性へチョコレートを贈る日だったが、今では友チョコ、世話チョコなんてものまである。上司という立場上、私にチョコを贈ってくれる部下も多少なりともいるわけで。毎年お返しに頭を悩ませている。
日曜日にバレンタインを控えた金曜日。
当日渡せないとあってか、休憩中に部下からチョコをいくつかもらった。
「
可愛らしい笑顔で渡されて断れるほど、私も冷たくはないので、こちらも笑顔で感謝の言葉と共に受け取る。
同じ部署にいる私の彼女である
私が毎年チョコをもらっているのは知っているはずだし、去年まで他のみんなと混じって私に贈ってくれていたわけだが、今年はそうではないらしい。
私がコーヒーを淹れに給湯室に向かうと、由茉ちゃんも付いて来た。
「
明らかに不機嫌な由茉ちゃんにジト目で睨まれる。
「あれは全部義理チョコみたいなものでしょ」
「でもあんなにもらって、理子さんも満更でもないんですよね」
「悪い気はしないけどね」
「ふーん。私は理子さんにあげませんから」
由茉ちゃんはぶんむくれたまま、給湯室から去ってしまった。
理屈では何の特別な感情なんて含まれていない義理と分かっていても、気持ちの上では納得しがたいものがあるのだろう。
そんな拗ねてるところも私としては可愛いのだけど、さてどうしたものか。
由茉ちゃんのことだから、しばらくしたら機嫌は直ると思うのでそっとしておこう。
就業時間になり、いつもなら由茉ちゃんが私のところに寄ってくるのに今日は来なかった。
さっさと帰り支度を済ますと出て行ってしまう。私は慌てて追いかけた。
「由茉ちゃん、今日は週末だけど泊まりに来ないの?」
「行かないです」
まだ由茉ちゃんはご機嫌ななめだった。
あの後もチョコをもらったので、気に入らなかったようだ。
「そう、それは残念。でもたまにはいいかもね」
落ち着くまでは構いすぎないようにしようと決めて、私は駅には向かわずに近くの喫茶店へと足を向けた。
由茉ちゃんと私は同じ沿線に住んでいるので、このまま一緒にいたら同じ電車に乗ることになる。だから、あえてそれを避けるために私は帰宅時間をずらすことにした。
喫茶店内で今日もらったチョコを確認する。全部で八つもある。それぞれへお返しすることを考えてると、両手放しで喜べるものでもない。
ため息をつきつつ、コーヒーを飲み干して店を出た。
駅に行き、電車に乗る。十分ほどで自宅最寄り駅に到着。降りると、ホームの隅に由茉ちゃんの姿を見つけた。彼女の住むマンションに行くにはまだ少し先の駅まで電車に乗らなければならない。私を待っていたのだ。
さっきまでの怒っていた様子はなく、親に置いてきぼりにされた子供みたいな顔で俯いて立っていた。
「由茉ちゃん」
声をかけると泣きそうな顔をして、私を見つめている。
「家に来る?」
うん、うんと頷くので、私は由茉ちゃんの手を引いてマンションへと帰った。
「理子さん、いっぱいチョコもらってた」
玄関に入るなり、由茉ちゃんが背中に抱きついてきた。寂しそうな声に、私も何だか切なくなる。
「確かにね。皆からもらったけど。でも、私まだ本命からもらってないんだけどな」
「理子さん?」
「いくらたくんさんもらっても、一番好きな人からもらえなかったら寂しいじゃない。由茉ちゃん、去年はチョコくれたのにな」
私は腰にがっしりと回された由茉ちゃんの少し冷たい手に自分の手を重ねた。
「理子さんは気づいてなかったかもしれないけど、私毎年本命のつもりで理子さんにチョコ渡してましたよ」
「いつも気合の入ったチョコだったもんね」
今まで由茉ちゃんからもらったチョコはどれもいいものばかりだった。包装もメッセージカードも拘りが感じられて、私はバレンタインをすごく楽しんでいるのだと解釈していた。
「理子さんは特別だから、いつも理子さんへのチョコだけは他の人よりも奮発してたんです」
「ありがとう。さすがに『好き』って気持ちがあることまでは分からなかったけど、他の人と違うのは気づいてたよ」
「良かった。少しは何か伝わってたんですね」
由茉ちゃんの声に明るさが戻ったので安心する。
「いつまでもここにいても体冷えちゃうから、部屋に入ろう。ご飯作るから」
「はーい、理子さん」
いつもの通りに二人で夕飯を作り、お風呂に入ったあと、私たちはこたつで向かい合っていた。
お互い、去年の冬に買ったお揃いのパジャマを身に纏って。
「理子さんにあげないって言っちゃいましたけど、ちゃんと買ってあります」
由茉ちゃんはカバンから紅い包装紙に白いリボンがかかった箱を取り出した。
「理子さん大好きです!受け取ってください」
「ありがとう。私も由茉ちゃんが大好きだよ」
私は大切な彼女からチョコをもらうことができた。
リボンと包装紙の間に小さなカードが挟まれている。開くと「理子さんが世界で一番大好きです」と可愛い文字が綴られていた。
「私からも由茉ちゃんに渡さないとね」
「用意してくれてたんですか?」
「それはもちろん。彼女なんだから当たり前じゃない」
私は淡いピンク色の袋を渡した。
「わぁ、理子さんからのチョコレート!」
「あ、ごめんね。それ中身チョコじゃなくてマシュマロ。由茉ちゃん、マシュマロ好きだから」
「私、チョコよりマシュマロの方が好きです! 私が好きなもの覚えててくれた」
由茉ちゃんは目を宝石のように輝かせる。
彼女はマシュマロやグミにこんにゃくなど、柔らかくふにふにした食感の食べ物が好きでよく口にしている。
「ところで由茉ちゃん、今日は何であんなに拗ねてたの? 私がもらったのは全部義理なんだから、そんなにやきもきしなくても大丈夫よ」
「それはそうなんですけど⋯⋯。でも理子さん先輩たちからチョコもらってて、きっとすごく凝ったチョコばかりなんだろうなと思ったら、何か私なんかがあげる価値がなくなっちゃった気がして。それですごく不安になって、先輩たちにも焼きもちばっかり持っちゃうしで⋯⋯」
由茉ちゃんからしたら、私にチョコを渡しているのは先輩ばかりだ。何となく気が引けてしまったのだろう。
「あんまりその辺りのことに気づいてあげられなくてごめんね。みんなからもらうチョコももちろん嬉しい。でも私は他の人がどんなに素敵なチョコを贈ってくれても、やっぱり由茉ちゃんからもらうのが一番嬉しい。それは覚えておいてね」
「理子さん!!」
由茉ちゃんはこたつから抜け出すと、私に飛びついてきた。愛しくて、可愛い彼女をしっかりと腕に抱きとめる。
「あの、理子さん」
「なぁに?」
「こんな時間ですけど、私があげたチョコ食べてくれますか? 一粒でいいので」
「うん、そうだね。せっかくもらったんだから食べないとね」
私はリボンと包装紙を解いて、箱を開ける。中には七つのハート型のチョコが並んでいた。一般的な茶色のチョコ三つに、ホワイトチョコが三つ。一つだけ真っ赤なチョコが真ん中に鎮座していた。
「どれ食べますか?」
「赤いのにしようかな」
「私が食べさせますね」
由茉ちゃんが赤いハート型のチョコを手にして、私の口に入れた。年甲斐もなく少しどきどきしてしまった。
「ところで理子さん」
「ん?」
「チョコレートって媚薬って知ってました? 昔は媚薬として使われてたらしいですよ」
「へぇ、それは初耳」
意外なことを知っているものだと関心する。
「何かこう、すごく興奮したりしませんか?」
「興奮はしてないけど」
チョコでいちいち興奮していたら日常的におやつとして食べられないではないか。
「そうですか? 私はすごく気分が高まって来ました!」
言っていることはあながち嘘ではないようで、頬がほんのり桃色に色づいている。
「由茉ちゃんは何も食べてないじゃない」
「そうですけど、気分の問題です。いいですよね?」
と言ったかと思うとそのまま押し倒された。ちょうど頭の下に誂えたようにクッションが当たる。さっきはなかったはずだが、由茉ちゃんが用意しておいたのだろう。のほほんとしているようで抜け目ない。
「理子さん、たくさん可愛がってほしいです」
甘えるように私の胸に顔をうずめる。
「もう、しょうがないな」
実際のバレンタインは明後日だけど、少し早まるくらいなら問題ないか。
「不安にさせちゃったからその分、たくさん愛して可愛がるからね」
「嬉しい」
その日はチョコレートよりも甘く蕩けるような夜を過ごしたのだった。
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